panorama

Interview 西浦裕太 聞き手:根本美恵子(ギャラリー「日々」コーディネーター 文・構成:竹内典子 Feb. 2012

風景を描く彫刻

西浦裕太さんの木彫作品は、見る人を不思議な気分にさせる。子どもの頃によく知っていたような、大人になっても心のどこかに記憶していたような、一瞬にして見る人を惹き込む風景がある。もしかしたら時間の隙間に、こんな風景が広がっているのかもしれない。 インタビュアーは、銀座のギャラリー「日々」の根本美恵子さん。「大人おとぎ話」の紡がれる背景が見えてきます。

スコットランド留学中、
友人の絵画展で衝撃の体験。
絵は人を幸せな気持ちにさせる。
インタビュー風景:西浦裕太

根本
私が西浦さんの作品を初めて拝見したのは2009年のことで、『オウプナーズ』※1というウェブサイトを見ている時でした。あっ、これはおもしろい作品だなぁ、実際に見てみたいなぁと思ったんです。

西浦
実際にその時に開催していた個展に、足を運んでいただいたそうで嬉しいです。

根本
経歴もユニークですね。日本の大学を卒業された後、日本を離れて世界を渡り歩いていらっしゃる。思惑がありそうでないような、脈絡がありそうでないような国々を。何か目的があったのでしょうか?

西浦
僕は一般の大学に通っていたんですが、その頃はまだ美術を志すという気持ちはなくて、ただ当時から絵を描いていたんです。それと同時に、映画をつくりたいと思っていて、在学中に1年間、映画学部のあるスコットランドの大学に留学しました。でもそこでの1年間、実際は映画のことはほとんど学ばず(笑)。知り合った 大学生、といってもその頃で50歳近いおじさんなのですが、パステル画を描いていて、彼の初めての個展に遊びに行った時に、ものすごい衝撃を受けたんです。絵で人をこんな気持ちにさせられるんだと。それから少しずつ、自分も見てくれる人の気持ちを動かすものがつくれたらいいな、素敵だなって、じわじわと感じるようになったんです。

根本
そうですか。

西浦
それから日本の大学を卒業して、半年間アルバイトをしてお金を貯めて、絵の勉強や、何か触発されるものを求めて、アフリカのタンザニアに行きました。バガモヨという小さい村に美術大学があって、Eメールとかもないところだったので、何通書いたかわからないくらい手紙を書いて、電話もして、3ヵ月間くらいアプローチを続けたんですけど、来てもいいよという返事がなかなか来ない。それで待ちきれずに行ってしまったんです。学校を訪ねたら、「おぉ、 待ってたよ」って言われて(笑)。

根本
なるほど。いつ頃のことですか?

西浦
1998 年です。その地を選んだ理由は、実は絵の勉強のほかに、彫刻もあったんですね。マコンデ族という部族が彫る黒檀彫刻があって、その人たちが活動していることと、学校にはスウェーデン政府が支援しているスカルプチャープロジェクトというのがあって、主に東アフリカの地域から彫刻をやりたい人、その技術に優れた人たちが 20人くらい生徒として集まっていたのです。先生の一人がマコンデ族の人で、僕が勉強したい理由を説明したら、スカルプチャープロジェクトに入ってみるよう言ってくれて。最初は見ているだけでしたが、そのうちにやってみろということになって、それで鑿(のみ)を持つようになりました。

根本
絵というものと、彫刻というものを、すぐに置き換えられたのでしょうか?

西浦
もともと平面と立体という隔てをそれほど意識していなかったんです。でも、その頃はまだ、彫刻をやっていこうという気はほとんどなくて、むしろタンザニアから帰国してからも絵を続けるつもりでいて、水墨画を学べる学校へ通いました。マコンデ族に伝わる伝統的な美術を学んだ影響もあって、日本画ではなくて中国の水墨画というものを見直して学んでみたいと思ったんです。でも、彫刻をパタッとやめたわけでもなくて、ちょこちょこ小さいものは彫り続けていました。

日本の大学を卒業後は
アフリカ・タンザニアの美大へ。
伝統的な部族彫刻を学んだ。
インタビュー風景:西浦裕太
帰国後に中国水墨画を学びながら
絵や彫刻作品を制作。
やがて活動拠点をドイツへ。
インタビュー風景:根本美恵子

根本
一度日本を離れたことによって、東洋の持っているいいものを吸収したいという気持ちになり、水墨画を選んだということですか?

西浦
そうです。それから水墨画のもっている即興性に対してもすごく興味がありましたし、その点ではマコンデ彫刻と何か近いものがあるような気がしていました。

根本
なるほど。

西浦
水墨画を学んでいちばん大きかったのは、構図を勉強できたことです。水墨画は黒と白の世界で、黒い墨を使って白い紙に描くけれども、実際は白い余白を描いているというか、余白をつくり出すものなのだと思います。その上で重要なのが構図で、その時に習ったのは、四角い紙の中に三角形で図面を構成するということ。それがすごく自分の中に残っていて、彫刻という立体になっても、構図について考えますね。

根本
アフリカに行かれたことによって、東洋に目を向けられて…。その後、ドイツに行かれたというのは何かご縁があったのですか?

西浦
あの当時は常に次の世界、地に飛び込んで新しいものを吸収したいという思いがありました。水墨画の学校を卒業してからしばらくの間、制作を続けながら、今度はヨーロッパで活動しようと思ってアルバイトをしていたんです。その時にドイツ人と知り合って、それが縁でドイツに行くことになりました。アンゼルム・キーファー※2というドイツの作家がいるんですが、ドイツに伝わる民話とか戦争の暗い歴史とかを、立体と平面を分けるのが難しいような作品に表現する人で、僕は彼の作品がすごく好きだったんですね。それもあって、次はドイツかなと。

※1:オウプナーズ
ウェブマガジン『OPENERS』。ライフに関わる事柄を多ジャンルに渡って扱う。坂本龍一(ミュージシャン)、祐真朋樹(ファッションディレクター)なども執筆・参画。

※2:アンゼルム・キーファー
1945年生まれの戦後ドイツを代表する画家。ナチス、大戦、聖書、古代神話などを題材とし、下地に砂や藁、鉛などを混ぜた大画面に描く。1980年代以降は、藁や鉛など、素材の物質性を強調した作品が多い。

Artist index Yuta NISHIURA