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パノラマインタビュー:林友子

パノラマインタビュー友子(ゆうこ)さん
「日々と呼吸する“額”」
聞き手:山内彩子さん(Gallery SU(エス・ユウ)

文・構成:竹内典子 / Oct. 2017

部屋の光のわずかなうつろいに、息を合わせて表情を変えていく林さんの額。質感や色彩の美しい佇まいは、木地からつくり、何層にも土を塗り重ねていく独自の手法によるもの。派手さや加飾とは無縁なところで、日常の風景に静かに寄り添います。西洋の額づくりに始まった林さんですが、西洋的な固定概念にとらわれることなく、日本の暮らしに合う使い方や楽しみ方を背景に制作。目指すは、飾る物があってもなくても存在できる額といい、どこか禅にも通じるような林さんらしい発想です。インタビュアーは、Gallery SUの山内彩子さん。林さんの額に寄せる想いの理解者でもあります。

西洋の額づくりと左官の出会い

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山内 額の制作を始められた経緯からお話いただけますか。

私はここに住んで4代目になるんですけれど、仕事の内容は代々少しずつ変わっていて、初代は炭屋で、なら炭や炭団(たどん)などを扱っていました。その後、一般の人でも木場から原木を仕入れて商売できるようになったのをきっかけに、2代目である私の祖父が製材屋を始めました。最初は木場から職人さんを連れて来ていたんですけれど、それを見ながら祖父自身が刃の目立てや挽き方を覚えて製材するようになりました。そして、父の代になって、ここは東京芸大が近いので、保存修復の方や絵描きさんが、こんなものをつくりたいという相談に来られるようになって、そこからだんだんと額縁の木地をつくってもらえないかとか、絵のパネルをつくってもらえないかというお話になり、特に、黄金テンペラ用にハニカムを入れて狂わないようにした、特注パネルをオーダー制作するなど、美術関係の仕事にも関わるようになったんです。桟の太さ、奥行きなども特注でしたので、桟組や製材は、その時に見て覚えました。

写真:林友子さん
林友子さん

私も最初は父の手伝いで、パネルをつくったり、木地をつくったりしていました。木地からつくって額を塗るという人は、テンペラ画など古典技法の絵を描く方に多かったので、いわゆる西洋の昔の宗教画に使うような額と同じように、木地に石膏を塗り、箔を貼ったり彩色してつくる場合が多かったんです。そのうち自分で仕上げまでやってみたくなりました。木地でしっかりつくっても、仕上げの石膏とか上塗りの段階で、どう形をシェイプしていくかによって、ラインやニュアンスも変わってしまうので、そこまで自分でやりたいなと。最初は本を見て自分なりにやっていたんですけれど、なかなかうまくいかない所があって。それで、黄金テンペラという技法を教えている芸大の教授から、よく父は枠やパネルを依頼されておりましたので、その先生にご相談したところ、アトリエで教えて下さることになりました。自分でつくったものがある程度たまったら持参して、直してもらったりアドバイスしてもらったりということをしばらく続けました。

という感じで、最初は西洋の額の模倣を、自分なりに少し形を変えるくらいのところから始めたんです。その頃から木地も自分でつくっていて、外注するとほんのあと1ミリ形を直したいという時でも思うように直せないこともあるので、自分でつくりながらおかしなところを直していくことができるというのはいいなと思っていて、今でも続いています。

山内 テンペラの先生に学ばれた時に、素材として土と出会ったのですか。

もともと古典技法の箔の貼り方というのは、ボーロという西洋の水簸した赤土を練って(にかわ)で溶いたものを塗り、そこに水を打ち、箔をのせます。すると、水分をボーロが吸収しながら、箔が時間をかけて密着していく。それをメノウで磨いて、アイロンがけみたいに金箔の皺を伸ばしていくという技法です。採っておいた赤土を水簸して、ということを、西洋でも昔からやっていたんですね。ボーロはいろいろあって、それが赤土だということを先生から見せてもらって知りました。それまで土は茶色というイメージしかなかったので、色土があるんだと驚いたんです。

写真:ボーロ
ボーロ

ちょうどその頃、今のリクシル(当時はイナックス)で、日本の大津磨きの展覧会をやっていることを、雑誌「コンフォルト」で知って見に行きました。白とか黄色とか薄いブルーグリーンとかさまざまあって、日本にはこんなにいっぱい色土があるんだと感動しました。よくよく考えたら、日本は陶芸の盛んな国だし、国土も南北に長いし、いろんな種類の土が採れるわけですね。その時のコンフォルトに、千石在住の左官職人さんが紹介されていて、私の家から近いのでちょっと訪ねてみたんです。そこで、土を石灰と混ぜて、それを塗って乾いたら磨く、という技法が日本に昔からあったということに気が付いて。それは大きなきっかけになりました。

色土と出会う前から、西洋の額の模倣に、何かしっくりこなかったんですね。もともと自分の文化にないものだけに。重厚で天井の高い西洋の建物の暗い所にはいいのかもしれないけれど、それを日本でするのは重い感じがして。自分でつくるなら、日本人なりの感覚を生かした額をつくれないものかと思っていたんです。

写真:日本各地の土のサンプル
日本各地の土のサンプル

山内 いわゆる西洋風の額装には、すごく繊細な絵なのに、高名な画家の作品だからなのか、装飾過多な額装で、額が絵をダメにしているなぁと思うようなケースも見かけますね。

それは西洋でも昔からそうだったみたいです。絵を売るために、縁の太い額で存在感を強めて豪華に見せるというのは。もともと額縁の役割はそういうものだったんでしょうけれど、私はそうではない所に行きたいと思っています。10月のSUさんでの作品展の時に、見てくださる方にお話しようと思っていることでもあるんですけれど、私は、室礼の道具としての役割とか、昔の日本の床の間に変わる現代の軸みたいな役割というものを、額で表現したいんです。たとえば焼き物は、その景色を見て、使う側がいろんなものを想像して名前を付けたり見立てたりしますよね。そういう感覚で額を使っていただくには、素材は何を使ってつくったらよいのか、ということも大事になってきたんです。

山内 そこで、土という素材につながるんですね。

私はボーロ下地を塗った時に、より金箔がきれいになるように、下地もメノウで磨くんですけれど、金箔をのせる前の、ボーロを磨いた表情のままで十分きれいなだぁと感じていました。そのまま残したいのですが、膠が入っているので、日本だと夏は戻ってきてベタベタしちゃうんです。ベタベタしないように上からコーティングみたいにニスのようなものを掛けると、今度は微妙に出っ張ったところと引っ込んだところの差がなくなって、樹脂みたいにペターッとしてしまう。何かよい改善方法はないかなとか、漠然と考えていました。

千石の左官さんを訪ねたのは、ちょうどそんな頃だったので、そこでいろんな土とか磨いた物を見せてもらって、もしかしたらこれでできるかもしれないと思って。度々遊びに行っては、どうやって配合しているのかなど、見て学ばせてもらいました。左官は(こて)で塗るものなので、曲面もそれに合う鏝をつくって塗るんですね。でも、「昔は椿の葉っぱでやっていたんだよ」という話を聞いて、それなら椿の葉に代わる物としてゴムベらとかでもいいし、極端に言ったら鏝で抑えなくてもいいんじゃないかなと思って。基本的なことは、左官の大津磨きの石灰と粘土を混ぜるというところであっても、全部そのまま私がやる必要はないと気付いてから、道具や材料を自分で試行錯誤するようになりました。

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山内 目的が違いますものね。左官の方は、たとえば建物の壁に塗るとか、もっと大きな面に塗るための技術だと思います。

壁の場合は、均一であるということがとっても大事ですが、私の場合は逆に、均一でない方がいいわけですね。日本人は几帳面だから、額もどうしてもキチッとつくってしまう。左右のバランスをあまり崩してしまうとわざとらしいけれど、いい感じには崩したいんです。というところで、土のままならなさは、ちょうどいい感じになるというか、あまりキチッと出来過ぎないんです。それで、もともとは金箔から始まったんですけれど、だんだんと土で塗って行くという方向になりました。

当初は、大津磨きのようにピカピカに磨くことがいいと思っていたのですが、次第に、少し雑味があった方がいいとか、逆にマットな光らない美しさもあるとか、表現の幅を広げたくなりまして。それで時には自分で採りに行ったりして、さまざまな粘土をストックするようになりました。精製したものではないので、原土を()いて(ふる)い、細かさの種類を調整したり、そういうふうにして、だんだんとバリエーションも増えてきました。

色や質感を纏う、手づくりの額

山内 私が初めて林さんにお会いしたのは、当時私が勤めていた「ギャラリー無境」に作品を見せに来てくださった時なので、たぶん10年くらい前です。林さんが土をご自分のやり方で生かすということを始められて、しばらく経っていた頃。ただ、それをどうやって発表していくか、ということを悩まれていた時期ですよね。

写真:山内彩子さん(Gallery SU)
山内彩子さん(Gallery SU)

そうですね。無境さんには、自分で考えてつくった額を何枚か持ってうかがいました。あの頃すでに、室礼の道具というか、額があって、そこに花か何か置いてとか、そんなふうにして飾ってもらいたいなというのは思っていたんです。そういうことをわかっていただけそうな出会いはないかしらと(笑)。一般的に絵の付属品という扱いで、額は絵を引き立てるための物というふうになってしまうので、そういうところには出したくないなと。

山内 無境のオーナーも私も、林さんの作品には一目惚れでした。すでに土を使っていて、今の作品に通じるものもあって、見せていただいたその場で、いくつかの額を預からせていただきました。何か額に合う物がみつかった時に、使わせてもらいたいということで。それと、無境には編集者の方やいろんな方がお見えになるので、林さんの作品を見ていただく機会もあるのかなと。私自身も時折眺めては、きれいだなぁと、何かこの額が生きる作品があるといいなと思っていました。額自体が作品としてきちんと成立している分、中身が何でもいいわけではなくて、やっぱりお互いが生きるものに出会ってほしかったので、そういう意味では、何かを入れるということは難しくて、しばらくお預かりしたままになってしまったんです。

ようやく、作品を入れて展示できたのは、無境で2009年に開催したロベール・クートラス展の時でした。林さんの額を生かすことができて、それが無境の目の厳しいお客様たちにも、たいへん好評でした。いきなり、ぱっと額が目に入るという感じではなくて、まずクートラスの作品を見てくださるんですけれど、ずっと見ている内に「この額すごくいいね」みたいな感じになって。ジワジワと伝わって行くというか。それで私もやっぱりよかったなぁという思いで、毎日眺めていました。

ジワジワわかってくださるのは嬉しいことです。

山内 2009年末に無境が閉廊した後、クートラスの展覧会をオープニングにして自分でギャラリーを開くということを決めまして。いくつかの大事な作品は、林さんに額をお願いして、いずれは個展をしてほしいというお話もしました。ギャラリーSUのオープンは2010年10月で、林さんの最初の個展は2012年4月、2回目が2年後の2014年でした。そして、この10月に3回目を迎えます。

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2010年10月に開催のロベール・クートラス展での額装
(左:グァッシュ作品を額装/右:カルトを2枚のアクリル板で挟む形で額装)

SUさんのオープニングの展覧会で、クートラスの作品のいくつかを額装させていただいたことを機に、私の額もだんだんと認知されるようになってきたという感じです。

山内 きっかけの一つというか、やっぱり相性がすごくいいんですよね。クートラスの作品と林さんの額は。ただ、その頃は、いきなり額だけで展示をして、そこで額を作品という意識で皆さんが見てくださるかというと、まだちょっと時期が早いかなという気もしていて。なので、まずは林さんの作品の素材とか色彩の感覚とかの魅力をたくさんの方に知っていただこうと考えまして、最初の個展は、オブジェという形で作品をつくっていただきました。「車輪石」というイメージの作品は、彫刻として飾ったり、ペーパーウェイトとして使われる方も。それこそ見立てもできて、持って下さる方によっていろいろな楽しみ方ができる作品です。

写真:GallerySU DM
左:2014年「林 友子 記憶のとびら」/右:2012年「林 友子展」

「棒オブジェ」の作品も、こちらからお願いして発表していただいたんですけれど、林さんのアトリエにあった額縁の部分見本が、すごくきれいで感動したんですね。もうこれだけで作品になっていて、これがほしいと思ってしまうくらいで。それで、まずは額の一部を切り取って、オブジェにするという感覚でつくってほしいとお話して、後は林さんにお任せしてつくっていただきました。これだけ細い華奢なつくりでは、実際の額としてはもたないですから、これはあくまでイメージとして額の一部を切り取った作品です。細部もそれぞれ異なり、同系色でも違う色の土を塗って仕上げてくださっています。たくさんの方が、「本当にこれが土ですか?」と驚かれ、林さんが最初に色土と出会った時のように、土という素材自体の美しさに初めて触れてくださったようでした。最初の個展の時から、こういう額なら、林さんにオーダーしたいという方がいらして、徐々に増えてきました。

2回目の個展では、記憶の断片とつながるもの、というイメージで、掌に乗るようなささやかなものをたくさんつくっていただきました。

写真:棒オブジェ
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こういうオブジェ的な物も、額も、自分では同じような気持ちでつくっているんです。あまりキチッと完成していないというか、余白がたくさんあって、それを手に取った方が自分で自由に少し遊べるようなものを、というのがオブジェでも額でも共通する想いです。あまりこういうふうに見てもらいたいとか、こういうふうに考えてもらいたいとか、決めつけない物の方がいいと思っています。棒オブジェも、何本選んでもらってもいいし、1本だけでもいい。音符みたいにリズムみたいに、受け手の方が自分たちで楽しんでいただけたら。

山内 「球」も、最初は作品という意識では発表していなかったですよね。あくまで土見本というか、林さんは土にはこんなに色や質感のバリエーションがあってというところを見てほしいという思いでいらした。ゴロゴロッと並べられていて、とくに販売はされていなかったんですけれど、すごくきれいだったので、ぜひうちで個展をしていただく時には、作品として出してくださいとお願いしました。

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泥団子とか、こういう土の球をつくっている方はたくさんいて、最初は作品として出すことに抵抗があったんです。でも、私のつくる物は、泥団子のようにピカピカに光らせるものとは別なふうに出来上がるし、これはこれで作品としていいんだと自分で思うようになって。いろんな大きさをつくってみて、やっぱり今のサイズが、いちばん手の納まりもよくて。中に鉄を入れているんですけれど、持った時の掌の中での重さとかも考えていて、いわゆる泥団子とはちょっと違うつくりなんです。

山内 実際に展示してみたらすごく好評だったんですよね。とくにご自身で何か物をつくられている方が惹かれてくださって、この究極のシンプルさと、それでいてこの中にいろんな魅力が込められているところが、ずっと見ていて飽きないと。自然物に近い感覚で、多くの方が見てくださったのかもしれませんね。

今はこれを作品としてよかったなぁと思っています。

山内 林さんは額の中身となるようなもの、オブジェ的なものもつくられるし、他にも、挿花家の雨宮ゆかさんからのご提案で、花に寄り添う作品とか、サンドリーズの高野澄恵さんからのご提案で、古い物のための額や台もつくられていますよね。SUでも、秋野ちひろさんや鎌田奈穂さん、郡司慶子さんからの依頼で、彼女たちの作品に合わせる額をつくっていただいています。いろんな方たちとの協働作業というのも生まれて来ていると思いますが、その辺の面白さについてはいかがですか?

写真:GallerySU DM
左:2014年10月 鎌田奈穂展「景」@Gallery SU
右:2016年9月「林 友子 作品展」@桃居(挿花:雨宮ゆか)

最初は額だけではなかなか発表できなくて、何か他の物と合わせてというのがきっかけだったんです。額って何を入れたらいいのかわからない、ってよく言われて、それなら花でも入れたらどうだろうかと、花が入るような額などをつくり始めました。もともと自分は植物が好きなので、そういうことをしてみたらすごく楽しくて。だんだんと、同じように余白遊びということのつながりですけれど、お花に寄り添うものということで、オブジェ的な物とかいろいろつくるようになって、さらに楽しくなってきたんです。

額の仕事と、それ以外の花に寄り添う物とかオブジェとか平面の仕事とかの関係は、相反するものというより、どちらかというと、ピンアートでグッと押すとできる凸と凹みたいな間柄です。グーッと強めに押す時とちょっとしか押さない時とあって、同じ形の中の出っ張った形と引っ込んだ形というか。どの作品も凸と凹の関係というか、お互いに行きつ戻りつしてできている形というのは、自分ではすごく関連性あることで。オブジェとか塊をつくっている時に、逆にこれは額に生かせるかもしれないという発見もあったりして、行ったり来たりするのもすごく面白いです。そんなふうにして自分の中では共存していて、そのバランスが今ちょうどいい感じです。

サンドリーズの高野さんがこれをと選んで出される物は、自分だったらやりにくいから選ばないような物もあったりして、自分の中に別な引き出しができたりするので、それもまた面白いんですね。自分とは違う目線の、いろんな方々との関わりの中でやっていくと、思いもよらなかった表現が引き出されたりして、新しい発見につながったりします。

写真:GallerySU DM
2016年12月「古代女子展II」@サンドリーズ

山内 林さんの方からどなたかに、作品の一部をお願いされることもありますね。

額装させていただく機会に、作家さんやいろんな方と知り合えるので、たとえば鉄の作家、田中潤さんにお願いして、自分の作品の一部を鉄でつくっていただくこともあります。こちらが依頼される仕事とは、また逆に広がって行くという楽しみもあります。

日本的な額のあり方を模索して

山内 ふつうに額縁屋さんにオーダーする額と、林さんにオーダーする額の違いについて、教えていただけますか。そもそもつくり方自体が違うと思いますけれど。

いちばん簡単に言うと、私の額は、仕上がった状態で四方の角に斜めの線が入っていないということです。以前、お客様から「なぜ林さんのつくる額には四方に線が入ってないんですか?」と言われたことがあって、初めはその質問自体に驚いたのですが、いわゆる大量生産の棹で出来上がったものを、カットして組み立てた額の方が一般的になってしまった。私以外にも木地を組み立ててから箔貼りする額屋さんは今でもいらっしゃるのですが、目にする機会が圧倒的に少なくなった現状に、改めて気が付きました。私は、木を製材するところから木地をつくっていて、四角く組んだ後、留めの所にチキリという三角の板を差し込み補強します。糊が乾いたらはみ出した部分を削り、チキリ部分の木地収縮を軽減するため、パテを塗り、それから布を貼って、何層にも土とか石膏とか箔とかを塗っているので、斜めの線が見えないんです。工程としては下塗り中塗り上塗り、仕上げの磨きという具合に何工程にもなるので、意外と工芸的な技術をいろいろ使わないとできないものなんですね。特に、土は一度に厚く塗ると割れるので、乾かしながら少しずつ、細かい粒子がのったら、だんだんに粗い粒子を重ねていきます。市販の額は、型で樹脂みたいなものを抜いて、模様を付けたり、それを塗装して、金箔風に仕上げたり、古びのあるように仕上げたりというのが主流。こういう工程は、あまり知られていないのかもしれません。

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山内 漆のお椀の状況とも似ていますよね。たくさんの工程を重ねていくということもそうだし、パッと見ただけでは樹脂でつくられた物と、木地から丁寧につくられていった物との違いを、見極められる方は少ないのかもしれません。だけど、やっぱり毎日眺めたり、お椀のように触れたりしていると、全然違うということをわかってくださる。だから、林さんの額も、毎日眺めている内に、どんどんよさがわかってくるというのは、いろんな方がおっしゃっていて。光の当たり方で色彩とか質感とかが違って見えてくることもあるし、日々いいなぁと心から思えたり、気持ちがいいということは、やっぱりすごいことだと思います。ご自宅に飾っている方は、そうやって良さを楽しまれています。

変わらない物ってないと思うし、漆の根来みたいに使っている内に、だんだん下地が見えてくる美しさというのもあると思うんです。私の額も土の塗り物なので、多少欠けたりとか剥げたりとかいろんなことあると思いますけれど、キチッと下地をつくっておけば、それも味わいとしてありになる。市販の額の多くは、下地の段階で布を貼ってまではつくらず、塗装は木地に直なんですけれど、私の額は、土から少し下地が出た時に布の感じとかも見えた方がきれいかなと思っていて。布の使用には強度や接着の意味がありますけれど、私はそういうことも考えてつくっています。仕上げ方によっては、あえて木地に直塗りする時もありますけれども。

もともと、使う内に生まれる美しさは好きでした。そういう物に近いというか、同じような感じで使える素材として、やっぱり自分には土がいいかもしれないと思ったきっかけでもあります。

山内 そういう意味でも、西洋的な美しさの感覚とは違いますね。できた時がいちばん美しいのではなくて、それこそ育てる悦びというか。欠けたり、多少削れたりということをマイナスに捉えるのではなくて、それも味わいだし、一緒に暮らしているからこそ自然に起きたことだと受け止める。たとえば手元の陶器のお皿や茶碗が欠けたら、繕って大事にして、繕いがむしろ自分の物である証になるような、それに近い感覚。最近は、結構若い方からもぜひ林さんに額をお願いしたいと言われます。たぶん説明しなくても、そういう感覚を皆さんわかっていて、だから林さんの額に惹かれてくださる方も増えているのでしょうね。

日本人は、お花を飾る時に、身近にある物を花器に見立てて使うことってよくありますよね。見立てとか遊びとか、そういう日本人ならではの感覚みたいなものを、もう少し額にも使ってほしいし、使えることに気付いてほしいんです。一般的に額は中身が入ったら完成品で、そのまま違う使い方はしないですよね。でも、自分で全然違う中身に入れ替えれば、一つの額でいろんなものに転用できます。版画や絵や写真を入れるのもいいですけれど、小さな木の実とか、拾ってきた欠けらみたいものとか、自由に好きな物を入れて楽しむのもいいですよね。たとえばお客様をお迎えするのに、額を使ってその方をイメージした何かを玄関に置いてお迎えするのも、ちょっとした室礼です。遊び方次第で、額はいろいろ転用、多用できるので、そういう使い方の感性みたいなものを、わかりやすくできるといいのかなと思っています。額を道具としてもっと使っていただけるよう、額のオーダー方法なども含めて、「余白遊びの楽しさ」を知っていただくために必要なことはお伝えして行こうと思っています。

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山内 それこそ一器多用みたいな感じで、いわゆるトンボという金具で後ろの開閉ができるようになっていれば、時には中を入れずに飾ってもいいですし、また中を入れ替えて使ってもいいですよね。どうしても皆さん、額に入れたら入れっぱなしというふうになってしまいがちですけれど、楽しもうと思えばこちらの働きかけでいかようにでもなります。壁に掛けなくても、どこかに置いて、中に拾ってきた石とか葉っぱを配置して飾ったってすごくきれいでしょうし。そういう意味で、私も額というものを固定概念で考えてしまっていたところはありましたけれど、林さんと出会ったことで、これ自体が魅力的だから、どうやって楽しもうかと、こちらも考えるようになり、こんなふうにしたら楽しいなとか額の新たな自分なりの味わい方、楽しみ方をいろいろ発見できました。それはぜひ多くの方に味わっていただきたいところです。

雨宮ゆかさんのお宅は、食器棚に一か所だけ何も入れていないフリーなスペースがあって、そこにお花を置くようにしていて、そこは絶対に汚さないスペースにしてあるんですね。よく皆さん、家は狭いからとか壁がないからとかおっしゃいますけれど、でも、雨宮さんのようなそういうスペースっていいですよね。だから、そんなことももう少しお伝えして行けたらいいのかなと。

山内 生活していく上で、ギャラリーみたいにすっきりと美術品がいちばんよく見える空間をつくるなんて、どうしたって無理ですから、たぶん本当に1ヶ所でいいんですよね。それが玄関入ってすぐ見えるところでもいいし、そうやって食器棚の中でもいい。それこそ一つの額の中だけでもいいから、気になったハガキとか、その時見ていて嬉しくなる物を、中に入れ替えて行ったら、毎日それを眺めるだけでも気持ちよくなれるのではないでしょうか。もともと日本人は季節に合わせて、室礼を替えて楽しむということが日常にあった文化ですから。今は床の間の消失とともに、そういう感覚はなくなってきましたけれど、季節感を室礼で味わうというのは楽しいはずです。

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そういう意味では、私の額は軽いので、どこにでも置けます。最初から、軽さは大事に思ってつくっています。今の室内の壁はボードですし、日本人は壁にピンを刺すことを嫌いますよね。あまりいろいろ掛けられない住宅事情もありますから。それと、軽さには、見た目と持った時とのギャップがあって、持った時の「えっ?」と思う意外性みたいなものは、あえて考えているところではあります。

山内 林さんの額には、「使う」ということを踏まえた要素がさまざま含まれていますよね。

日本の暮らしを考えるとそうなります。西洋では、古い絵の額装は、その絵の時代とか様式に合う古い額を組み合わせたりするそうで、そういう取り合わせを仕事とするフレーマーと呼ぼれる人もいるとか。古美術に近い感じでしょうか。イコンとか宗教画は15世紀くらいから始まって、そこからが額の始まりみたいなものですけれど、最初は四方を残して中央が窪むように平らに削った板に絵を描いたというところから、16世紀頃からだんだん板がキャンバスになってくる。そうすると額と中身が分かれて行きますよね。その頃から、取り外しできる額が増え、室内の調度品の一部としての性格が強くなり、入れ替えて自分の好きな物を組み合わせたりしていたようなんです。逆に肖像画はそれに合わせてつくられ、オリジナルで残っていることが多く、「家」「名門」の証として大切にされていたようです。そういう長い歴史があってやっているものなんですね。日本に入ってきたのは明治くらいでしょうから、額装という素地がないのに同じことをやっても、どうもしっくりこない。だからやっぱり、日本人の私がつくるとしたら、四季の移り変わりを楽しむとか、見立てを楽しむとか、もともとの文化に近い形で楽しむ方が、自分の中で消化しやすいんですね。そこに、日本で額をつくる別な意味もあるのではないかと。

今の時代は、器も大量生産の物から、だんだんと自分たちの暮らしに合った物を求めるようになってきましたよね。でも額はまだ、そういう目線で楽しんでいる人はいないのではないでしょうか。そうではない物が、意外とありそうでない。

山内 ないですよね。アートが好きな方って、額もやっぱりいい物を欲しいから、林さんの額に出会うと「これだ!」となります。中に入れたい作品がすでにある場合は、サイズ感がどうしても大事だから、アンティークの額だと質感とか雰囲気はよくても、なかなかサイズが合わなくて、延々探し続けて来たという方もいます。自分の想いのある物ほど、簡単な額装はしたくないでしょうし、より一層よく見える状態にしてあげたいというお気持ちで探し求めているのだと思います。

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額を道具として使い楽しめるように

山内 この10月に、SUではようやく3回目にして、林さんの制作の原点であり、軸になっている「額」というテーマで展覧会をしていただきます。10年近くのおつきあいになりますが、この間、林さんは制作の幅を額だけでない所にも広げて来られました。先ほどのお話のように、オブジェ的な作品をつくることで額へのフィードバックもあります。林さんの想う額について、皆さんにわかっていただける、機が熟しつつあるという感覚は私にもあるので、このタイミングで、林さんのお気持ちも含めて、皆さんにお伝えする機会をつくれることはとても光栄です。

ギャラリーの空間に、作品としての額がただ並んでいる風景を見ただけで、感覚的に林さんの想いを感じてくださる方もきっといると思うんです。こちらからあまり言わなくても、それぞれの自由に楽しめるのがいちばんかもしれないですし。これまでにも、額縁のオーダーの際に、私が窓口になってお客様からご相談いただいたことは何度かあるんですけれど、結構意外なご提案もありました。中に入れるのが、普通に絵とか写真とかではなくて。

そう、クッキーでしたっけ。でも、食べるクッキーではないというか。

山内 たしかずいぶん前に、旅先で気に入って求めて来られたもので、すごくきれいな状態で保たれていて。林さんにオーダーする額の方が、その中身より金額的には高くなるけれど、この物のために大事な舞台をつくってあげたいというお気持ちで。そういう感覚でオーダーしてくださったのは、すごく嬉しいことでしたね。中身が高価な物だから、額もそれに見合うものをあつらえるとかではなくて、その中身の金銭的な価値ではない、その方にとっての大事な想いとか価値で、いちばんぴったりするものを合わせてあげたいということですから。林さんのファンには、そういう方が多いですね。

一般的には、中身よりも高い額はちょっとね、と必ず言われてしまいます。なので、私にはそういう価値観を切り崩したいという気持ちもあって。中身が何万円だから額はこのくらいで、という格のつり合いというのはあるのかもしれないですけれど、私のつくる額はそういうタイプではないというか、いわゆる市販されている額のデザインとは違うから、それは当てはまらないところでやって行きたいんです。私の場合、土の色とか質感の感じとか、見てくださった方がどう思うかは、その方の感性にもよります。たとえば白い土の表情だったら、冬のイメージと思うか、それを秋の乾いた風とか、あるいは下地の土の表情みたいなものまで深く考えて早春の冬から春にかけての下萌えの感じと思う人もいるかもしれません。以前、俳句からイメージしてつくった額の展示をしたことがありますが、イメージは風景だけでなく、言葉というのもあると思います。その感じ方によって、組み合わせるものや使い方も変わります。つまり、同じ一つの色とか質感でも、どういうふうに展開するかというのは、その方それぞれの感性。それはもう完全に相手に委ねたものをつくりたいと思うんです。

山内 オーダーしてくださる場合も、その方の個性がやりとりの中にも出てくるから、そこはマニュアル化はできなくて、私も間に入らせていただく時は勉強になりますし、楽しいところでもあるんです。そもそも林さんの作品が好きで頼んでくださるので、すごく尊重してくださいます。でも、ご自分の中に強いイメージがあって、こういう色、こういう質感でつくってほしいという場合は、まずは私には何でも言ってくださいとお願いしていて。その中で、林さんに伝えるべき部分と、これは伝えるとかえって混乱させちゃうから省いておこうとか、そこは適宜私の方で判断させていただいています。

この前、山内さんのところに納めさせていただいたものは、書の額装だったんです。オーダーの時に、イメージされている大地の写真をたくさん送ってくださって。こんな感じという強いイメージがあったので、それに近づけるようにと思ってつくってみました。そのやりとりもすごく楽しくて、また、新しい扉が開いたという感じです。

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山内 その写真をたくさん見せてくださった方の場合は、すごく遠慮深い方でもあったので、たくさんの写真が林さんへの押し付けになって、やりづらくならないよう、山内さんの方で判断してくださいとおっしゃって、まず私に写真を見せてくださったんです。手がかりとしてはとても貴重だから、イメージに近づくための資料として、林さんにも見ていただこうと思って全部お送りしました。また、自分ではイメージがあまりなかったり、林さんからどういうものが出来てくるのか楽しみだったりするから、林さんにお任せで、この物のための額をオーダーしたいという方もいます。ただ、金額的なことは大事なので、まずご希望のご予算をうかがって、その上で林さんにイメージしていただいて、お見積もりをお伝えした上で進めていくことにしています。ですから、本当にその方それぞれのお気持ちとか個性とかで、こちらもどういうふうに対応して行くかというのは毎回違います。幸い今までの所、皆さんが想像以上に喜んで受け取ってくださったので、嬉しく思っています。

もっと多くの方に額使いを楽しんでいただくには、画材屋さんとかどこでもいいんですけれど、自分で額を持って行って、中身をこういうふうに仕立ててもらいたいと頼める、その頼み方がわかるようになるとよいのかなとも思います。そのためのお手伝いをしたいなというか、そういうことを通じて額の楽しみ方が広がっていくといいなと。10月のSUさんでの個展では、額にお詳しくない方のために、決まったサイズの物、手頃な大きさの物などをいくつかつくって、お客様と直接お会いした時に、額の基本的なことをお話させていただきたいと思っています。こういう物に入れたい時は、こうした方がいいですよとか、こういうふうに頼めばお店でやってくれますよというのを、ちょっとでもお伝えできたら。それは今後、どこの個展でも在廊している時に続けて行きたいと思っています。

山内 もちろん、林さんが在廊されていない時は、代わって私がご説明させていただきます。今度の個展の時は、中身は入れず、額だけで展示販売します。お客様が何かお手持ちの作品のために額を探されている場合は、展示している額でサイズが合えば現品をご納品、合わない場合はオーダーしていただいて、額装についてもご相談をお受けします。たとえば、中に入れる物の周りのマットを布にするか、紙にするのかとか、その色もオーソドックスにオフホワイトにするか、あえて黒っぽい沈んだ色で渋くして、中に入れる物が引き立つようにするかとか。そこはその方の好みなので、私たちはアドバイスはできるけれど決めることは難しいんですね。どうしても初めてで不安だから任せたいという方は、もちろんお任せいただくこともできるんですけれど。あつらえる楽しみがありますし、その部分は普通の街の額縁屋さんでもしてくださるので、林さんの額とご自分の額装されたい物を持って行って、その周りのマット部分をどうするか、色とか素材とか、そこで見本を合わせて見て、どういうふうにするかを決めたら、あとはプロなのでお任せすればきれいに仕立て上がります。

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次は、先ほどの話のように、お客様をおもてなしする室礼の何かに使うとか、床の間みたいに季節の室礼の一つとして使うとか、額をどこへどういうふうに自分で使うか、ということが気軽にチャレンジできるようになる気がするんですね。そして、そこまで皆さんの所に伝わるようになったら、最終的には、中身は入れずに余白に何を見るか、額で切り取った空間に自分は何を見るかというところまで、額縁の使い方をもっていけたらいいなと思っています。

それで最近、わざと欠けた額というか、額であって額でない物をつくり始めました。四角という形をどう考えるかなんですけれど、欠けていて、すべてが見えないから逆に想像が膨らむということもあります。もともと西洋の額は、宗教画みたいなものから始まったので、周りとその宗教画を区別して、より目立たせたり、際立たせたりする、空間を区切るという意味の四角なんですね。でも、日本の四角はというと、禅の○△□なんじゃないのかなと私は思っていて。お寺の窓でも丸窓と四角窓があって、どちらが迷いの窓かというと四角窓の方ですよね。その囲われた枠の中に何を見るかという発想だから。四角という形に関する感覚が、西洋の人と日本の人では違うと思うんです。お茶の炉縁でも、日本人はあの小さい四角の中に炭を置いて世界をつくります。それと同じような感覚で、額が一つの四角い物体として存在できたら、そこへ到達できたら、というのがいちばんの目標です。

私は「球」も同じように考えていて、掌の中で転がして、ただ眺めている内に、土の表情の中に別なものを見ているような気分になってくる。中身の入らない額も、ただの壁を四角く切り取ったら違って見えてくる。無いと気付いたら在ることに気付くのか。在ると知ってしまったから無いことに気付くのか、みたいな。または、壁だと思っていた四角い平面が、奥深く続くように見えたり。記憶や意識の断片からまわる、もう一つの軸への入口、内省の入口。それだけのことを言って説得力ある、皆さんになるほどと思ってもらえるような物をつくれるようになりたいです。

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山内 中身なしでも味わえるというところですね。中身はあってもいいし、なくてもいいという感覚ですよね。そういうことも、林さんの額を実際に見ていただければ、伝わると思うんです。10月の展覧会は、額というテーマで、現時点での集大成となります。これまでずっと見続けて来てくださった方にも、今回初めてという方にも、ひとくちに「額」という中に、これだけのバリエーションがあるんだということを、実感していただけるのではないかなと思います。今後、林さんは額以外にもさまざまな形での展覧会をなさるでしょうし、そこからまた額にいい形で反映されたり、逆に額で得た林さんのさまざまな気付きや感覚が、他のオブジェなどの作品にも反映されたり。そうやっていい相互作用が、この先もずっと続いていくのではないかなという気がしています。

山内彩子 Ayako YAMAUCHI

出版社と銀座「ギャラリー無境」勤務を経て、2010年麻布に「Gallery SU」を開廊。
フランス人画家ロベール・クートラスの作品のほか、日本の現代作家の作品をジャンルを問わず紹介している。
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林友子 額 -余白を味わう-

林友子 額 -余白を味わう-

2017/10/14(土)〜10/29(日)
@Gallery SU/東京

12:00〜19:00 休廊日:10/17(火)・24(火)
在廊日:14(土)・15(日)・21(土)・22(日)
106-0041
東京都港区麻布台3-3-23 和朗フラット4号館6号室
tel. 03-6277-6714
http://gallery-su.jp/

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