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Interview 熊谷幸治/聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー)

土器というモノサシ

土器について語る時、熊谷幸治さんは真摯に言葉を選ぶ。大切な物を、より多くの人に理解してもらいたいという気持ち、語り尽くせないけれど、その物から得た真実を伝えたいという思いが、熱い言葉になって伝わってくる。土器の宿していた世界観を注意深く手繰り寄せ、探り出すその先に、熊谷さんはどんな焼き物の未来を可能性を思い描いているのだろうか。インタビュアーは、西麻布のギャラリー桃居の広瀬一郎さんである。

現代の焼き物が失った何かを
土器的世界はもっている
土器/熊谷幸治「   」展@Sundrie

熊谷幸治/インタビュー風景

広瀬
今日は土器について、お話をうかがいたいと思います。熊谷さんの作品を初めて拝見した時から「“土器”をやっているんだ!」と感動していました。土器というのは、ある意味で忘れ去られた世界。僕らが日常使っている焼き物のほとんどは釉薬でコーティングされていて、どんな料理がのっても役に立つものとして存在しているから、そういうものが焼き物のすべてというふうに思い込んでしまっています。でも、焼き物は、そうやって生活道具として使うずっと以前からあるものですよね。そこはまさに土器的な世界。熊谷さんにとっては、どんなふうに土器的世界が展開されてきたのでしょうか。

熊谷
きっかけは、陶磁器の勉強をしていた時に、博物館で、縄文土器から産地の現代作家までの流れが展示されていたのを見たことです。入口の最初に縄文土器の展示があって、それを見た途端、完全にカルチャーショックを受けまして。陶磁器の勉強をしてきて、初めての衝撃的な経験でした。その頃は自分がどういう陶磁器をつくるべきかというのを考え、答えが出ないまま悶々としていて、土器は光を与えてくれました。でも、それが具体的に何なのかはわからなかったんです。生活道具としては役に立たないものですし。ただ、こっちの方がよさそうだなということだけはわかった。それから、自分がなぜ土器に惹かれるのかを探る旅をやってきたんです。

広瀬
有用性とか効用性とかいうものを軸とする焼き物に対して、その前の土器的な世界は、極端に言うと、呪術的なこととか宗教的なこととかが根っこにあって成り立っている世界。縄文式土器だって、煮炊きするための道具でもあったけれど、神様と交信したり、自然界にあるパワーと結び合ったり、語り合ったりするための道具であったわけで。熊谷さんが、こんなにも土器に惹かれてしまう理由も、その辺りでしょうか。

熊谷
ざっくり言うと、縄文土器は、今の用のための焼き物の意識とは違うことは明らかなんです。それが呪術的なものかはわからないけれど、その違う意識が入っているのが、本来の焼き物の発祥だとした時に、理由はどうであれ、土でそれをやることには意味があって、そのためにほかの素材ではなかったかもしれない。

広瀬
なるほど。

熊谷
縄文土器は呪術寄りだなと解釈していますが、おそらく、呪術的なところと、もうちょっと広い意味での道具的なところと両方だったんです。そこを考古学的に考えると、呪術的な用途か、道具的な用途か、その二つに分けなきゃいけないんですけど、そこを両方だったなと思うとすると、そもそも焼き物は両方を踏まえていても問題ないものだったわけだし、両方あるべきかもしれないと僕はずっと思っているんです。それなのに、焼き物の歴史は、その片側だけ、有用性とか効用性とかをずっと伸ばしてきた。

広瀬
たしかに。でも現代の焼き物が、呪術的なもの宗教的なものとかと完全に引き離されて無関係につくられているかというと、僕は無意識のうちにはそれは入っていると思うんです。使う人だって、工業製品で安価なものはいっぱいあって手に入るのに、個人のつくるものを選んで使うというのは、そこに何かが込められているからなのでしょうね。

熊谷
そうだと思います。それと、つくり手以外の人も、日本人は特に、縄文土器の系列に生きている子孫なわけで、焼き物の本来的な意味を、もしかしたらほかの国の人よりも無意識のうちに刷り込まれているものが強いのかも。それがあるからいまだに日本では、工業製品ではない器にも目が向くのかもしれません。

広瀬
普通の人にとって、無意識のうちではそうなんだけれど、意識化された世界では、土器というのはもう終わっている焼き物で、博物館の中に納められているもの、自分には無関係なものだと皆さん思い込んでいる。僕もそういう面があったんだけど、でも、よくよく点検してみると、土器的な世界というのは今の焼き物の根っこにあるわけだし、それが豊かに孕んでいる世界を、きちんと自分の射程に収めて焼き物を見て行くと、もっと豊かに焼き物の世界が広がっていくと思うんです。

熊谷
たとえば食器として買っているとしても、本人は使うためにと思っているかもしれないけれど、根っこのちょっと裏側の方では、何かの思いを買っているわけです。その感覚を主張するというか、今までの用途寄りに進んできたのとは反対のベクトルの方へ主張するためには、やっぱり僕は土器が向いていると思うんです。僕はそっち寄りにしかつくれないし、もともとそれを求めて買っている人がいる。ならば、それ専用があってもいいんじゃないかという意味で、僕は土器をやってきたような気もします。

工房風景

インタビュー風景
熊谷幸治 土器展

熊谷幸治 土器展

2012/11/9(金)〜11/13(火)
@桃居/東京

2012年11月9日(金)〜11月13日(火)
桃居 http://www.toukyo.com

世界の土器をみていたら
世界の平和がみえました
ー 熊谷幸治

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