パノラマ対談 齊藤謙大さん(花師) × 瀬沼健太郎さん(ガラス作家)
「花と器、自然とのつながり」
文・構成:竹内典子 / Apr. 2022
茨城県古河市で「野草五芒」を営む齊藤謙大さんは、自ら育てた野草を用いて、いけばなの教室やワークショップを開き、花師としての活動もされています。ガラス作家の瀬沼健太郎さんは、自然の中で見かける水や水分の表情を観察して、水をガラスに写し替えたような表現の花器を制作されています。(panoramaでは2015年〜2016年に瀬沼さんご自身による花いけもご紹介しています→ panorama artist / 瀬沼健太郎) 4月下旬、花いけ撮影のために新宿の小灯にいらした齊藤さんと、秋田に暮らす瀬沼さんのお二人に、オンラインで対談をしていただきました。いけばなを始められたきっかけや植物や自然に対するまなざし、ガラスの花器に生ける魅力など、お二人それぞれの思いや歩みを語っていただきました。
いけばなとの出会い、背景
齊藤
いけばなに興味を持ったのは独立前のことで、山野草の会社に勤めていた頃です。自分は植物を生産しているけれど、それを仕事としてどう展開していくか、というのを模索していたんですね。野草には人気者の野草もあれば、全然目立たない地味な野草もあって。僕はその地味な野草が好きだったんですね。それらをどうしたら目に留めてもらえうようにできるかなって考えていて。野草と言えば、寄せ植えとか、苔玉とか、小鉢で観賞されることが多くて、でも僕には何かしっくりこなかったんですね、展開の仕方として。
それで何がいいのかなって模索している時に、たまたま喫茶店で川瀬敏郎先生の本を見かけて。素敵だなと思い、教えていないか調べたら、教室の募集があったので、それから5年間くらい通いました。
それまで全くいけばなの経験はなくて。もちろん、流派のいけばなというものがあるのは知っていましたけれど、川瀬先生のいけばなを見て初めて興味を持ちました。寄せ植えや鉢植えというのは環境を選ぶんですけれど、いけばなはどこの環境の植物でも一つの器におさめることができるんですね。そういうところも面白いと思いました。その一時を愉しめればいいなと。
瀬沼
寄せ植えは植物の生命を維持しないといけない、というのがあると思いますけれど、いけばなの場合は何かエッセンス、自然の持っている本質みたいなものを切り取って、そこに立ち上げるっていうことなのかなと。精神的なものを得られるように思います。
齊藤さんは一杯の花を入れる時に、どんなことを考えられていますか?
齊藤
毎回、何かを立ち上げようというより、日々の身近なものを器の中におさめていきたい、ただそれだけです。本当に何気なく、普通のことを普通におさめたいだけで。
ただ、自分がいけばなをやっていこうと思った時に、さまざまないけばなの流派がある中で、日本のいけばなって何なのかなということは考えました。その思いが本質にあって、それを今でも思いながら生けているというのはありますね。
普段から野草の生産をしているので、植物を見る機会は多いですから、器にただ花材としておさめるのではなく、もっといけばなって自然を感じるものなのではないかと。感覚的なことですけれど。
瀬沼 そういうところで川瀬先生の花に惹かれたのですか。
齊藤 そうですね。日本的なものを感じましたし、僕はいけばなについて何も知らなかったので、習うならこの先生にと思いました。
瀬沼 僕が川瀬先生の教室に通ったのは10年前くらいです。ガラス作家として独立してすぐの頃だったので、展覧会とかで忙しくなってしまって、残念ながら1年間しか通えませんでした。最初の1年間は講義だけで実践はできないんですけれど、ものすごく丁寧に教えてくださってたくさん学びましたね。写真を撮れないから、使われている器とかも遠目から寸法を盗んでスケッチして。これは焼き物の器だけどガラスで作ったらどうなるかなとか、川瀬先生の入れられた花をそこに入れるとどういうふうに見えるのかなとか、いろいろ想像しながら。
齊藤 造形的に見られてたんですね。器を見て、目で寸法を想像してスケッチしてというのはすごいです。
瀬沼 毎回お教室の後は、疲れ果てて帰っていました(笑)。
齊藤 自分で花器をつくる、きっかけはどんなことでしたか?
瀬沼
実はいけばなとか、花を入れるという目的から花器づくりを始めたわけではないんです。
今からもう30年くらい前になりますけれど、僕は多摩美術大学の立体デザイン科というところに入ってガラスを専攻したんですね。当初はガラスでアートやらなきゃみたいなプレッシャーがあって。それは多摩美のガラスコースの文化かもしれないんですけれど、彫刻的な表現とか、ガラスで何か新しい事をしなきゃいけないという教育をされたので、最初は花入をつくるなんて全然思ってもみなかったんです。
ところが20代後半の頃に挫折しまして。アートやっていても自分が苦しくなる。それでもう一度、吹きガラスってどうあるべきなのかと考え直して、花器と食器と照明、そういう暮らしのものをデザインして自分でつくるようになりました。中でも花器づくりは当初から、生けた花と入っている水とその周りの空間=場というのが、等しく関われるような器をつくれたらいいなと感じたんですね。それが花器をつくり始めたきっかけです。
齊藤 もともと花を生けることに興味はあったのですか?
瀬沼
花を生けることは、子どもの頃から、祖父と父が庭いじりをしていて、母はいつも花を摘んでは玄関に生けていたんですね。母もどこかで花を習ったとかではなかったんですけれど、自然と花を生けることが日常にあって。僕にとっても身構えるようなことでもなかったというか。だから暮らしのものとして自然と花入をつくり始めたのかなと思います。
野草については、40代くらいになって、自分で気が付いたことなんですけれど…。子どもの頃、高尾山が近くにあって。東京の八王子市出身なので、そこが遊び場で。ただ、山登りをして遊ぶとか昆虫を取って遊ぶとかいうのではなくて、何かずっと苔を見ていたりとかですね。ちょっと変わった趣味だったのかな(笑)。森の空気感とか、湿気みたいなものにどっぷりはまって見ていたんですね。
足元が湿ってビチョビチョしていたり、苔があったり、ちょっと目を上げていくと草が生えてて低木があって、ずっと見上げると杉とか高木もあったりして。その葉陰にちょっと花が咲いているのを見つけたり。とにかく僕にはミラクルで。そういうものがこの斜面を越えて尾根を越えて、その先も何重にも連なってるということを想像することが楽しかったんです。圧倒的な自然のディテールが、ものすごいきめ細かなところが、何重にも重なってこの世界が出来ているなんてと、子ども心にすごいなと思って。自分がそこにいることが心地良かったんですね。
40代になって、花器を本格的につくり続けようって思った時に、振り返ってみるとそういう経験があったということです。だから、子どもの頃の苔を見るというのと一緒で、猫じゃらし1本見てもすごいきれいだなって思う。大学では遠くを見るようにしつけられたというか、ビジョンを示さなきゃいけないとか、何か新しいことをしなきゃいけないとか、そういうことが多かったのに、よくよく見渡してみると、その美しいものって全然足元にあって。足元のアートにいちいち感動してもいいんじゃないのかなと思って。
だから例えば猫じゃらし1本入れる、入れて花になるような器がつくれたらいいな、というのは何となく思っています。
花探し、山歩きの楽しみ
齊藤 ご自分で花を生ける時は、どういうふうに植物を選んでいますか?
瀬沼 僕の場合は、一年を通して、その場所の植生を見ていて、四季の中で変わっていく花を見続けて、やっと花を採れるような気がしているんですよね。だから日頃からちょこちょこ出歩いて、自宅の周辺とか、ちょっと車で山の方へ行ったりして、同じ場所でいろいろ見て、というところからやっと花を選べるような感じはしています。
齊藤 今は秋田にお住まいなんですよね。
瀬沼 6年目になります。秋田は山の雰囲気がちょっと独特というか、ものすごい野生を感じるんですよ(笑)。山や森が深くて、白神山地とかは、ちょっと人間の領域ではない感じです。秋田の山は熊もいますし、気候のせいもあるかもしれませんけれど、冬は特に野生の強さ怖さを感じます。とてもそういう自然の強さにはかなわないなと。目も開けられないくらいの吹雪もあって、そこでも生き抜いていく動植物には畏敬の念を抱きますし、興味深いですね。 秋田に来る前は、山に行って草花をいろいろ採っていましたけれど、秋田に来てからはあんまり採らなくなりましたね。もう少し足元のものでもいいのかなと。派手なもの、驚かせるための花は採らなくていいかなと思うようになってきました。
齊藤 真冬はどういう植物を楽しんでいますか?
瀬沼
杉や檜、常緑のもの。あとは枯れ枝や枯れ葉、そこに残ったものとか。例えば柏の葉が枯れてきて、そこにいろいろ残ってくっついているものとか、枯れたホップの実とかも面白かったですね。犬の散歩に行かなきゃいけないので、散歩行きがてらそういうものを探しては採ってきて、器に入れたりしています。
冬の間はガラスが凜とするので、部屋に飾った時に、雪とガラス、冬とガラスの組み合わせは、すごくきれいだなと思います。凍り付いた緊張感、張りつめた空気感もあって。
冬場は外の景色はあまり変わらないけれども、雪の表情とか、水際の表情とかを観察して、冬を感じるようにしています。花が入るための舞台をどうつくるか、自然の中の水分をどうガラスの中に写し替えていけるかなみたいなことを考えるために、ちゃんと冬を味わおうと思って。
齊藤 自然の中の水分を見るというのは、自然の植物を見るのと同じような感じですね。
瀬沼
花を見て感じるのも、森に行って森の水分を感じるのも、僕はそんなに差はない気がしています。
凍っている大地であっても、ちょっと湿度が高い時に寒暖差があると、朝は霧氷と言って、霧の水分が植物について氷が育っていくんですよ。植物全部が細かい氷のトゲトゲに覆われるんです。朝の一瞬だけの景色。そういうことはとても僕には刺激的で、花を見るのと同じように感じています。
齊藤
こちらでは見られない自然の造形ですね。
今の季節が、秋田ではどんな花を見られますか?
瀬沼 毎年だいたい12月半ばか末頃から2月いっぱいまで、約3ヶ月近く凍りついていて、3月から雪は解けるんですね。4月中旬以降に花が咲き始めて、木蓮と梅と水仙と桜が一緒に咲くんです。今はちょうど桜が満開です。
齊藤 すごいですね。小さい草花とかも今頃からですか?
瀬沼 蕗の薹が2週間くらい前に出てきました。ただ、一気に花が頑張って育ち始めるせいか、チューリップも小柄な感じで、小さくても蕾がついちゃうんです。ちょっと生き急いでいる感じがします。
齊藤 関東圏の春は緩やかにやってきますけれど、秋田の春は、凝縮してぱっと一気に出てくるような感じなんですね。
瀬沼
そうですね。これからの季節になると、ライラックやスズランを見かけます。自生なのか、元は庭木に植えていたものなのかはわかりませんが。北国だなって思う植物にも出会います。
齊藤さんは、山にもよく行かれるんですか?
齊藤 はい。家の周りが山だらけなので。関東の平野なんですけれど、入りやすい森みたいなところがたくさんあるんです。植林されたというよりは、自然林が残っているところが結構あって。毎回、入る度に発見があって面白いですね。こんなところにまだこんな植物が残っていたのかとか、同じ山や森に入っても、そういう発見が毎年あって。毎日入っているわけではないから、自分が気付いていないことが、まだ山の中にポツポツあるんです。だから、毎年同じところに入っても飽きないんですよね。
瀬沼 わかります。僕もそうです。
齊藤 今年はこんなところに生えてきたとか、今年は遅いなとか。山に入ると、季節の移り変わりとか、毎年の変化とか、そういうのを感じられるんです。僕が生産している植物と同じ植物でも、山に生えているものは、持っている雰囲気が全く違うんです。山のものは山の雰囲気を纏っているし、僕の育てているものはまた別な雰囲気があるし。そういうところを見つけられるのも面白いです。
瀬沼 どちらの良さもありますよね。齊藤さんは身近な植物を採る時に、例えば枝物を採る時は、1本の木に枝ってたくさんあると思うんですけれど、どんなふうなことを考えて切るんですか?
齊藤 何気なくですが、器に入った時にどのような姿になるのかを少しだけ考えて切っています。
瀬沼 形とかはあるんですか? その枝を選ぶ理由というか。
齊藤 形はその時々でまちまちですからね。どの枝を選ぶかは、直感です。だから、山の中で出会ったということですよね。毎年山に入るけれど、そこには出会わない植物もある一方で、今年はこんなのが咲いているなとか、その時その時の出会いがあって。枝もたぶん、そこで出会ったからその枝を採ってきたというのはあるのかもしれません。
花器を手がかりに、季節を生ける
瀬沼 齊藤さんのいけばなを見られた方が、こんなふうに格好いい生け方をしたいなと思われた時に、どうしたらいいんでしょう?
齊藤 それは、格好つけないことじゃないですか。身近な草花を、素直に入れているのが一番いいなと思います。格好よくこうしてやろうみたいに意気込んで、無骨な枝とか、格好いい苔が生えているものとか、そういうもので見せようとするのではなくて、何気なくスッと生えている花が、僕には一番見ていて気持ちもいいし、格好いいなと思えます。どうしても特徴的なものにしたがる、そういうのは多々あると思うんですけれど、身近にあるもので、どういうふうに工夫して入れたらいいか、楽しめるか。基本的にいけばなは、自分は楽しみだと思っているんです。なので、どういうふうに楽しむかを考えて、それを器の中におさめていく。それができる人を見ると、いいな、格好いいなと思います。
瀬沼 花を入れる時に、器にはどんなことを感じられますか?
齊藤 器からはインスピレーションがあります。それを元にして、草花がそこに入っていくという感覚ですね。だから、器を目にした時に、この器に花を生けてみたいなと自分が思うかどうかはかなり大きいかなとは思います。生けたいと思う器はアイデアも出してくれますし、器によって植物の表情も変わったりするので、器の占めるウエイトはかなり大きいです。
瀬沼 ガラスの器は、齊藤さんにとってどういうものでしょうか?
齊藤
単純に面白いですね。何が面白いかというと、ガラスって何となく暑い季節に使うイメージがあると思うんですけれど、冬のガラスもすごくいいなって思うんです。ピーンと張り詰めた空気感、それこそガラスと水だけの世界のような。緊張感のある花を楽しめるというのはいいですね。
どの季節もよくて、春は新緑を映しますし、夏は涼しげで見る人も見ていて気持ちいいでしょうし、秋は紅葉もガラスの器に入れると、また違った気分になります。ガラスの花器に生けると、四季それぞれ、その季節の美しい部分が映し出されてくるのではないでしょうか。他の素材の器は、中に水は入っていても水は見えないけれど、ガラスの場合は透明で水が見えるので、やっぱりそこが違いますよね。自分にとっては、ガラスは水の器ですね。
瀬沼
川瀬先生の教室で、ある時「水がご馳走」と先生が仰ったことがあって。それでちょっとピンときたというか。僕は焼き物の器は、花にとっての大地みたいなものを感じるんですね。もちろん土からできているからそうなんですけれど、大地の力というか輪廻みたいなもの。冬になって草は枯れて、春になったら芽吹くみたいな。いのちがぐるぐる回っていく源みたいなものを焼き物の器から感じるんです。籠の器なら風みたいなものを感じるし。じゃあ、自分がつくるガラスって、花にとってどういう役割ができるんだろうって思った時に、やはり水、水分みたいなものかなと思って。
幼い頃に行っていた山の中の湿気みたいなもの、何かそういったものをギュッと塊にしたような器がつくれたらいいなというふうに思っています。
ただ、秋田に来てから、冬がすごく長くて、冬の景色に感じることが増えて、器もちょっとずつ冬っぽいもの、雪とか氷とか霜とか、そういったものに気持ちをのせてつくることが以前より増えました。何もないような冬の景色の微妙なグラデーションとか、そういったものが無意識のうちに積もってきている感じがしますね。まさに水、水分、霧、氷とか、そういったものが印象として伝わるような器をつくれたらいいなって思います。
齊藤 瀬沼さんのガラスは、ずばりそうだと思います。それでいて、どの季節に使っても季節らしさをのせてくれます。
瀬沼 ありがとうございます。あまりガラスに色をつけたくないので、表情はいろいろ出せたらいいなと思っていて。今回齊藤さんに生けていただいた大きな鉢は、外側の表面をダイヤモンドで削って、あのザラッとした表情にしています。筍を生けられた四角いサイコロ状の花器は、削った後に電気炉でもう一回焼いて、半艶みたいな表情にしています。
齊藤 大きな鉢には、こみわらを立てて、そこから花を立ててみたらどうかなって思って、こみわらを自作しました。鉢がかなり大きくて水もたくさん入るから、こみわらが浮いてしまうので、重りを工夫したりして楽しかったです。この大きな鉢は、いろんな生け方ができそうですね。
瀬沼
齊藤さんのインスタとか拝見していましたから、今回生けていただくことをとても楽しみにしていました。器の姿を見せていただいて、しかも器と植物の関係もすごく考えてくださっていて嬉しいです。
ふだんはどういう花器をよく使われるんですか?
齊藤 水盤に生けるのは好きですね。口が広いから、その中でいろんな世界をつくれて、集中できるんです。自分が持っているのは40~50センチ以内くらいのサイズです。ガラスで浅い水盤をつくるのは難しいですか? 口が広くて、高さがあまりないようなものは。
瀬沼 シャーレ型のような立ち上がりが浅い、広口の器というのは、実はいちばん難しいです。どろどろのガラスの塊の中心に芯を取って、回してつくるので、中心からひろがればひろがるほどコントロールが難しくなるんですね。立ちものよりも平ものの方が難しくて、揺れやすいんです。
齊藤 そうなんですか。平たい水盤だと、低い位置で水が見えていいなと。低いところ一面に水が張っているイメージというか。花器の中の水が、高いところで見えるのと、低いところで見えるのと、両方あるとまた印象が全然変わってくるのかなと。
瀬沼 低い位置で水が見える花器。富士山を逆さにしたみたいな形で、底面が小さくて、上がひろがっているような器だとつくりやすいですね。ワークショップまであまり時間ありませんけれど、できれば水盤型もチャレンジしてみます(笑)。
齊藤
期待してます!(笑)
瀬沼さんご自身は、どういう花器をよく使われるんですか?
瀬沼
僕は細くて長い花器が好きですね。川とか湖とかの水面に、葉が伸びてできる水面との隙間。そういう空気感が好きでぐっときちゃうんです。葉陰の表情というのは、細くて高さがある器だと、生ける時にいろんな形をつくりやすくて。それと首が細いと入れるものが留まりやすいから、表情をつくりやすいんです。水はすぐ減ってしまうんですけれどね。
最近は鶴首の花器をつくることが多くて、いまはそれがすごく楽しいので、背の高い鶴首もつくってみたいと思っています。枝が上に立ち上がって下にも垂れるような、生けた時に木陰みたいな表情をつくれるようなものとかを。
齊藤 瀬沼さんの器には、自分だったらこういうふうに花を入れたいなとか、こう入れてほしいなとかいうイメージはあるんですか?
瀬沼 いろいろ楽しんでもらえたらいいなと思っています。
齊藤 本当ですか? 明確なイメージがあるのでは?
瀬沼 いやいや、僕の器を使ってくださる方からも、よくそう言われるんですけれど、すごく恐縮なんですよ。本当に僕は道具屋だと思っていて、ガラスの器であればいいと思っているんです。そこに僕の作家臭はない方がよくて、なるべくそういうものを消したいと思ってつくっています。楽しんでいただければ、それが僕のいちばんの幸せです。
齊藤 全然気にしてなかったので、楽しんで入れてました(笑)。
瀬沼 それなら何よりです。よかったです。今回のワークショップでも、皆さんにできればいろんなものを触ってみてほしいです。同じ植物でも花器が違うと全然違うので。
齊藤 そうですね。先ほど瀬沼さんも仰っていたように、花を留めやすいのは口が細い花器ですね。もちろん、そういう生け方だけでなく、バサッとたっぷり花を入れたい人は、広口の方が選びやすいでしょうし。生活スタイルに合う花器というのもありますね。好きな器で楽しんでいただければ一番いいですし、同じ花器で、身近な花をいろいろ変えて生けてみるのもいいと思います。
瀬沼 しつらいによっても全然雰囲気は変わります。同じ花器でも置く場所とか敷物とかを変えて、ファッションのコーディネイトと同じようにいろいろと楽しめるんじゃないでしょうか。敷物を白木の板にするのか、古裂にするのか、タイルみたいなものにするのか。例えば、洋花を入れるなら、下にもそれに応えるものを敷くとか、後ろにちょっと何か掛けてみるとか、一つの花器でもいろいろ楽しめると思います。
齊藤 しつらいは面白いですよね。敷物と花器と掛け軸とか絵でも。トータルで見ると、また一つの空間として楽しめるから。そういうことに興味のある方も多いんじゃないですかね。
瀬沼
僕は秋田の大学でガラスを教えているんですけれど、空間におけるモノということも意識してほしくて、場をつくるということを学生にやってもらっています。何をどこに置いて、背景には何があって、自分のつくったモノを置くとどう見えるのかという授業とか。モノだけ見ていると気がつかないものがあったりとか、逆にそういう場所だったらこういうモノをつくるといいんじゃないかとか、学生も楽しんでますね。見え方がちょっと変わると、何でもないものがすごく素敵に見えたりとかもあって。
花器や花の楽しみ方って、そういうしつらいの中で、楽しみもひろがるんじゃないかなと思います。自分が素敵だなと思う花器で、どういうふうに楽しみ倒すか。花器ってたぶん、自然とつながるきっかけみたいになるもの。花器があることで、身の回りの自然に対する見え方が変わる感じがするんです。
齊藤
やっぱり敷板一つで、花器の見え方も花の見え方も変わってきますから。最初は敷物だけを取り替えて、花器や花がどう見えるかというのをやってみるといいですね。そうしたら次は、もう少し広げて全体の空間で見ていくとどうなるかなとか。花からいろいろなところにひろがって行ったら面白いんじゃないでしょうか。
僕も先日、古い紙を敷物にしてみたんですけれど、面白かったですよ。折り目が結構付いている古い紙で、それを敷板として敷いて、その上に花器を置いて。板でなくても、いろんな素材で遊ぶことはできると思います。それこそ身近なもので雰囲気のあるものだったら使ってみるといいですよ。そういうアプローチをすることで、きっと楽しみ方がひろがります。
瀬沼 同じ花器が、不思議なことに春は春らしく、夏は夏らしく、秋は秋らしく、冬は冬らしく使えるんですよね。それはガラスの花器でもできると思うので、これから梅雨前の緑濃くなる季節に、水の表情とか瑞々しさみたいなものもぜひ楽しんでいただけたらと思います。
齊藤 今日は7つの花器に生けてみました。引き続き瀬沼さんの花器がたくさん届くそうなので、当日は皆さんと一緒に楽しみたいと思います。
齊藤謙大
「初夏の野草 いけばなワークショップ」
5.27㊎13:00〜16:00
5.28㊏10:00〜13:00/5.28㊏15:00〜18:00
5.29㊐13:00〜16:00
定員:各回4名
費用:11,000円(税込、花材代込)
小灯 cotomosi
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-2 カーサ御苑602
tel. 03-6262-6542
https://cotomosi.com/cotomosinokai_007.html
瀬沼健太郎
「ガラスの花器展」
小灯 cotomosi
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-2 カーサ御苑602
tel. 03-6262-6542
https://cotomosi.com/cotomosinokai_008.html