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Interview 西浦裕太 聞き手:根本美恵子(ギャラリー「日々」コーディネーター 文・構成:竹内典子 Feb. 2012

風景を描く彫刻

コンセプチュアルなものより、
日常の中のものに惹かれ始め、
自分らしいものづくりに。
工房風景

根本
ドイツでは、どんなことを学ばれましたか?

西浦
ドイツに行くと、僕は徐々に彫刻を中心につくるようになりました。立体によってさらに広げることのできる空間そのものに興味が湧いてきたんです。その中で、コンセプチュアルな作品も多くつくりました。ドイツでは美術においても、何をするにしても、どういう考えでそれを行っているか、ということを言葉で説明できることが重要視されていました。コンセプチュアルなものというのは、意志や思想を固めて、そのまとまったものを制作の間、持ち続けていくわけですが、僕はなかなかそれを持ちこたえることができなかった。きっとそこまでのエネルギーがなかったんですね。

根本
つくっているうちに違うものが見えてきてしまったということでしょうか?

西浦
当時は、自分のやりたいことをすべてやってみたいという時期でしたし、実際に興味のある可能なことは試していました。でも、自分の気持ちに無理をしていると感じることも多かったんです。その結果、自分の大好きなものを手に持ちながらいろいろと試食してみて、自分はやっぱりこれが一番好きだという具合に、また木を彫るという出発点に戻ったんだと思います。僕にしかできないことというのを、いろいろ試してきたことを集めて、ギューっと搾り出していた時期だったかもしれません。

根本
木の扱いとか道具とか、技術的なことをいちばん学んだのは、アフリカですか?

西浦
そうですね。技術もそうですし、今も僕が大切にしている制作への姿勢というものは、アフリカで学んだことが大きいです。

根本
以前、西浦さんが「彫刻スケッチ」という言葉をお使いだったのですが、それはどういう解釈でしょうか?

西浦
たしかパウル・クレー※3だったと思いますが、「キャンバスの上を散歩するように描く」と言っていて、その言葉がすごく印象的でずっと心に残っています。そんなふうに僕も彫刻できたらいいなと今も思っているんです。スケッチという言葉使いには、そういう思いがあります。

根本
なるほど。

西浦
アフリカのマコンデ族の先生というのは、黒檀の丸太を目の前にして、さて今日は何をつくろうかと1分間くらい考えてから、「さぁ、彫るよ」って彫りだすんですね。それと同時に物語が始まるんです。マコンデはシェタニという悪魔を彫ることが多くて、どんなシェタニでも自由につくり上げるんですが、彫りながら「このシェタニはこんな悪さをして、でもこんなかわいいところもあって」とか「ある日、シェタニが…」という話を、僕に絵本を読むように彫りながら聞かせてくれるんです。それはまさに散歩するように彫っていく。僕もそういう彫り方ができればいいなと思います。

根本
私はある種の宗教観とか、聖書の中の物語の引用のようなものを、西浦さんの作品から感じます。それは大人のおとぎ話のようで、かわいいばかりではなくて、裏に秘められている怖さみたいなものを少し垣間見るという感じ。私にとっては魅力的なところですが、そういう世界観みたいなものを意識されることはありますか?

西浦
意識はしていないですね。でも、表と裏ということはよく考えます。物事は常にいろいろな側面を持ち合わせているものだと思いますが、僕のつくるものも縦にも横にも読んでもらえたらと思います。喜劇に見えたり、時には悲劇にも見えたりする。美しいものをつくりたいと思いますが、そのものの解釈は観る人それぞれに委ねたいと思っています。

根本
そうなのですね。
作品を拝見していると、子供の頃はどんなお子さんだったのかということにも興味がわいてきます。

西浦
いつもブスーっとしているような子でした。それと、妄想癖というか、たとえば僕の家はテレビを見てもいい時間が30分間に決められていて、好きな番組を見て 30分経つとテレビを消されるんですけど、消された後も真っ黒な画面を見てボーっとしていましたね。テレビの続きを考えているのか、何か余韻に浸っているのか。それを見た母親が「何を考えているの?」と聞くと、僕は「それを考えているんだよ」って言っていたらしいです(笑)。

根本
そこに今の作品の種になるものがあったという感じがします。

散歩するように、スケッチしたり
木を彫っていく。
それが僕にとっての理想の形。
インタビュー風景:西浦裕太

※3:パウル・クレー
1879~1940年。20世紀を代表するスイスの画家。

Artist index Yuta NISHIURA