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旧石器の表現から、土の表現へ
大きな転換
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広瀬
最近、「神」というようなテーマで熊谷さんは展覧会をされましたね。それは人間が土の可塑性に気づいて、自由な造形を知って、呪術的・宗教的なものをつくり始めたという先ほどの話よりも、もっと前の世界を表したものですか?熊谷
はい。僕はこれまでずっと縄文土器を調べてきたんですけど、なぜ縄文になって、いきなりこんなに創造力豊かにものづくりを技術も含めてやれるのかと。それまでの歴史ではずっとやってこなかったのになぜという疑問があった。先ほどの話とちょっと逆説的かもしれないですけど、土の可塑性と出合った途端、いきなりこんなに人はやれるのかと思ったわけです。それで、その前の世界はどんなものだったのか調べてみたんです。広瀬
なるほど。熊谷
残念ながら、風化してしまったり、発見されていないものもあるのか、まだ遺物的なものは出てきていません。そのために、縄文より前の時代は、創造物をつくる習慣がなかったというのが定説です。今の人が見たら、ただの石ころと区別がつかないような、砕いただけの状態のものしか出ていなくて、その程度の技術や表現しかできなかったと。僕もそうなのかなと思っていますが、でも、旧石器時代にもきっと基本的な石器の文化はあったはず。それで、単純に石にも興味があったので、僕の家の近所で石を見て回った。そうしたら本当に、その意識さえ持てば100%と言ってもいいくらい、石に顔が見えるんです。それこそ動物に見ようと思えば全部動物に見えるんですよ。広瀬
ということは、旧石器時代に生きていた人たちは、自分で何かを表現しなくても、森羅万象というか、森や川や岩の中にも何かを見つけて、それは神様に近いようなものであって、そういうものと自由に交信できたから、自ら表現として造形を生み出す必要を感じなかったということですか。熊谷
はい、おそらく。僕の見た石の顔にしても、そこまで僕はやっていないですけど、木を見たら木にも顔が見えるとか、自然の中には会話するものがいろいろある。今の人でも、そういう意識をちょっと持てば、誰かと話すように、石とも語り合えるような思い入れを持てる。たとえば1個の石を拾って、そいつと一緒にいたっていいわけで。それくらいの表現が自然現象として行われていて、それで人は十分だった。「神」をテーマにした展覧会ではそこをやってみたくて、拾ってきた石に対して、体というか土台の部分をつくってみました。つまり、旧石器の表現なんです。広瀬
そうだったのですね。熊谷
旧石器時代に持っていたそういう目を、縄文時代は、土の可塑性という新たな可能性を知ったことで、失ったんだと思います。
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広瀬
何かを得ることは、何かを失うことでもあるわけだから、土器的な世界を人は手に入れることによって何かを失った。その失ったものというのが、旧石器の頃の石の中にも木の中にもたとえば人の顔を見たりする、そしてその中で満たされる心というものだったのだろうと。熊谷
ただ、そういう見方や感じ方の訓練的なことは継承していて、その意味では、いきなり土で物をつくるようになった時にも、あれくらいの表現はできたのではないかな。広瀬
そうやって旧石器時代の心を失って、新石器の縄文の人たちは新しい造形物を生み出した。同じように僕たちも縄文の人たちが持っていたものを失っているから、縄文の世界をたどれない。今見たらかわいいとか怖いとか言われる土偶のようなものにも、きっと一つ一つに意味があるんだけど、僕たちは読み解けないし、そうやって人は変化していく。でも、失っても必ずその残滓というか、血の中に刷り込まれるものがあって、だから僕たちは縄文の人たちが何を持ってこれをつくったかというのは正確には読み解けなくても、彼らが持ったであろう心のざわめきとか揺らぎとか、何かに対する恐れとか尊敬とか、そういう何かを感じることはできるんですよね。熊谷
そこは本当に無視できなくて、全く言語も今とは違うけれども、物は残っていて、見ると何だこれはとなるわけですよ。その何なんだろう、というのが僕の制作のモチベーションの中にあって、そういうのを探りながらやっているところはあります。
熊谷幸治 土器展
2012年11月9日(金)〜11月13日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
世界の土器をみていたら
世界の平和がみえました
ー 熊谷幸治
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分