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Interview 小倉充子 聞き手・文・構成:峯岸弓子

江戸を染める

型染作家の小倉充子さんは神田神保町の生まれ。三代続く下駄屋の娘でもある生粋の江戸っ子が、着物や手拭い、下駄の鼻緒に描き出すのは洒落っ気と茶目っ気を効かせた江戸の風俗。型染作家というより、むしろ現代の女絵師といいたい、小倉充子さんの姿に迫ります。

日本的なるものでは、
生まれ育った環境から
抜け出せない……。
そう思っていました。
インタビュー風景

——
小倉さんが大学に入って最初に専攻したのはインテリアだったと、以前にお聞きしましたが……。

小倉
最初、多摩美に入った時はインテリアを専攻しました。その後に藝大に行きましたが、その時はグラフィック専攻です。

——
小倉さんといえば、江戸っ子の風俗を描き出す人というイメージがあるので、横文字が並ぶとちょっと意外な感じがしますね。

小倉
私が日本的なるものをやると、生まれ育った環境から抜け出せない気はしていました。子供のころ、ガムテープで「ゲタ」って机にイタズラ書きされたこともあったり……(笑)。だから、日本的なるものというより、当時は下駄屋がイヤだっただけ。もちろん、インテリアやグラフィックを専攻した理由はそれだけではないですけど。

——
では、藝大でグラフィックを専攻した時は、具体的にどういう方向を目指していたんですか?

小倉
まずは二年間グラフィックの基礎をやるんですが、そのあとは環境デザインをやるつもりでした。

——
ますます江戸から遠のく感じがします(笑)。環境デザインとは、どんなことを勉強するんですか?

小倉
インテリアもエクステリアもそうだし、舞台美術なんかもそう。そういうこと全部に興味があったけれど、特に都市計画をやってみたかったのです。というのも、当時は無計画なビル建設で大好きな神保町の景観が崩れていった時代で、古い伝統と文化が失われるのを食い止めたいという気持ちがありました。もっとちゃんとした都市計画が出来ないものか、生意気にもそんな想いがあったから、環境デザインの道へ進みたいと考えていたのですね、そういえば。この間、ふと思い出したばっかりなんですけど(笑)。

——
すっかり忘れていたとはいえ、壮大な夢を持っていたんですね。

小倉
ただ、そういう壮大なことは私に向いてないって、最初の二年間でわかったんです。構造とか立体とか三次元で物を考えるのが不得手という、大きな問題点に気付きました(笑)。それで結局、歴史的建造物の煉瓦棟を教室に使えるという理由もあって、形成デザインという専攻に進んで文様研究などをしました。

——
そこで江戸の文様に出会ったということですね。具体的にはどういう研究をするのですか?

小倉
何をやっているのかわかりづらい研究室で、日本画と工芸とデザインが混ざったような感じ。教授が文様研究の第一人者だったので、日本の文様に限らず、イスラムのアラベスク装飾やカリグラフィー、梵字なども習い、特別講義では友禅もやりました。布にも興味はありましたが、当時はとにかく文様やパターンに夢中でしたね。

——
その頃には、将来やりたいことが見えてきたんですか?

小倉
目先のやりたいことは山ほどある、興味があることも大体わかった。でも、それが何になるのかは全然わからないでいました。卒業後は就職を、と考えたこともあったんです。テキスタイルの会社に面接を取り付けたのですが、やっぱり違う気がして前日にキャンセル。学部の卒業制作では友禅の着物をつくり、結局、卒業後はそのまま大学院へ行きました。型染に取り組み始めたのもこの頃だったと思います。

環境デザインの選択は、
古い伝統と文化が
失われるのを
守りたかったから。

小倉充子