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Interview 佃 眞吾/聞き手:根本美恵子さん (ギャラリー「日々」 コーディネーター)

求めて出合う、木の仕事

佃眞吾さんは、刳物、指物、象嵌、漆など、多様な木の仕事を一人でこなす。その振り幅や深さみたいなものは、どこから生まれてくるのだろうか。今回のインタビュアーは、11月に佃さんの作品展を行うギャラリー「日々」の根本美恵子さん。佃さんが転職後、自ら求め得てきた出合いや技術、職人そして木工作家となるまでの道のり、伝統と現代を小気味よく行き来するものづくりなど、佃さんらしさを凝縮した内容です。

自分で何かを手がけたくて転職。
家具屋さんの見習いからスタート
佃 眞吾:インタビュー風景

根本
私が最初に佃さんを存じ上げたのは2007年頃です。四日市の「ギャラリー雲母(きらら)」さんで、高仲健一さん*1と佃さんの二人展があって、そのDMを見せてもらいました。こういう素晴らしい木工作家さんがいらしたのかと思い、高仲さんを介して佃さんとコンタクトを取って、2008年に銀座の「日々」で作品展をさせていただきました。まだ佃さんは独立されて間もない頃でしたね。


はい。独立前の2004年頃から、焼き物の作家さんとの二人展という形で発表を始めました。勤めながら作品をつくっていて、拭き漆のものが多かったです。当初は二人展ばかりで、個展は日々さんの時がまだ2回目でした。

根本
ご出身は滋賀県の長浜ですよね。京都へはどんなきっかけでいらしたんですか?


22~23歳まで大阪にいて、画材屋さんに就職していたのですが、やっぱり自分で何か手がけたいと思うようになったんです。漠然と大工さんとか、そういう仕事がしたくなって就職先を探して。でも、現場監督ならほしいと言ってくれてもなかなか大工さんは難しい。そんな時に、友人の家が京都でベニヤ家具をつくっているとわかり、「家具をつくれたら家もつくれるで」という話になって(笑)。現場監督より家具づくりの方がいいなと。それで京都へ来て、その家具屋さんに一から見習いとして入りました。

根本
画材屋さんに就職されたのは、どうしてだったのですか?


父親が絵を描いていたこともあって、画材を扱うというのが、何かおもしろいかなと思ったんです。でも働いてみると、扱っているものは画材だけど、やっていることはいわゆる問屋さんの営業的な仕事でした。

根本
転職した家具屋さんにはどのくらい勤められたのですか?


5年勤めました。その頃、通勤途中に「黒田乾吉木工塾」という看板が出ているのを見て、自分も木工をやっているけど全部ベニヤでつくっていて何か違うなぁと思って、どんなことをやっているのかと覗いてみたんです。そうしたら、刳物(くりもの)のお盆をつくっていて、その木に漆を塗って仕上げるという、木工と漆の一貫作業をやっていたんです。塾の生徒さんには作家さんもいて、先生が黒田辰秋さん*2の長男の乾吉さんでした。でも、僕は辰秋さんのことも工芸のことも全く知らなかったんですよね。

根本
そうでしたか。


「先生はどんな物をつくってらっしゃるんですか?」なんて失礼なことを聞いたりして(笑)。でも、これで食べていけるんやっていうのがわかって、やってみようと思ったんですよ。仕事を終えてからの夜6~9時に週3日通って、刳物の勉強と漆の勉強をしました。通う内に、いつしか工芸の世界にどっぷりはまってしまったんです。

根本
骨董への興味も、その木工塾に通って目覚めたんですか?


そうですね。民藝を知ったのもそこですし、そこからの展開が大きいですね。

根本
家具屋さんで収入を得て、木工塾で技術を学ぶ。その二つがあってよかったですか?


木工でもいろんな木工があるんだとわかって、知らなかったことを教えていただいて、より伝統的な仕事を覚えたいって思うようになりました。当時はまだ木工作家で食べている人は少なくて、先輩を見てもなかなかそれだけでは食べていけない。僕は“食べられる木工がしたい”と思ったんです。それで逆に、作家になるより職人になろうと。

佃 眞吾:インタビュー風景

佃 眞吾:インタビュー風景
働きながら木工塾で学び
京指物の職人に
佃 眞吾:インタビュー風景

根本
あえて職人志望だったのですね。


京都に指物組合というのがあって、当時はタウンページを見ながら電話をかけまくって就職先を探しました。でも、どこも受け入れてくれなかった。この仕事は斜陽産業だから人を雇うつもりはないと、門前払いみたいな感じです。ところが1軒だけ、「よかったら話聞いてあげるからおいで」と言ってくれて。そこの人が紹介してくれて「井口木工所」に入ることができました。京都というのは、なかなか電話では難しいこと言いますけど、コネクションに入れば話はトントン拍子なんですね。

根本
井口木工所というのは、どういうところでしたか?


京都で何代も続いているところで、調度指物と言って、京箪笥、桐箪笥、机など主に家具をつくっていました。実はそこに就職する前、木工塾に通いながら毎週日曜日だけ、70代後半の指物師さんに頼み込んで、指物の勉強をさせてもらっていたんですね。辰秋さんの指物仕事の下職をしていた方で、その方が以前働いていた会社も井口木工所でした。僕が就職した時は、高卒からずっと住み込みで働いているという50代後半の職人さんが3人いて、僕はまだ26~27歳でしたから、厳しかったですが、大事にしてもらいました。

根本
どのくらいの期間、働かれたのですか?


そこに10年いたので、最初の家具屋の5年と合わせて15年間、職人をやっていました。

※1:高仲健一
たかなかけんいち 1966年茨城生まれ。陶芸家・書家・画家。独学で漢籍、水墨画、朝鮮・中国の古陶磁を探求、独自の精神性をもつ作品をつくる。

※2:黒田辰秋
くろだたつあき 1904~1982年京都生まれ。木工家・漆芸家。民藝運動に参加。重要無形文化財保持者(人間国宝)。

佃眞吾作品展

佃眞吾作品展

2012.11.9~14
@エポカ ザ ショップ銀座 日々

2012年11月9日(金)〜14日(水)

「木は植物です。
五感で見る事のできる素材。
落ち着きさえ感じさせる木目に
魅入ってしまうことがあります。
昔から、木の文様を「杢」(もく)、
木肌の変化を「産つ」(そだつ)と
愛でられてきました。
無意識のうちに手にとってみたくなるのは、
そのためでしょうね。」
ー 佃眞吾

» エポカ ザ ショップ銀座 日々
03-3573-3417
東京都中央区銀座5-5-13
●地下鉄 銀座駅B6出口より3分