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あの細長いかたちに、
自由に構図をつくる楽しさ。
手拭いというのは、
自分にとっての浮世絵。 -
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それは喜ばしいことです。話が変わりますが、先ほど手拭いをつくるようになって木綿の魅力に気付いたということでしたが、小倉さんにとって手拭いの魅力って何でしょう?小倉
まず、あの矩形にすごく心が惹かれるんです。たけ二尺五寸※3、この細長いかたちに自由に構図をつくる楽しさがある。極端な話、真ん中に一本線を入れて色分けしただけでも絵になるし、逆に緻密な柄を入れても面白い。紙か布かの違いだけで、自分にとっては浮世絵をつくっている気分に近いかもしれない。型染も版画と一緒で、何枚も染めて世の中にぱーっと散って、やがて色褪せて雑巾にでもなって終わっちゃう。そういう散り方もたまらなく好きですね。——
浮世絵といえば、小倉さんの型染は江戸の風俗を写し取った図案の面白さが特徴ですね。その発想の原点には、大好きな芝居や落語があると思うのですが、江戸文化に魅力を感じるようになったのはいつごろからですか?小倉
芝居も落語もそれほど前からじゃないんですよ。学生の頃から時々観に行っていましたが、当時は贔屓の役者がいたわけでもないので。本当の意味でそうした世界にはまったのは西先生のおかげ。おしゃべりが大好きな方で、工房に行くといつも半日は江戸文化の講義(笑)。型染の技術だけじゃなくて、芝居や落語も含めた江戸文化そのものを教わりました。もちろん、作風にも影響していますし、学生時代の作品との大きな違いもそこにありますね。——
江戸文化のどんなところに惚れ込んでいるんですか?小倉
色々な意味で馬鹿げてるところ(笑)。ものすごい技術を駆使して、後先考えずに物作りに没頭しちゃう職人的馬鹿だったり、落語に出てくる粗忽者だったり。なんかこう……ね。
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たまらなく愛おしいんですね(笑)。たとえば、山東京傳の黄表紙や北斎漫画※4に見られる茶目っ気や洒落っ気が、小倉さんの絵には溢れています。小倉
そう、京傳なんて、あの発想はどこから来るんだろう?って思います。馬鹿なことをいい大人が真剣にやってるんです。そうした洒落がわかる人達がいっぱいいた時代。それが江戸後期の化政文化※5です。貧乏だってしょうがない、しょっちゅう火事だ、ケンカだ、やっていて、明日死んじゃうかもしれない。そういうのを全部受け止めて、飄々とあきらめている。潔さというか、カッコよさ。江戸という時代がもつ、そんな空気感が好きなのかもしれません。——
カッコいいこと、洒落てること、面白いこと、そういうネタが小倉さんの図案には詰め込まれている。それが見る人を惹きつけている気がします。最後に、今後の作品展開について何か構想はありますか?小倉
やりたいことは山ほどあるんです。たとえば、絹には発色の良さという魅力があります。さーっと色が入るので染めていて気持ちよさを感じる。本当は大好きですし、いずれは絹を使って帯もつくってみたい。ずいぶん前から生地だけは買ってありますけど、そこまで辿り着いてないだけ。もし一日の長さが倍あったら、すぐにでも出来ると思うんですけど(笑)。 -
皆がバカを真剣にやる。
その洒落をわかる人達が、
いっぱいいた時代。
それが江戸という時代。
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ある特定の人や場所を、
想像してつくる楽しさ。
自分の新しい感性を、
引っぱりだされる感じ。 -
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それじゃあ、いったい、いつになるんだか……(笑)。でも、小倉さんの帯については、以前から待ちわびていました。おそらくそういうファンの方も多いと思います。小倉
では、3年後ぐらいに帯展を行う……ことを目標に頑張ります(笑)。もうひとつ、最近面白いと思うようになったのは、ある特定の人や場所をイメージして作品をつくりあげること。オートクチュールの着物だったり、店の暖簾や楽屋暖簾だったり。そういった一種の縛りが、自分の中にある新しい感性を引っぱり出してくれるんです。特にオートクチュール着物は時間やお金をたっぷりかけて思い切りやってみたい。——
楽しみですけど、なんだか大変そうでもありますね。帯もオートクチュール着物も気長に待つことにします(笑)。本日はありがとうございました。