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鉱物と造形の間に/パノラマインタビュー 渡辺 遼 panorama interview Ryo WATANABE

Interview 渡辺 遼「鉱物と造形の間に」 1/6

聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子 / Jan. 2014

金属加工による独自の造形を模索してきた渡辺遼さん。少年時代に思い描いたもの、進学や就職にまつわる紆余曲折など、丁寧な語り口からは、一つ一つ経験を重ねながら、自らの想いを純粋に頑固に見つめてきた様子がうかがえます。そのことがいまの物づくりにもつながっていて、作品の静かで豊かな息づかいに表れています。インタビュアーは西麻布「桃居」の広瀬一郎さん。2月に、渡辺遼さんと須田貴世子さんの二人展を開催予定です。

少年時代のこと

広瀬 渡辺さんの仕事を拝見していると、子供時代のことが関わっているような気がするので、今日はまず、どんな子供時代だったのかということからお聞きします。 お父様は登山が好きで、渡辺さんも小さい頃からよく山歩きをしたそうですね。

渡辺 記憶にはないんですけれど、写真を見ると3歳くらいから父親の背負子で山へ行っていたようです。それから幼稚園、小学校の頃も毎年、山へ行っていて、2000メートル級の山にも登ったりしました。

広瀬 山の記憶というのは何かありますか。

渡辺 ごつごつとした岩場や、土の道の横を流れる水、木の連なり、石の間から伸びた草花といった部分的な記憶は鮮明です。小学生になってから、直角に近いような急斜面の鎖場で、鎖をつかみながら登ったことなども覚えています。高学年くらいになると、山頂まで行くことが目的になっていたような気がします。

広瀬 もちろん楽しい体験だったわけですよね。

渡辺 最初の頃はよくわからなかったんですけれど、小学校の遠足で行く山は、団体で少しずつ登るのであまり面白いとは思えなくて、家族で行くのは楽しかったです。

広瀬 でも、いつしか山へ行くことはなくなってしまった。

渡辺 そうですね。思春期になって家族と出かけるのは嫌になって、中学校から部活で野球を始めたこともあって。でも、父親は長野の山が好きで、年に1回くらいは半強制的に長野へ連れて行かれました。登らなくなってからは、遠くから見る山の連なりの形などに惹かれるものがありました。

インタビューイメージ画像:渡辺遼

広瀬 もう一つ、以前、お母様からお聞きしたんですけれど、気が付いたら異常なまでに金属好きな少年になっていたって(笑)。それは振り返るとどうしてだったのでしょうか。

渡辺 小さい頃から乗り物が好きで、とくに自転車が大好き。補助輪を外して乗れるようになってからは、友達と遊ぶと言ったら、自転車でその辺をぐるぐると徘徊(笑)。ちょうど近所にコンクリート造の廃墟があって、そこで拾ったものをいろいろ集めて、蝋燭とかも家から持って来て、基地みたいにして遊んでいたんです。

広瀬 秘密基地ですね。

渡辺 毎日自転車に乗っているうちに、ますます乗り物が好きになって、そのうち自転車より遠くへ行けるのでオートバイに乗るようになったんです。それから車を見るようになって、動く機械に興味がありました。

広瀬 金属という素材よりは、そっちに興味があったわけですか。

渡辺 最初はそうですね。ただ、全部金属でできているし、中学生くらいになって、好きな物はないのかと人に聞かれて考えた時に、金属のそういう質感が好きなのかなと思いました。オートバイはとくにいろんな素材が使われていて、エンジンのところはアルミでできていたり、燃料タンクは鉄だったり、ブレーキのレバーもいま思えばアルミの鋳造です。さまざまな部品のつくりも好きで、いつしか金属のものに固執するようになっていました(笑)。

広瀬 工員になりたいと思ったというのも、その頃ですか。

渡辺 僕が中学生の時に4歳上の兄はもう高校卒業だったんですけれど、勉強する兄を見ていて、自分にとって高校に進学することは果たしてどうなのかと思ったんです。

広瀬 大学以前、高校進学の段階ですでに、働く現場に身を置きたいと思ったのですか。

インタビューイメージ画像:広瀬一郎

渡辺 そうです。映画とかを見ても、チャップリンもそうですけれど、そういう仕事をして日々が過ぎて行くというのがあり得るのだったら、その方がいいなと。

広瀬 毎日同じ仕事をコツコツと積み重ねることは、渡辺さんの性分に合ってそうですけれど、中学生の少年の考えとしてはかなり渋いなあという気がします。

渡辺 あまのじゃくだったんですね(笑)。

広瀬 なるほど。みんながいい学校へ行って、いい大学やいい会社に入るという当たり前のように敷かれたレールの上を行くのは、果たしてどうなのかと。規則とか組織とかにも、ちょっと水が合わないような感覚があったのですか。

車のデザイナーに憧れて

渡辺 そうかもしれないですね。でも、高校は行った方がいいということになって、美術の専門コースのある高校へ行きました。それで社会との接点ではないですけれど、将来の目標を考えて、車とかプロダクトデザインのデザイナーを目指したんです。でも、高校1年生の終わりに、彫刻・絵画・デザインの中からコースを選択することになって、僕は当然デザインだと思っていたんですけれど、担任の先生から「デザイナーになりたいと言うけれど、デザインでやっていける気はしないから止めた方がいい」と言われたんです。

広瀬 それはなぜですか。

渡辺 どうしてかと聞いたら、1年生の時のデッサンや油絵、粘土などの授業を見ていて、彫刻や絵画の方が向いていると。

広瀬 逆に、先生としては評価してくれていたわけですね。

渡辺 でも、あまのじゃくだし、入試の時の面接でも車のデザイナーになりたいと言ったのだからと、デザイン専攻を選びました。そして大学受験の時も、工業デザイン科とプロダクトデザイン科を受けたんです。でも受からなくて、1年浪人することになった時、担任の先生から言われたことを思い返して、彫刻家を目指して見ようかと思ったんです。たまたま高校の夏休みに、近所の自転車屋さんでアルバイトをして、そこのご主人は郵便局のバイク整備の仕事もしていて、その余った部品とか使わなくなった廃材を使って、人物や動物のオブジェをつくっていたんです。

広瀬 渡辺さんも何かつくったのですか。

渡辺 僕はつくっていません。でも、そういう人がいることを知って、面白そうだなと思いました。ただ、この人は自転車屋さんであったり、整備の仕事があったりするからやっていけるのだろうと思ったし、実際にその人もそういう話をしていました。

広瀬 町の彫刻家という感じですかね。同じようなポジションに自分も身を置こうかと考えたのですか。

渡辺 彫刻家か、それとも目指してきたデザイナーにもう少し挑戦した方がいいか、悩みました。海外のデザイナーを見ていると、車にとどまらずにいろんなデザインをしているように見えて、そういう可能性があるなら、やっぱりデザイナーの道を目指そうと思い直しました。工業デザイン科とプロダクトデザイン科を再び受験して、でも直前になって、もしこれで受からなかったらどうするのかと思い、空間演出デザイン科も併願で受けました。

広瀬 そして、武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科に受かったのですね。

渡辺 結局そこだけ受かったので、入学したんですけれど、最初のオリエンテーションの時に、「空間演出デザイン学科と言っても、皆さん何をするところか具体的にわからないかもしれませんが、すべての芸術を総合した学科であり、何でもやります」と説明されました(笑)。

広瀬 それもまたつかみどころないですね。

渡辺 相変わらずわからなかったですね。20歳くらいですべての芸術を総合したと言われても(笑)。

渡辺遼・須田貴世子 二人展

渡辺遼・須田貴世子 二人展

2014/2/7(金)〜2/11(火)
@桃居/西麻布

桃居
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
http://www.toukyo.com