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Interview 浜野まゆみ

作品づくりについて

初期伊万里の終わり、17世紀半ばから後半にかけて、中国の技術が入ってきた頃の物が好きです。特に1650年代辺りに、憧れている物があって、その魅力にときめきながら、自分らしい切り取り方で、白磁や絵付けの器をつくっています。

初期伊万里の後期というのは、唐津焼の名残というような雰囲気の色合いがあったり、1640年代に鍋島焼や古九谷が始まったばかりで、まだ素朴な魅力があったりという時代。上絵にも陶工の頑張って行くぞという意気込みや試行錯誤している苦労の様子がうかがえます。そこに私も共感しているのかなとも思います。

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古伊万里には、自然を写している物が多く、絵柄からも日本の四季や自然の営みを大切にしている思いみたいなものが伝わってきます。そういうものを自分も持ち続けていたいですし、日本の自然を写し続けて行きたいです。

夏になると、有田は山の中に百合の花が咲くんですね。古伊万里に、百合形の器があるんですけれど、ちょうど花の大きさくらいの器で、昔の陶工も同じように花を見て、これを食卓に、料理を盛る器にというふうに感じて、山の自然を写したのかなと。
おそらく「糸切成形」という技法でつくられていて、それは当時流行ったもののすでに消えてしまった技法なのですが、私はずっと研究を続けているので、同じように糸切成形でつくっています。

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時代の匂いに惹かれて

約400年前に有田で磁器が誕生したわけですが、大きな流れで言うと、その前に「古唐津」と呼ばれる唐津焼の時代が20~30年間ありました。唐津焼は砂岩を原料とした陶器でしたが、有田で白磁の原料となる陶石が発見され、磁器が焼かれるようになって、古唐津は消えて行きました。

有田焼は製品の積み出し港が伊万里だったことから伊万里焼とも呼ばれ、江戸の初めに作られたものを「初期伊万里」と呼んだりします。その頃の物は、桃山の雰囲気が残っているんですね。古唐津の陶片の雰囲気に近いような高台周りとか、釉薬や生地の厚みや歪みなどにも雑味があったりして見どころも多いです。

その後、だんだんと雑味感が消えてきれいになっていきます。原料も精緻されて、成形や絵付けもきちっとして、工房も変わっていったのだろうと思います。

時代によって、つくられた磁器それぞれの良さがありますが、私は初期伊万里の終わりに見られるようなきれい過ぎない磁器、陶石の美しさを感じるものが好きで、そういうようなものをつくりたいです。

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糸切成形との運命的な出会い

東京の美大で日本画を学んでいた当初から、いずれは絵画ではなく、用途のあるものに描きたいという思いでいたので、卒業後は有田の窯業大学校に進みました。

その頃、博物館で初期伊万里の器に、実際に触れられる機会があって、手に取った時のその感覚が、今の器とは全く違ったんですね。それがなぜなのかと思ったら、糸切成形という技法でつくられたものでした。ところが、その技術は続かず、今ではつくり方もすっかりわからないと。それなら、自分の卒業制作のテーマにしてみようと思って、以来ずっといろんなところで資料を探しながらつくり続けています。

最初の何年かは、バリバリと割れてしまってつくれませんでした。昔の陶工の動きを想像したり、道具を考えたり、素材のつくり方を考えたり。最近は、おそらくこんなふうにつくっていたかなということが自分なりにわかってきて、やっと形になってきました。
みんながやっていないことは、チャレンジする甲斐もありますし、いい課題だと思います。

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憧れている古い物をお手本にしていますが、写しを目指しているわけではなく、その器のもっている内面の魅力を感じて見ているような気がします。糸切はたくさんの手間をかける技法ですから、手間をできるだけかけない技法の轆轤とはかなり違います。でも、手間の多い糸切だからこそ、そこにつくり手を感じることができるんですね。その時代の陶工もきっと、何かに憧れたり、目指したりしながら、自分の思いをみつめてつくり続けていたのだろうと。私も同じように、つくり手を想像し、技術を辿りつつ、その続きの器をつくれたらなと思っています。

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Archives:つながりの器、その先へ 〜唐津・有田の6人の作家〜


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梶原靖元×矢野直人×竹花正弘×山本亮平×浜野まゆみ

文・構成:竹内典子 / Feb. 2017