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Interview 竹内紘三 聞き手:井上典子 文・構成:竹内典子

時間を感じさせるものをつくりたい

大阪芸術大学を卒業後、多治見市陶磁器意匠研究所に入った竹内さんは、産地で技術を深めた後に、兵庫県の自宅に工房を開設。白磁でオブジェと器をつくり続け、一方で時を刻む石のような陶器もつくり始めた。独自の表現を求めて、時には大胆に試行錯誤を重ねていく物づくりは、技術も生きていて清々しい。釉薬やテクスチャーのテストを繰り返し「やっと物になってきた」と、ますますのってきた様子である。

大学2年生の時、
"手の中に物ができる"
ってことが楽しくなった。
インタビュー風景:竹内紘三

井上
陶芸はいつ頃から始められたのですか?

竹内
大学に入ってからです。小さい頃から図工や美術は得意で、中学の先生にも美術の方面へ進むことを勧められて、ずっと美大へ行くつもりで絵ばっかり描いていました。美大といえば大阪芸大しか知らなかったし、本当はデザインに進みたかったんですが、工芸学科しか受からなくて。大阪芸大では1回生から専攻コースを決めて4年間やっていくんです。工芸学科は、陶芸、テキスタイル・染色、金属、ガラスの4コースあって、そこで陶芸を選びました。

井上
陶芸を専攻してみて、いかがでしたか?

竹内
2回生くらいから、楽しくなってきましたね。"手の中に物ができる"っていうのが。平面ではなく立体でできるってことが面白いなと。でも、その頃、うっかり留年しちゃったんです。一般教養で1単位だけ足りなかった。親にも謝って、学校を辞めようかとも悩みましたけど、陶芸が楽しくなり始めた時だったし、もっと本気になろうと思い直しました。そこから熱くなりましたね。

井上
学生時代はどんな物をつくってましたか?

竹内
オブジェですね。好きな形ができるので手びねりで。大きい作品にも挑戦していました。課題があったので轆轤や石膏を使った型成形など、一通りのことはしましたが。

井上
卒業後に多治見の意匠研※1に行かれたのはなぜですか?

竹内
陶芸に気持ちが入り込んでいて、作家とまでは考えてなかったですけど、陶芸関係の仕事に就きたかった。でも、すぐに働くという自信がなくて、先生からも産地に行ったらどうかという話があって、それで多治見に行くことにしました。

井上
意匠研を卒業して活躍する作家さんが注目され始めた頃ですよね。入るのも難しくなっていたでしょう?

竹内
そうですね。2~3年くらい前から難しくなったような時でしたね。

井上
意匠研での2年間はどうでしたか?

竹内
陶芸漬けでした。当時の意匠研は、朝9時から5時までだったんですね。僕はあまり朝からは行ってませんでしたけど(笑)。5時に終わって、それからみんなでバイトに行くんです。製陶所で、釉掛けを1日何百個とか、窯出しとかして、夜の9時過ぎくらいまでかかる。そうすると自分の物をつくる時間がないので、仲間4人で貸しアトリエを借りることにして、バイトが終わってからそこへ行って、夜中の12時を過ぎることもよくありました。陶芸の話もしたし、とても楽しかったですよ。

井上
製陶所の仕事も面白かったでしょう? 学校では教わらないことがわかるし、いい経験だったのではないですか?

竹内
そうですね。意匠研を卒業後は、個人の手づくり工房で、2年弱くらい働きました。そこは百貨店や雑貨屋さんに卸している所で、轆轤も挽いてましたし型物もつくってました。

井上
産地で働くというのは、いい経験ですよね。器をつくるには、重さとか使い勝手とか大事だし、産地が培ってきたノウハウがありますからね。ご自分ではどんな物をつくっていたのですか?

竹内
意匠研ではいつも課題に追われていましたね。借りていた工房では、知り合いの飲み屋に頼まれて、練習がてら湯飲みとか小皿などを何十個もつくって、それを使ってもらったりしました。でも、作品という作品はつくってないですね。大学時代の仲間のグループ展などに出展したり、ちょっと変わった器、使いずらそうな鉢やカップなどをつくっていました。あとは公募展に出品したり。

多治見では陶芸漬けの日々。
熱い仲間もいて、
陶芸に夢中になった。
インタビュー風景:竹内紘三

※1:意匠研
多治見市陶磁器意匠研究所のこと。
http://www.city.tajimi.gifu.jp/ishoken/

Artist index Kouzo TAKEUCHI