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鉱物と造形の間に/パノラマインタビュー 渡辺 遼 panorama interview Ryo WATANABE

Interview 渡辺 遼「鉱物と造形の間に」 2/6

聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子/Jan. 2014

美大でのこと

広瀬 大学ではどんな授業に興味を持ちましたか。

渡辺 3年生からはディスプレイデザインとシニックデザインの大きく二つのコースに分かれていて、ディスプレイデザインというのは店舗設計やショウウィンドウのディスプレイ、図面も含みます。シニックデザインは、舞台美術とかステージの照明などです。1・2年生の時には、両方をやって課題があってという感じで、3年生からゼミを選択するんですけれど、ディスプレイでもいくつかに分かれていて、建築、店舗、ランドスケープなど、教授によってメインにやっているものが分かれます。シニックでも、前衛的なものやオーソドックスなものなど個性がすごくあります。

広瀬 なるほど。

渡辺 どちらか選ぶために、つまみ食いみたいにして授業を聴くと、それぞれに面白いなと思うものはあって。ディスプレイの方では「スーパーポテト」の杉本貴志*1さんがいらして、自分のやってきた仕事とか、いまは時代の流れでこういうものがいいんじゃないかとか、こういう感覚に興味があるというものを頻繁にスライドで見せてくれたんです。そこでミニマリズムの作家のことも知りました。でも、杉本先生のゼミは人気があって、僕は入れなかったんです。

広瀬 シニックデザインにも、面白い先生はいらしたんですか。

渡辺 小竹信(のぶ)節(たか)*2さんという寺山修司さんの「天井桟敷」で舞台美術をやっていた人で、カラクリのあるオブジェというか、木でつくったバイオリンに足が生えていて動くものとかをつくっていて、すごく造りがきれいでした。そのゼミに入ったんですけれど、先生は教授という仕事だけでなく、世界各国で公演をするなど積極的に自分の仕事も続けていて、その写真や資料を見せていただきました。実際に授業で何かをつくるということはほとんどないし、ちゃんとつくれなくてもいいという感じなのですが、いま思えばいろんなものをたくさん見せてくれて、それがすごくよかったです。

広瀬 渡辺さん自身は先生とはどんなことを話しましたか。

渡辺 先生から「あなたは何に興味があるのか」と聞かれた時に、最初は車のデザインを志していたこと、金属が好きでそういうもので何かしていきたいことを話しました。終了制作で何をつくるかという時に、僕はドナルド・ジャッド*3が好きで、直方体の箱にカラクリのあるものをつくりたいと言ったら、そういうものはつくらなくていいと(笑)。いまやったところで、金工とか専門的なことを学んでいないのだから満足のいくものはできないだろうし、そういうかちっとしたものをつくろうとしないで、もっとよくわからないけれどエネルギーみたいなものを形にと。最終的に先生が課題を出して、あまり僕は興味なかったんですけれど、パワードスーツ*4をつくることになりました。

工房製作イメージ画像:渡辺遼

広瀬 卒業制作はパワードスーツでしたか。

渡辺 垂木とかでフレームをつくって、薄い鉄板をリベットで打ちつけて。できあがってみたらゴロッとした感じでしたけれど。面白い先生でしたね。

広瀬 金属に触って二つの手で何かつくるということは、大学時代から始めていたのですね。

渡辺 そうですね。話は前後しますけれど、教職課程を取っていて、そこで工芸実習として、銅の板で器状のものをつくるとか、銀で鋳造する授業を受けました。

広瀬 武蔵美には金工科もあるからそういう先生もいらっしゃるし、授業で触ることはできるんですね。

渡辺 それともう一つ、高校の時の非常勤講師の方で、彫刻家の多和圭三さんという鉄の塊をひたすらハンマーで打ち続けるという作品をずっとつくっている方が、たまたま武蔵美の共通彫塑という全学科の生徒が受講できる講義を受け持たれていて。教育実習で再会した際に、相談したんです。いま空間演出デザイン学科で学んでいるけれど、図面を描いたり、言葉のディスカッションのみで実在がつかみづらくて、実際にものをつくるということを一度やってみたいと。そうしたら、ちょうど他の学科でも受講できるものがあるからとアドバイスされて、実際に彫刻をベースにした彫塑科で、鉄を溶接したりしました。

広瀬 金属という素材とのつきあいは、じわじわと始まっていたわけですね。

渡辺 でも、溶接をやったのは2回だけで、自分で思ったようにはできなかったです。

インタビューイメージ画像:渡辺遼

広瀬 それはちょっと悔しいですね。もう少しスキルを身に着けたいと思われましたか。

渡辺 いまさら学生として編入するとか、違う学科の大学院を受けるという選択はなくて。

将来の夢と現実

広瀬 金属で何かつくっていきたいという意識は、強まっていたのですか。

渡辺 シニックの小竹先生が、舞台の美術もやるけれど、自身でオブジェをつくったりしていたのを見て、何かつくるものというのが自分に合っているんじゃないかと思っていました。デザインというのは、いろんな制約が生まれる中で、複数から一つのことをまとめあげていく。とくに空間演出デザイン学科というところは、いろいろ考えたことを模型につくるんですけれど、本物につくり上げるということは一度もなかったので、実際にものをつくれるようになりたかった。それと、プレゼンテーションで人を納得させるというのは、自分に合わないんじゃないかと思ったんです。

広瀬 基本的には、工業デザインはまずクライアントというか発注者がいて、こういうものをというオファーがあって、そこから作業が始まるわけですよね。体質的にそっち側ではないなという感じですか。

渡辺 プレゼンテーションの授業でも、他の人がすごく熱心に調べてこれをやりたいと言っているのを聞くと、自分のよりそっちをやった方がいいんじゃないかと思ったり(笑)。自分が自分の提案するものにそこまで関心を持っているかといわれると、そっちの人の方がいいかなと。そうかと言って、その人のものをつくるために自分は何をできるんだろうか、そこまで打ち込めるのかと思った時に、これがもしデザインという仕事だとしたら頓挫するような気もしました。

広瀬 学校でそういう模擬的なことをやっているんですね。 どこかのデザイン事務所に就職して、事務所の中で仕事をするということは考えなかったのですか。

渡辺 最初から考えなかったです。デザイン事務所への就職活動は一度もしていません。

広瀬 車のデザインについてはどうですか。

渡辺 車のプロダクトデザインというのは、中学生の時に、高校へ進学した方がいいということになってつくり出した目標だったわけです。好きだからそれはよかったのだけれど、大学進学の時に挫折というか、車のデザインとは直結しない学科に入って、そこでいろいろ学んでいるうちに、車のデザインやプロダクトデザインを日本で自分が目指してやっていくという気持ちはなくなりました。

*1 杉本貴志
すぎもとたかし 1945年東京生まれ。73年にデザイン事務所「スーパーポテト」を設立し、日本をはじめ世界各国の商業空間のデザインを手掛ける。

*2 小竹信節
こたけのぶたか 1950年東京生まれ。舞台美術、アートディレクター。

*3 ドナルド・ジャッド
1928‐1994年。20世紀アメリカのミニマルアートを代表する一人。1960年頃、絵画から立体へ移行し、箱型など純粋な形態の作品を発表。

*4 パワードスーツ
人間の筋力を増強するために装着する衣服型の機械装置。SF作品に登場する架空の強化防護服、医療・介護の目的で使用するパワーアシストスーツなど、種類や用途、呼称もさまざま。

渡辺遼・須田貴世子 二人展

渡辺遼・須田貴世子 二人展

2014/2/7(金)〜2/11(火)
@桃居/西麻布

桃居
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
http://www.toukyo.com