「4本の手で仕事をする」。この言葉は、ガラス作家小西潮さんを、パートナーの江波冨士子さんと築き上げた潮工房を、実にうまく物語っている。 小西さんが手がけるのはヴェネチアンガラスの技法のひとつレースガラス。 色柄の元となるケイン(ガラス棒)ワーク※1をはじめ、いくつもの工程を織り成して生まれる繊細かつ緻密な作品は、4本の手が奏でるハーモニーの上に成り立っている。聞き手はpanoramaで「Makino Report」を担当する牧野昌美さん。ガラス作品のコレクターであり、潮工房のお二人とは親しい間柄でもある。
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僕の夢はずっと、
ガラス工房を持つことだった。
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牧野
子供の頃はどんな夢をもっていましたか?小西
小学生の時、仲良くなった女の子達が親元を離れて友達同士で暮らしたいと言い出したんです。最初はすごくびっくりしたんですが、じゃあ、そういう場所をつくらないとな、と思ったんです。牧野
潮さんが、その場所を作るということですか!?小西
そう。女の子の理想に対してどう応えたらいいだろうと……(笑)。小学校4年か5年の時です。そういう場所をつくらねばならないと。そう自覚したことが、今に繋がっているような気がする。クリエイティブな仕事場と住み処が一緒になっているような……そういうものをつくるんだ、という気持ちはその辺りから始まったのかもしれません。牧野
ガラスにはいつ頃から興味を持ったのですか?小西
子供の頃から、とにかくガラスが好きでした。家の近くの造成地にガラスの小さな破片がたくさん落ちていて、それを拾って集めるのが好きでしたね。だけど、それを職業とする発想はありませんでした。牧野
ガラス作家になりたいと思ったのはいつ頃からですか?小西
僕の夢は、ずっとガラス工房を持つことだったんですね。ガラス作家になるということは未だによくわかってなくて、ガラス作家である自覚もあまりない。ガラス工房さえあれば、俺はきっとガラス作家になってゆくのだろう、と期待してるんですけど(笑)。
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牧野
それは、レンタルの工房で吹くのではなく、自分の窯をもってガラスをつくりたいという意味ですか?小西
システマティックに場所を分け合うのはイヤなんです。この人が好きだから一緒にやりたい。ここなら、僕と江波の2人がいて、時々誰かがそこに加わって。そういう分け合い方をしたい。それが僕のスタイルだし、やりたいことなんだと思います。牧野
小学生の時、女の子達が好きな人とだけ暮らしたいと思い、潮さんがその場所をつくりたいと思ったように。小西
まあそうですね。あの頃とあまり変わらない。牧野
実際にガラス制作を始めたのはいつ頃からですか?小西
割と早い時期にガラスをやろうと思っていたんですが、どこから手を付けていいかわからなかった。大学を卒業する前、新島で国際ガラスフェスティバル※2が開かれるのを知って行ってみたんです。そこで山田力さんというガラス作家と出会い、大学のすぐ近くでガラス工房を開いているのを知りました。大学に通いながらそこでガラスを習い始めたんです。牧野
1990年にはアメリカのピルチャックグラススクール※3に行ってますね。ピルチャックに行って何か変わりましたか?小西
ピルチャックに行って出した結論は、学校に行くしかないな、ということでした。ピルチャックへ行くのは、基本的にアメリカの大学でガラスを習っている人達なんですね。学生が多い。将来的に展望を組み立てられるのは学校に行っている人達。他にヒッピーみたいな人もたくさんいて、雰囲気のある人も多いんですが、クリエイターとして確立している人が少ない。これじゃダメだ、そう思いました。よかったのは、ピルチャックから帰るとすぐ富山に学校※4ができたことです。新しい学校で歴史もないし、一期生ならいいなと思って入学しました。 -
この人が好きだから
一緒にやりたい。
それが僕のスタイルだし
やりたいことなんです。