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Interview 田淵太郎 聞き手:井上典子 文・構成:竹内典子

薪で焼く白磁の可能性を信じていきたい

陶芸家を夢見てこの道に進んだという田淵太郎さん。大阪芸術大学を卒業後、陶芸教室の講師を経て、香川県の山奥に工房を構えると、苦労しながらも自分で薪窯を築き上げた。薪集めや薪割りも自分で行い、焼き物の原点を大事にみつめながら、「窯変白磁」の新たな可能性に取り組んでいる。その姿は、陶芸への尽きない興味や好奇心、夢を叶える情熱にあふれている。

器をつくって生活する
そういう陶芸家を目指して
大阪芸大へ進学。
田淵太郎:インタビュー風景

田淵太郎:Landscape 2004
"Landscape" 2004

井上
田淵さんと初めてお会いしたのは、2004年ですね。竹内紘三※1さんとご一緒に、ギャラリー介へいらした時でした。竹内さんとは大阪芸術大学時代の同級生でしたね。ご出身は香川県だそうですが、大阪芸大に進まれた理由は?

田淵
陶芸家になりたい、と思って進学しました。

井上
いつ頃から陶芸家になりたいと?

田淵
高校生の頃ですね。最初は陶芸家になろうというより、つくることが好きだから、将来は物をつくる仕事に就きたいと思っていたんです。それなら芸大に進学かなと。それで芸大のパンフを見たら、陶芸コースがあって、陶芸だったら将来的に仕事として成り立つように思えた。それが陶芸家になりたいと思った理由です。

井上
陶芸コースに入ってみて、いかがでしたか?

田淵
面白かったです。動機には強いものがなかったけど、粘土に触れるに従ってのめり込んでいきました。

井上
形をつくることが面白かったのですか?

田淵
いえ、思い通りの形になるってことより、土臭さとか、どろんこ遊びの延長というか。土に触れることが面白かったですね。

井上
学生時代はどういうものをつくっていましたか?

田淵
課題をこなすのと、自由制作では、大阪芸大というと造形的なものづくりというイメージがあると思うんですけど、僕は形をイメージするのはあまり上手ではなくて、もっと実験的なことをやっていました。例えば、粘土を塊で焼くとか。

井上
それが2004年「INAXガレリアセラミカ」※2での個展に出品した「Landscape」という作品につながっていくわけですか?

田淵
はい、それはあると思います。

井上
大学卒業後は、すぐ香川に戻られたのですか?

田淵
就職をしていたので、3年後に帰りました。

井上
どんなお仕事を?

田淵
陶芸教室の講師として、3年間働きました。

井上
ということは、INAXでの個展は香川に戻られて間もない頃ですね。

田淵
就職していた時に、陶芸教室の窯で作品とかテストとかいろいろ焼かせてもらっていて、その流れでつくった作品が、2003年の朝日現代クラフト展で優秀賞をいただいたんです。それでINAXを訪ねて作品を見てもらい、個展が決まりました。

井上
私もご案内をいただいて個展にうかがったのですが、実はその時のオブジェは個人的にはあまり興味を持てなかったんです。ところが昨年、銀座の「日々」※3で行われた田淵さんの個展を見たら、器が出品されていて、オブジェから器に転向されたのかと思ったわけです。ただ、それにしてはずいぶん轆轤がお上手だなと。そうしたら以前から器もオブジェと並行してやっていたと聞いて、なるほどと思いました。轆轤は学生時代からやっていたのですか?

田淵
そうですね。好きでやっていました。

井上
個展の前にも、日々の常設で見かけた素敵な器が、田淵さんのつくられたものだと知って驚いていました。今みたいな白磁をずっとつくっていたのですか?

田淵
薪窯ができるまでは、ガス窯でした。釉薬、焼き締め、白磁などで、今とはちょっと違うかな。

卒業後は陶芸教室の講師になり、
独立することを夢見て働いた。
田淵太郎:「ぐぐぐっとハナノウツワ」2008

田淵太郎:「粉引焼〆丸鉢」 2008
上から:
"ぐぐぐっとハナノウツワ" 2008
"粉引焼〆丸鉢" 2008

※1:竹内紘三(たけうちこうぞう)
パノラマにすでに登場いただいている陶芸家。田淵さんとは親友かつライバル。
http://panorama-index.jp/takeuchi_kouzo/

※2:INAXガレリアセラミカ
東京・京橋にあるINAXギャラリーの1つ。コンセプトは「新鋭作家による新しいやきものの表現の場」。
http://inax.lixil.co.jp/gallery/ceramic/

※3:日々(にちにち)
「エポカ ザ ショップ銀座」の地下1階にある器のショップ&ギャラリー。
http://www.epoca-the-shop.com/nichinichi/

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