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焼き物の本来のバランスをもつ
弥生の世界
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広瀬
熊谷さんは今年、中野の「Hidari Zingaro」*1さんでは、土器的世界の中でも縄文の人面土器に特化して、縄文の濃いところを展示された。それから先日は「Sundries」*2さんで、縄文よりさらに前に射程を伸ばして、旧石器的な世界の造形とか、あるいは造形以前の世界を探る展示をされた。一転して、11月の桃居での展覧会では、土器的な世界の中でも、いわゆる弥生と呼ばれる時代に焦点を当てていただけるということですが、どんなことを考えていらっしゃいますか?熊谷
先ほども言ったように、僕の中では、弥生はバランスが中立で、ここからが偏り始めちゃう。逆に言うと、その前の縄文は呪術的な要素が強すぎるので、一方に偏っていて現代と同じくらい危ないわけです。でも、弥生はたまたまかもしれないですけど、本当にバランスのいい時代なんです。広瀬
呪術的な世界が一つあって、有用性とか効用性とかでつくる焼き物の世界がもう一つにあって、というバランスの中で、弥生はその真ん中くらいだと。熊谷
はい。もしかしたら僕が縄文をやっているのは、現代の焼き物に対して、弥生くらいのバランスに戻したいってことなのかもしれません。縄文まで行かせようというわけではなくて。というくらいに、焼き物の意識のベクトルにおいて、弥生はセンターに近いと僕には読み取れるんです。そこがベストなのかもしれない。でも実は僕自身はそこに絞ってやってみたことがなくて、今まで僕がやってきた縄文的なことと、現代の焼き物の世界とのちょうど間にある、いちばんいいところとして提案してみたいんです。広瀬
熊谷さんの言うように、弥生というのは縄文的な世界の中の最後、最終走者だとすると、あっち側の世界。だけど、今僕たちが踏みしめているこっち側の世界とも、ひとつながりという気もします。縄文中期くらいだと、彼らが思っていたこと考えていたこと感じていたことを知るには、やっぱり大きな溝があって、そこを飛び越えないとわからない。熊谷
ちょっとハードルが高いですよね。広瀬
弥生というのは、僕たちとひとつながりの地面で成立している世界で、ある意味ですごく近しい親しい世界。でも、僕自身もそうだったんだけど、ちょっと誤解しているところがあって、弥生というのを安易にこっち側の世界に引きずり込み過ぎて見ているところがある。でも、さっきも話したように弥生の中にも、宗教的な呪術的な世界と結びついて成立したっていうバックグラウンドがあると思うんですよね。だから僕は熊谷さんの弥生というのは、そういうものを感じさせてくれる弥生の世界なのかなという気がします。熊谷
何となくですけど、僕もそんな気がします。一般的な弥生というのは、皆さんが弥生に対してどう思っているか、僕自身わかってないところがあるし、概念的に弥生ってこうだよねというのはないんですけど。僕なりの、これまでの縄文的なものと現代的なものとを融合しようというテーマで考えるなら、こういう弥生的なものになるっていうもの。僕にとって中立というか、今のところいちばんバランスをとった両方踏まえたものって考えると、弥生って言ってもいいかなと。
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広瀬
アートと工芸の融合、という言い方もできそうですね。熊谷
僕は現代アートも好きだし、いろいろやってるんですけど、今のアートの世界と、工芸というか器の世界と、どちらにも僕のものは入れない気がする一方で、どっちも一緒だという気もするんです。そこは僕の中では消化できたというか、器も、そうでない土偶も、僕的には一緒なんです。今の焼き物が用途的なものを伸ばしてきたから、焼き物というのは用途のあるものとされているけど、もともとは現代でいうアートのような表現も一緒にあったということを、僕は縄文土器を見てわかったから。今のアートはそっち側だけを伸ばしてきていて、そうすると僕が縄文にちょっと不安を覚えているのと同じで、ハードルが高い。双方に距離があり過ぎるんです。広瀬
なるほど。熊谷
双方の距離を縮めて、弥生の土器くらいであれば、アートと工芸をひっくるめて中間くらいというのができるかなと。それを僕ができたとして、道具として使ってもいいし、見るだけでもいい。そういうものっていうのがあるはずで、そこがやりたいんです。特に弥生というテーマにすれば、絞ってやれそうです。広瀬
これを使いたいという人には使ってもらえばいいし、アートピースというか、土器的な世界を感じ取りたい人にはそういうものを感じてもらえばいい。熊谷
僕はそういう方がしっくりくるんですね。アートだから使う物じゃないというのもおかしいと思うし、道具だから見るためのものじゃないというのもどうかと。そこを解消してくれるくらいのものができたらいいなと思います。中途半端にならないように、お互いのいいところを出せるようにしたいです。広瀬
楽しみにしています。今日は有難うございました。 -
縄文的なものと現代的なもの
その融合をテーマに
インタビューを終えて
「熊谷さんの中には縄文人の血が流れている」
と、かってに思いこんでいたのですが、
じつはあなたの中にもわたしの中にも、
縄文人の血はしっかりと受け継がれているようです。
じっくりお話を聞いて、そのことを実感しました。
たしかに、熊谷さんの土器を眺め、手にとると、
不思議な懐かしさと安らぎにつつまれる。
ときに、不安と怖れにつつまれることもあるのですが。。。
これは、わたしの中を流れる縄文の血がきっと反応しているのですね。
自分のいのちの奥深いコアなところに呼びかけられる声を感じます。
電子的な機器に囲まれて生きる21世紀のわたしたちは、
土器的な世界からずいぶん遠く離れてしまいました。
しかし、であるがゆえにでしょうか、
熊谷さんの土器はいまこそわたしたちに必要な
「サプリメント」のように感じられます。
広瀬一郎
1987年より西麻布にて器のギャラリー「桃居」を営む。
» 桃居
熊谷幸治 土器展
2012年11月9日(金)〜11月13日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
世界の土器をみていたら
世界の平和がみえました
ー 熊谷幸治
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分