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Interview 山本亮平



文・構成:竹内典子 / Feb. 2017

作品づくりについて

泉山磁石場から車で数分のところに、自宅兼工房があります。昔から原料に恵まれた土地で、自宅の裏山には天神森窯、向かいの山には小物成窯という、有田の中で最も古い窯跡があり、ここは唐津焼をつくる中で、初めて磁器が誕生した場所といわれています。二つの歴史的な古窯に挟まれて暮らしている縁もあって、「初源伊万里(しょげんいまり)」と言われる、磁器誕生前後にスポットを当てて、うつわをつくっています。

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朝鮮から唐津にやってきた陶工の多くは、もともと磁器をつくっていたので、磁器の原料となる白い石を探し回るわけですが、どこも茶色い石ばかりで、なかなか見つからなかった。おそらく磁器のようなものを焼きたくて、石の茶色っぽい部分を削り落として、自分たちの手に入る原料をできるだけきれいにして使う、という工夫をしていたのではないかと思います。

そうしている中で、同じように茶色い部分を取り除いていたら、ある日、陶石(磁器原料)となる白い石を見つけた。本当に「見つけたぞ!」という思いだったんじゃないでしょうか。

でも、最初から真っ白な焼きものというわけではなくて、生まれたての頃は、古唐津と初期伊万里が混ざったようなものもあるんです。窯跡だけでなく、家の庭やこの辺の畑からも、そういう物が出て来るんですね。素材としては砂岩だと思われるものもあり、やはり石を砕いて唐津焼をつくっていて、その内に白い石が見つかって、磁器が誕生したということだろうと思います。

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よく唐津焼と有田焼は、陶器と磁器として別物のように扱われますけれど、実際に初源の物を見てみると、ほぼ同じ技法でつくられていたことがわかります。ただ、白くてきれいな物に多くの目が向くようになって、唐津焼は終わりを迎えてしまった。

その大きな転換期というものを、僕は追ってみたいんです。再現することは目標ではないけれど、磁器誕生の瞬間はどういうものだったか、その成り立ちを知りたい。ここは、そういうプロセスをたどることのできる土壌ですから。

それと、これまで日本では器について、素材によって陶器と磁器をはっきり分けるという考え方が常識でした。でも、泉山陶石や砂岩などの原料について考えたり、技術的なことを考えたりしていく中で、今の常識では陶器と磁器の線引きはできないだろうと僕は実感しています。そのことは、梶原靖元さんをはじめとする作家や研究者の何人かがおっしゃっていて、日本陶磁史における重要な出来事なのではないかと考えています。ちょうど古唐津と初期伊万里には、それを象徴するような二つの円の重なりがあり、僕はそこが面白くて取り組んでいるのかなと思う時もあります。

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素直なものをつくる

僕は東京生まれで、美大では油絵をやっていました。自由が丘のギャラリーで黒田泰蔵さんの白磁を見て、それから会いに伺って少しお手伝いをさせていただいたことがあり、陶芸に興味を持ったんです。轆轤をひくところを見たのも、黒田さんが初めてでした。その頃から、限られた材料でつくる、究極のシンプルさをもつ白磁に惹かれていました。

それから有田で勉強した後、絵付師を経て、自分でつくることを始めました。最初、原料は買っていたんですけれど、気持ち的に引っかかることが多かったんです。買ったものは、何からできているか、元がわからない。心にわだかまりなくつくりたいと思うようになって、もやもやと引っかかるものをなくそうと、原料づくりのプロセスを昔のやり方に見直しました。

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石をつぶして原料をつくる、というのは有田も唐津も一緒で、泉山陶石、天草陶石、砂岩を使います。つぶしてから、汲んできた山の水で繰り返し水簸して、つくった土を寝かせる。そうすると自然とカビが生えてきて、粘りのある扱いやすい土になるんですね。

きめ細かいですが、粒子の間に隙間があるので、土練りは状態に合わせて適当にします。形については、他にはない形をつくりたいとかいう気持ちはあまりないんです。ただ、たとえば唐津を見て、地味なのに見飽きないのはなぜかなと思うと、一見して素っ気ないものなのに、つくる工程をちゃんと追うことによって、しみじみといいなって思えるものになっているということです。そういうものをつくりたいと思っています。

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特に絵付けは、いちばん最後に表面に出るものですけれど、実は最初の土から考えて、釉薬も考えて、工程をしっかりしていかないと、描いた時に何気ない線がもたないんですね。生地に合わない。それと、素焼きした生地ではなく、生のままの生地に絵付けをしています。絵具の染み込む具合が違いますし、焼き上がった時の雰囲気もかなり変わります。そこを生かすには、絵付けする前までの作業工程が、とても大事だということです。

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絵付けの担当は妻のゆきで、線が素直です。自己主張することに控えめというか、一目でわかるような個性的ものを出そうとしない。嫌な癖がなくて、素直な線であればあるほどいいと思うので、僕は絵付けをしません(笑)。こういう模様にしてほしいと伝えます。でも、きっと同じ物を二人で見ていても、発見するところが違うからいいのでしょうね。土づくりや轆轤、釉薬掛けは僕がしています。

Interview 山本ゆき

絵付けから見えること

有田窯業大学校で絵付けと轆轤を学んだ後、鍋島焼の絵付師を3年間していました。鍋島の絵柄はかっちりしていて、私の仕事は「()み」といわれる工程で、濃淡を塗り込んだりする色付け作業でした。

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夫が独立した時は、自分が絵付けをするとは全く思っていなかったのに、気が付いたら、昔の器を見て、こういう模様を描いてほしいと言われるようになっていました(笑)。歴史ある土地に住む内に、私も古い物について考えることが多くなって、絵付けもそれまでとはとらえ方が変わりました。

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昔の人は、筆が上手くて、バランスの勘がいい。でも、その昔の人も中国の写しをしていたりするんですね。朝鮮から渡ってきた人の絵と、中国の人の絵の写しは、民族の違いが絵の特徴に表れています。中国系の絵付けはきっちりしていますし、朝鮮系の絵付けは素朴なのに遠近感が前に出て来る感じがして、そこに日本人の感性も加わって、とにかく面白いんです。私は朝鮮系の絵付けに見られる、「何でそこ塗ってないの?」「何でそこ描いちゃったの?」というツッコミどころもありながら、「でも、きれいだね」と言わせてしまうような物を描きたいなと思っています。

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それから、古い絵付けを見て、自分が使う筆の太さとか、筆の当て方とかをあれこれ考えることも楽しみです。学校で学んでいた頃の材料は均一で、焼き上がった線も均一になって、面白味というのはあまりなかったんです。でも、土や釉薬を自分たちでつくって、昔の物にしていったら、描いた物に面白味が出てきたんですね。古い物に抱いていた謎が、一つ解けたという気がして、そういうことを味わいながら描いています。

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Archives:つながりの器、その先へ 〜唐津・有田の6人の作家〜


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