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パノラマ座談会「焼き物の創造性を楽しむつくり手」広瀬一郎 [西麻布 桃居] × 竹内紘三 × 田淵太郎

パノラマでご紹介している陶芸家、竹内紘三さんと田淵太郎さんの二人展が、西麻布の「桃居」にて9月30日から始まります。これに先立ち、桃居オーナーの広瀬一郎さんに、竹内さん、田淵さんそれぞれの魅力について語っていただきました。美しいものにしなやかな眼差しを向ける広瀬さんが捉えた、二人の作家の内側にあるものとは…。

広瀬一郎
広瀬一郎
1987年より西麻布にて器のギャラリー「桃居」を営む
» 桃居

竹内紘三
竹内紘三
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田淵太郎
田淵太郎
» Artis index:田淵太郎

生活的陶芸と造形的陶芸

広瀬 まず、お二人と出会う前から、私がギャラリーを営みながら思ったり、感じたりしていたことについてお話します。

それは2000年代に入ってからの話になります。いわゆる鑑賞的・美術的な陶芸・工芸から、生活に身近な生活的陶芸・工芸に、人々の関心が移ってきました。それには理由があって、それまでの工芸を巡る状況として、生活的なものをある意味で下に見るというか、それは作家がつくるようなものではない、というような時代が長く続いたことも一因でした。いや、そうじゃなくて、工芸はもっと生活と密着して、暮らしを豊かにしてくれる一つの道具であるのが、もともとの立ち位置なんじゃないか、という声が出てきて、今の人気のつくり手で言えば、赤木明登さんや三谷龍二さんや安藤雅信さんのような、アノニマスなつくり手のありようというのが支持されるようになりました。この10年間で急速に生活的陶芸・工芸は浸透し、広範に受け入れられ、そのことによって新しい豊かなものが陶芸・工芸の世界に流れ込んできたと思います。それと同時に、生活的な陶芸は類型化し、フラットな世界をつくってきて、表現としての陶芸という部分が拡散し、弱くなってきていると感じていました。

竹内 確かに新しいものや、すごく表現的な作品を見る機会は減ったような気がします。

田淵 暮らしの器というようなテーマの雑誌も増えましたね。

広瀬 そういう中でお二人の作品を見た時に、表現している陶芸として、何か新しい流れを感じたんです。その辺りについて、お二人はいかがですか? ちょうどデビューしたのはゼロ年代ですけれど。世の中の流れは、生活に密着した、つくり手と使い手の目線が寄り添い、使い手の生活の中に自然に回収されていくような焼き物、器の世界が主流になっていたと思いますが。

座談会イメージ:広瀬一郎・竹内紘三・田淵太郎

竹内 僕と田淵は同じ大学だったんですけど、僕の場合は、その大学時代に、造形的なものから土とか陶芸というものにはまっていったんですね。そこが楽しいというか、つくりたいものがつくれる、というところが原点にあったので、世の中の流れはあまり意識していなかったですね。

広瀬 いわゆるゼロ年代の生活的な陶芸の流れは、あまり視野に入らなかったということ?

竹内 はい。そういう生活的なことと密着したような作品づくりというのは、仕事を始めて、もっと陶芸とは何だろうかと考え出してから突き詰めていった感じですね。

広瀬 田淵くんはどうでしたか? やはり、造形的な表現の方から始まったのでしょうか?

田淵 そうですね。大学でそういうものを学びましたから。卒業してものをつくり始めた頃は、社会の流れがそちらにあるという意識はあまりなくて、それより、もう少し面白いこと、変わったことっていう、作品としての捉え方の方が強かったです。器とは、焼き物とは、ということを考え出したのは、独立してからですね。

座談会イメージ:田淵太郎

竹内 えっ、そうなん? 田淵は昔からすごくちゃんとしていた印象だけど。

僕は大学を卒業してから多治見の意匠研に行ったので、いうなれば学生が長くて、でも、その頃から田淵は社会とのつながりある作品づくりというのを目指している感じがすごくあった。ある意味で厳しかったし、僕はまだ学生だったから、やりたいことを何ものにもならなくてもいいからやっていたんだけど、田淵からはそれじゃ駄目だろうって、もっと考えろって言われていた覚えがあります(笑)。

田淵 前回のパノラマのインタビューでも話しましたけど、僕は学生の時から将来こうなりたいっていう具体的なビジョンみたいなものがあって、それを目標にいろいろ自分で行動を起こしていたんです。それで、その頃に竹内の話を聞いて「どこに向かいたいん?」という話はいろいろしましたね(笑)。

広瀬 そうでしたか。お二人の世代でも生活に密着したものづくりをしている人は多いし、むしろそっちの方が多数派なのかもしれませんが。でも、そういう中で僕はお二人を見て、自分の内側に、これとぎりぎりまでつきあいたいんだっていうものを持っていて、それと真剣に対話しながらものをつくっているというのを感じました。そういう人たちが、この世代にも出てきたんだなと、すごく心強かったんです。

もちろん生活的な表現の中で、あっ、この人のつくるものすごいなって思うつくり手もいっぱいいます。同時に、あまりにも生活的なものが急速に拡大したがための弊害みたいなものも感じます。あんまりべったりフラットに、生活的工芸だけで覆われてしまうと、どんどん薄味になっていくというか、類型的なものが氾濫するようなシチュエーションを生み出しかねない。やはり、造形的な陶芸・工芸と生活的な陶芸・工芸の両方がないと、それぞれに刺激し合って、またもう一つ上のところへ行けないような気がするんですね。

竹内
田淵
確かにそう思います。

広瀬 マーケットを考えると、暮らしの中にすぐ取り入れられるような陶芸を支える人たちは、20年前に比べてすごく層も厚くなったし、広がってきた。逆に、かつては、いわゆる鑑賞的、美術的な陶芸を支える人たち、陶芸村のおじさんたちがいて、それがある程度機能していたんだけど、ここ20年くらいでそういう構造が壊れてきて、新しい表現的なものに対する受け皿みたいな層がまだ明確に形成されていない。お二人のように、造形的な表現として焼き物を考えて仕事をしていくというのは、自分たちで新しく支持してくれる人たちを切り開いていかなくちゃいけないっていう厳しさを感じます。

竹内くんは積極的に海外に挑戦していこうとしているし、生活に密着した器を扱うような店やギャラリー以外のチャンネル、可能性を求めていこうとしていますね。海外での手ごたえは出てきていますか?

座談会イメージ:竹内紘三

竹内 どうでしょうね。海外は最初がアメリカで、向こうにお世話になった日本人のギャラリストがいて、話を聞いたら、まだコレクターもいたり、求めてくれている人は多いなという印象でした。でも、パリは結構少ないかなと思いました。パリへ行く前から、日本ブーム的なもの、たとえば禅とかアニメとか流行っていて、その流れで陶芸をやったという話も聞いていたんですね。そういう流れは見えないところにあるのかもしれないけど、実際に僕が受けた印象では、日本の工芸を発信したり、受け入れてもらえたりという可能性はかなりありそうなんですけど、受け皿となるような場所がないんですね。でも、そういう日本的な美意識を求める流れは、世界中に必ずあると思います。

広瀬 僕はこれからの可能性として、アジアという気がするんです。桃居でもアジアからのお客さんが増えていますし、そういう方とお話すると、日本の工芸の面白さにセンサーを働かせていますね。ただ聞いてみると、デザインの仕事とか、建築の仕事とかされていて、限られた層ではあります。明らかにそういう感度のいい方にとって、日本の工芸というのは、「クールジャパン」じゃないですけど、すごく格好いいものに映っている。これは日本人じゃないとつくれない世界であると、感じ取ってくれている気がします。ヨーロッパみたいな美術の成熟したマーケットより、ある意味でアジアの方が、いろんな布石を打つにしても面白い可能性がありそうです。現実に、桃居で進行している話では、シンガポールで建築事務所をやっている方が、事務所を拡張したのを機会に、スペースに余裕ができたので、そこで少し日本の陶芸を紹介するようなエキジビションをやってみたいと言ってくれています。

竹内 いいですね。僕は今年、シンガポールのギャラリーからお話があって、香港での展示会に参加させてもらいました。会場に行きたかったのですが今回は行けず、残念でしたが、やはりアジアはかなり経済的なことも後押しして、日本のつくり手に目を向けていると思います。

田淵 僕もこれからアタックしたいですね。

竹内紘三・田淵太郎 二人展 @ 桃居/西麻布

竹内紘三・田淵太郎 二人展

2011/9/30(金)〜10/4(火)
@桃居/西麻布

2011年9月30日(金)〜10月4日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
同時開催 竹内紘三個展 @ エポカザショップ日々/銀座
2011年9月30日(金)〜10月5日(水)
» 日々 -にちにち-
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