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Interview 西川 聡/聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー)

原始の色と乾いた風と

高校生の頃から、見知らぬ国への旅を思い描いていたという西川聡さん。アジア、アフリカ、中近東、西欧…、大人になってたくさんの国々を訪ね歩き、風土や文化、人々の暮らしに耳を澄ませてきたのだろう。西川さんの器には、大学で学んできたモダンデザインの実用性と、遥か遠い時代の土の記憶とが同居する。その魅力の根っこを、西麻布・ギャラリー桃居の広瀬一郎さんが読み解く。

工芸をやりたくて、
美大へ進学
工房風景

工房風景

インタビュー風景

広瀬
西川さんは、陶芸家を目指して美大へ進学されたのですか。

西川
そうではないんです。第一志望はガラスだったんですけど、合格した武蔵野美術大学短期大学部にガラスはなくて。それで金属もいいし、焼き物もいいかなとか、はっきりしたものはないまま、専攻を決めなくてはという時になって、書類を出しに行った郵便局で、陶芸専攻に丸を付けたっていう感じです。

広瀬
ご出身は、愛知県春日井市でしたね。

西川
はい。春日井は多治見や瀬戸などの窯業地と近く、子どもの頃から近所に量産のタイル工場や、安い輸出品の陶器をつくるところがありました。なので、焼き物は身近ではあったけれど、大量生産品のイメージがあって、働く手段としてはあまりいい感じには思ってなかったんです。

広瀬
工芸に興味はあったのですか。

西川
そうですね。もっと前は、彫刻をやりたくて、予備校では彫刻科にいましたけど、受験の時には工芸をやりたいと思っていました。浪人は1年間でしたが、予備校は長くて、高校1年生の後期くらいから、名古屋の美術予備校に通っていました。最初の頃は、基礎科というところで、勉強していたというより仲間と遊んでいた感じですけどね。いろいろなものをつくったり、ちょっとデッサンしたりして。

広瀬
少年時代から、絵を描くことや、工作をするのは好きでしたか。

西川
絵を描くことはあまり好きではなかったけど、ものをつくることは大好きでした。プラモデルもつくりましたし、僕らの時代は模型ですね。木の船をつくったり、飛行機をつくったり、難しくて中途半端に終わったものもあります。

広瀬
学校では美術部でしたか。

西川
中学時代はサッカー少年だったので、美術はまったく意識になかったです。高校に入った時にはサッカーはもう止めていて、進学校だったのに、まったく勉強しなくなって、学校に行くのも嫌いになってしまったんです。クラスメイトといるより、外の世界に行きたくて、授業が終わるとサッサと予備校へ行って、夜遅くまで予備校の仲間と遊んでいました。それがすごく楽しかったんです。

広瀬
それは意外でした。西川さんは美術予備校の先生をされていたし、武蔵美でも教えられていて、少年の頃から勉強好きな優等生だったのかなというイメージでした。

西川
いえいえ。勉強しないで、学校とは全く関係のない本を読んだりしていました。

広瀬
どんな本を読んでいたんですか。

西川
小説も読みましたし、当時は『美術手帖』*1とか美術評論の雑誌や本をよく読みました。作家論みたいな難しいものを読んだりして、格好つけですよ。かなり生意気な感じだったと思います。だから高校に馴染めなかったんでしょうね。

広瀬
そんな時期を経て、武蔵美で焼き物を始めてみて、どうでしたか。

西川
面白かったですね。いろんな課題がありますけど、轆轤ならものすごくピシーッと挽くし、立体をつくるとなると、キチッと直角を出したりして、僕のつくるものは硬かったんです。どうしても男って、つくるものが硬いですね。

広瀬
そういうのは性格によってかなり違うのではないですか。男という括りでも言えることですか。

西川
もちろん性格もありますし、性別がすべてではないですが、全体的にその雰囲気はあります。女の子のつくるものは、とても大らかで、感覚でつくる部分があります。土の表現というのは、そういう違いが出やすいのだと思います。木や鉄ではあまり差は出てこないかもしれませんが、土でつくるものはそうですね。

広瀬
なるほど。

西川
「硬いな、お前は」って先生に言われて、最初にそのことを認識させられました。それまでは、そうやってつくるのは当たり前のことで、それが自分の良さだと思っていたんです。言われてショックでしたけど、たぶん、焼き物というのは、土を生かすことが大事だということを言われたのだと思います。全部削ったりしてつくるのではなくて、もっと土の良さを引き出していく仕事をしろと。

広瀬
卒業する頃には、自分のつくりたい焼き物の方向というのは見えていましたか。

西川
まだまだ、すごく悩んでいたと思います。同じ武蔵美だった矢尾板克則*2君や村上躍*3君も、器をつくるというより、その時代流行っていた立体造形をつくりたいという欲求が強かった。僕はどちらかというと、器の方に関心が高かったかもしれない。美術より工芸に自分を置き始めたというか、そっちに移っていた頃かな。

美術雑誌を愛読するような
生意気な高校生だった
インタビュー風景

インタビュー風景

*1
美術手帖:美術出版社より1948年創刊の月刊美術雑誌。略称「BT」。

*2
矢尾板克則:やおいたかつのり 1969年新潟生まれ。陶芸家。食器をはじめ、「小屋」シリーズなど造形物も手がけている。

*3
村上躍:むらかみやく 1967年東京生まれ。陶芸家。注器など食器を中心に制作している。

西川 聡 陶展

西川 聡 陶展

2012/11/16(金)〜11/20(火)
@桃居/東京

2012年11月16日(金)〜11月20日(火)
桃居 http://www.toukyo.com

03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13