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インタビュータイトル

Interview 津田清和「ガラスと器と探究心」 1/6

聞き手:山本忠臣「ギャラリーやまほん」オーナー / 文・構成:竹内典子 / Jun. 2013

「実験や素材に対してアクションを起こしたことで得られる表情とか、自分がきれいと思うものを拾って、具体的な形に起こす」という津田さんの作品づくり。美大卒ではないだけに、紆余曲折しながらも、自分のものづくりをきちんと見つけてきた。信頼を寄せ合うギャラリスト山本忠臣さんのインタビューからは、感性に素直な津田さんの人柄や、作品の丁寧で繊細な感覚が伝わってくる。

旅先で吹きガラスと出会う

山本 ガラスとの出会いはいつでしたか。

津田 大学3回生の時に、学生旅行で行った小樽で吹きガラス工場を訪ねたら、ちょうど職人さんが実演をされていて、初めてガラスを吹くところを見ました。鉄の棒の先にくっ付いたガラスの玉があっという間に形になっていく様子は、とても人間業とは思えなくて、どこか神々しい儀式のようですごいなと思いました。でも、その場ではそれくらいのイメージ。ところが、旅行から帰って日常生活に戻ってみると、初めて見たその光景が印象深く残っていて、本屋さんで工芸の本を開いたら、地元の奈良に吹きガラス教室があることがわかって、翌日すぐに見学に行きました。そこは現代工芸の作家さんがやっているガラス教室で、見学の際にちょっとガラスにも触らせてくれて。すぐにやりたいと思って教室に入りました。

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山本 大学は美術系ではないし、旅先でガラスに触れるまでは、特にガラスに興味をもったことはなかったのでしょうか?

津田 そうですね。ガラスのきれいさに惹かれたというより、職人さんがガラスを吹く姿を見て、その行為に強く惹かれたんです。もともと子どもの頃から手を動かして物をつくるのは好きで、あまりおもちゃは買ってもらわず、手に入る身近な材料で野球ゲームをつくったりとか、ロボットをつくったりしていました。

山本 とは言っても在学中だし、なかなか男子学生は、カルチャー教室に行かないですよね。

津田 男性は少ないですね。女性は思い切りがいいから学生も多かったですけど。その教室は月謝も1万5千円くらいと高めでしたから、僕はアルバイトをしながら、もちろん大学にも行きながらガラス教室に通い続けました。

山本 4回生になると就活もあったでしょう。

津田 それもありましたけど、ガラス教室に通い始めて1年くらい経っていたので、ガラスへの興味が強くて。当時は、吹きガラスの作業そのものが楽しくて、もっとこの世界を深く知りたいと思うようになっていました。

山本 すでに気持ちはガラスに向いていたんですね。

津田 ガラス教室の中に、僕よりもたくさんの講座枠を掛け持ちしながらやっている女の子がいて、すごく上手だったんです。元来、僕は負けず嫌いなところがあって、やるからには自分ももっと上手になりたかった。

山本 負けず嫌いだから頑張るというところが津田君らしいですね。

津田 吹きガラスはスポーツ感覚に近い作業工程なので、一つ一つ乗り越えていく達成感が大きいんですね。同時に、僕はガラスの素材がきれいとか、そういう側面に惹かれて始めてないので、職人さんの鉄の棒の先のドロドロと赤い火の玉のようなガラスを、自分の手で触ってみたいという衝動が強くて、その行為を一つ一つやっていくことはとても楽しかったんです。

ガラスを続けるための仕事と進路

山本 ガラスに夢中になった最初の魅力はそこだったのですね。

津田 それから大学卒業間近になって、ガラス教室の仲間がガラスを続けるために芸術系の短大に進学するという話を聞いて、自分もやってみたくなった。でも、僕は大学ではまったく違う勉強をしていたから、デッサンなんてやったことないし、工芸とかクラフトとか門外漢。進学するための費用もなかった。親にも反対されたので、自分で資金を貯めるために、大学卒業後の2年間は、食品メーカーで会社員として働きました。

山本 サラリーマンを経て、本格的なガラスの勉強はどこでしようと考えていたのですか?

津田 2か所受けて、福井県にあった「エズラグラススタジオ」という山野宏さんが代表をされていたところの「ブローガラス塾」に受かり、そこで1年間、吹きガラスをみっちりやりました。そこからが、ガラスの本格的なスタートといえます。

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山本 本格的に始めて、技術は身につきましたか。

津田 1年くらいでは技術はまだまだ。その後の進路をどうしようかと考えたら、もっと勉強したいと思って、石川県の「金沢卯辰山工芸工房」を受けたのですが落ちてしまって。それでちょっと甘い考えなのですが、働きながら勉強できるところがいいと思って探しました。たまたま長野県諏訪市の「SUWAガラスの里」という三浦世津子さんがスタジオマネージャーをされているお土産屋さん併設の工房で募集があって、そこのスタッフに入りました。

山本 どんなものをつくっていたのですか。

津田 お店で売るための小さいウサギの置物とか、花入れとか。それと、材料づくりも仕事の一つでした。でも、まだ若くて生意気だったから、自分の作品をつくりたいという思いがどうしても強くて、三浦さんに相談して、金沢卯辰山工芸工房をもう一度受けさせてもらったんです。そうしたら今度は受かり、卯辰山で3年間学びました。

山本 卯辰山はかなりの難関だったのでは。朝日現代クラフト展で大賞を取った人もいますよね。

津田 陶芸とガラスはかなり倍率高かったと思います。金沢市から助成金も出ましたから。でも、当時の僕は工芸の世界を知らなかったから、卯辰山が難関だということも後から知ったくらいで、尻込みもせずに受けられました(笑)。

津田清和 硝子への眼差し

津田清和 硝子への眼差し

2013/6/8(土)〜7/21(日)
@ギャラリーやまほん

会期中休廊日 火曜日
回廊時間 11:00 - 17:30

gallery yamahon
518-1325 三重県伊賀市丸柱1650
tel/fax 0595-44-1911
http://www.gallery-yamahon.com/