Interview 矢野直人
作品づくりについて
自宅と窯があるのは、豊臣秀吉が文禄・慶長の役で拠点とした名護屋城跡の近くです。海に面していて、400年前、眼下の入江に無数の船が集結、ここから朝鮮へ出兵したそうで、朝鮮から唐津に渡ってきた陶工たちが、降り立った場所でもあります。
その400年前からつくられてきた唐津焼が、どういうものかということを、自分なりに勉強しています。古窯跡を仲間と歩いて、残された陶片を手がかりにしたり、研究熱心な先輩方に話を聞いたり。古唐津やその前の朝鮮の焼きものを探求する中で、いまは唐津の砂岩を採取して、土や釉薬を自分でつくり、薪窯で焼いています。砂岩は採取する地層によって質や粒子に違いがあり、その特性をどう生かしてつくるかを考えます。黒唐津、朝鮮唐津、斑唐津、絵唐津、山瀬、皮鯨、刷毛目、粉引、李朝など、古唐津の流れにあるものを、日常のうつわを中心に、茶器も制作しています。
唐津らしさ、自分らしさ
薪を使って登り窯で焼く、というのは人間の原初的な感覚だと思います。唐津には原料があるから、それを使いやすい粘土にするし、炎が下から上へ燃え広がる特徴や灰の流れを考えて登り窯をつくる。土や炎、空気、重力、どれも自然界の当たり前のことを利用した物づくりですよね。化学的なものに安易に頼らなくていい。ガスも電気も自分ではつくれないものですし、買ってきた土や釉薬は安定した材料ではあっても、自分の知らないものがいっぱい入っていますから。
僕は自分が使う分の土を採るために、いつも唐津や伊万里の岩の状態を見ています(笑)。崖が崩れていれば、地主さんに挨拶して、砕いて石にして持って帰ります。まず、茶色いところは鉄分なのではつって、白いところと分けて。それからスタンパーを使って粉状にして、水簸します。よくかき混ぜて、浮遊しているものを見て、アクを取ったり、分離が始まって沈み出す頃合いとか、秒単位で細かく状態を見極めながら、水簸を繰り返して粘土にしていきます。
僕はこれを白磁の技術だと思っていて、朝鮮から来た陶工たちはもともと白磁をつくっていたので、その時とやり方は違うにしても、分離させる理屈は同じだろうと。その技術のまま、唐津の素材でつくると唐津焼ができて、それから30年後には、有田で泉山陶石を見つけて白磁ができた。技術は同じだけれど、原料が少しずつ変わったり、文化が変わったりしたということなのだと思います。
やっぱり唐津焼が好きというか、自分が憧れている焼きものに近づきたい。言葉にするのは難しいけれど、自分が惹かれる美しい肌合いというものがあって、そこに唐津の魅力を感じます。そういうものに近づきたいという思いは、自分が物をつくることの中心にあるのかなと。今できるものを、今の人に使ってもらえるようにと考える中で、唐津焼の作家らしさということもどことなく意識しています。
当たり前を大切に
幼い頃、唐津の田舎の方に住んでいたんですね。海があって、自然があって、古い焼きものの歴史があって、そういう中でみんな自然に寄り添う暮らしを当たり前に大切にしていて。たとえば魚釣りをするにしても、竿と糸と針があればよくて、朝が釣れるとか、いや夕方がいいとか、釣れなかったら、今日は釣れなかったなーというくらいの感覚。今みたいにリールや魚群探知機もない。焼きものも、登り窯で焼いて、自分の思いとは全然違う物が焼き上がっても、思い通りにいかなくて当たり前としてそれを受け入れて物をつくる。そういうようなことを繰り返し続けていたと思うんですね。
僕がやっていることも、そういう感覚の範囲内という感じがして、現代的な合理性にあてはめたやり方でつくっても、ほしいものは生まれないような気がします。もちろん、昔はもう少し大きい規模で分業もされていたので、感覚とか考え方はまた違うところもあると思います。でも、僕が今の環境で、一人の陶芸家としてやれる規模として考えた時にも、やっぱり昔のような物づくりの感覚で、当たり前にできることを繰り返しこなしてつくっていきたい。そういう中に、求めている何かがあるのではないかと。健康的であるとか、そこに美しさがあるとか、そういうようなことかもしれません。
生活スタイルも、昔は身近な食材といえば、麦や米、イワシやアジ、鶏などで、それで健康的に暮らしていましたよね
だから、同じようにというか、つくるスタイルが大事だと思います。自然の素材を採って来て、自分の手で加工できる範囲で陶土にして、それを薪で燃やして、窯と火の力で焼く。そういう自分が考えられる範囲内で行為をこなすことが、僕には大事です。
そういうことを思ったり、考えることを求めるとか、自分の気持ちの在り方を求めるとかいうことも大切なような気がします。つくるだけでなくて、どう生きていくかということにまでつながるのかもしれません。そういうものを持っている人が、違う考えの人と大きな差が出るかといえば、1年後ではあまりなさそうですけれど、長い目で20年、30年そういうことを思ったり、感じようとしていたり、求めたりしていると、その人がつくり続けたものに、たぶん違いが出るような気がするんです。
Archives:つながりの器、その先へ 〜唐津・有田の6人の作家〜
文・構成:竹内典子 / Feb. 2017