「きれい!」「これって紙じゃないの?」出和絵理さんの作品を初めて見た人は、一様に驚きと感動を口にする。どこまでも白く透けるような素材は、ごく薄い磁土を用いたもの。光と陰を繊細に取り込み、その場を静謐な空気で満たしていく。生まれ育った北陸の自然や美しい風景を心に描いてきた出和さんは、その世界観を独自の造形美に表している。
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「光景」「風景」の美しさを
北陸の風土が教えてくれた。 -
井上
ご出身は北陸でしたね。出和
はい。石川県かほく市という所で、加賀と能登の中間にある海沿いの町です。今は金沢に暮らしています。井上
かほく市はどういう所ですか?出和
北陸ですから雪深い土地です。気候も2日に1回は曇りか雨です。実家が海に近く、小さい頃から海、川、山が遊び場で、雪遊びもよくしました。自然環境の豊かな所に育ったので、大人になった今も自然の中にいると癒されます。自分も自然のように美しくて癒されるものをつくりたいですし、そういう場づくりをしたいと思っています。井上
場づくりとは?出和
たとえば新作タイトルを「森」としたんですけど、木とか実とか花とか一つ一つ美しいものをつくって、それを一点一点見せるというより、集めて「森」という全体で美しい空間をつくりあげるということです。美しい空間で癒される、そういう場をつくろうと思っていて、空間づくりや展示ではそのことを心掛けています。井上
なぜ最初に出身地についてうかがったかというと、初めて出和さんの作品を見た時、すごく洗練されているし、都会的な印象で、でも何か風土性を感じたので、どういう場所で成長されたのかお聞きしたかったのです。出和
中学の頃、美術部に入っていて、モーリス・ユトリロが好きで、ずっと模写をしていました。灰色画面の中に白がある風景みたいなものがすごく好きで、今考えたら自分の北陸の風景と似ているなと。「光景」とか「風景」には今も惹かれていて、そういうものを最終的につくりたいんです。井上
ご自分の育った環境を、作品の世界観に昇華しているんですね。出和
今は焼き物をやっていますが、ここに至るまではいろいろです。祖父が石川県立工業高校の窯業科を出ていて、家には焼き物や油絵が飾ってありましたし、石川県ということもあって、九谷焼とか輪島塗とか、伝統工芸品は自分にとって身近なものでした。中学では油絵、高校では水彩画をやり、と同時にファッションにもはまって、そしてデザインや建築など立体への興味が強くなって、ものづくりをやりたいと思い始めました。
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井上
金沢美術工芸大学を選んだ理由は?出和
地元の美大で身近でしたし、金沢はものづくりを行うには恵まれた環境で、学ぶにはちょうどよいと思いました。初めはプロダクトデザインを目指そうと思ったのですが、自分には手仕事の方が合っていると気付いて工芸科に進学しました。井上
なぜ焼き物を専攻したのですか?出和
もともと実用品ではなく、絵画経験などから鑑賞するものをつくりたいと思って進学しました。1年生の時に、陶磁、漆、金工、染織などの7専攻のすべてを体験して、その中から2年生で専攻を選択するのですが、私は土の肌合いと磁器の美しさに惹かれて焼き物を始めました。井上
金沢美大ではどのような先生に学ばれましたか?出和
伝統工芸士の原田実先生、伝統工芸士の米山央先生、大学院専任の伊藤公象先生、現学長の久世建二先生に学びました。井上
強く影響を受けた先生はいらっしゃいますか?出和
伊藤公象先生です。焼き物という素材を使って、造形的で、圧倒的に美しい世界観をつくり出されるので、初めて先生の作品を見た時も本当に驚きましたし、今でもすごいと感じます。自分も作品で圧倒的な世界観を出せたらとずっと思っています。井上
大学院に行ったのは?出和
学部の時に、今やっている作品をもう少し深めたいと思ったんです。工芸は設備も要りますし、やっていることを追求するためには勉強も必要と思い、大学院へ進学しました。修士課程を修了する時は就職も考えましたが、展覧会の声がかかり始め、先生からも続けるよう薦められて。続けるための選択肢として、どこかの工房に入るとか窯を借りるとかいくつかありましたが、やっていることを深めながら作家活動をしていくために、さらに知識面や思考面を深めたいと思い、博士課程に進みました。 -
実用品ではなく
鑑賞するものをつくりたい。