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鉱物と造形の間に/パノラマインタビュー 渡辺 遼 panorama interview Ryo WATANABE

Interview 渡辺 遼「鉱物と造形の間に」 4/6

聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子/Jan. 2014

大きな気付きを得て

広瀬 少しずつ自分の二つの手で物をつくり出して行った時の、渡辺さんのいちばんのベースというか、基盤にあるものというのが、最初に聞いた子供時代の山歩きの話に出てくるような、そういう自然の中で感じたある種の気配なのかなと思うのですが。

渡辺 町工場で自分が感じた挫折感とか、その後の美術造作の仕事とか、いろいろ経験したことによって、ある時、いままでのことは間違いだったと、全部何かが違っていたんだと思ったのです。ドナルド・ジャッドはそれ自体で完結しているし、それが新しい広がりを自分にもたらすかと言えばそうではないわけで。いままで思ってきたことが完全に違っていたんじゃないかと気付いた時に、小さい頃の記憶を頼りにするというか、何かそういうことにヒントがあるような気がして、自分で何かをつくってどうにかして行こうと思うのなら、そういう自然の中に感じた気配のようなものを形にできるようになりたいと思ったのです。そこに答えの一つがあるような、進む先というのがあるような気がして。

広瀬 それは言葉にしてしまえば、自然物だけが持っている独特の柔らかで静かな気配みたいなものでしょうか。

渡辺 はい。それを、やっぱり鉄でつくりたいと思ったのは、いままでのすべてを無駄にしてしまいたくないという思いがあるのかもしれません。鉄板で何かをつくることに憧れてやり始めて、それがうまくいかなかったことを、またいつかそれが上手くいくということにしたいし、これまでのことが全部なくなってしまうことは悔しいですから。

広瀬 それと生理的なところで素材と結びついていますよね。たとえば、渡辺さんの友人の熊谷幸治*5さんだったら、それが土なのだろうし、冨沢恭子*6さんだったら糸とか布だろうし。それはそれぞれのつくり手が意識して選び取るというよりは、気が付いたら自分にとっての素材はこれだったというようなものなのかもしれません。

渡辺 町工場で使っているそういう素材で、プロダクトや工業製品でなくても、何かそれを使ってつくるという意味はあるはずだと思うんです。

広瀬 そこですよね。鉄は、ある意味でいちばん素っ気ない汎用性のある素材であり、工業製品では当たり前のように数多く使われるものですからね。

インタビューイメージ画像

渡辺 今まであまり人には言わなかったというか、強調はしなかったことですけれど、最初、鉄板にこだわっていたのはそういうところもあってのことです。それでいま、鉄板を使って自然物のような気配のものをつくっているのは、鍛鉄とかのいわゆる伝統工芸ではなくて、町工場のやり方で何か自分でつくれるものを探したからです。

広瀬 そうしてつくり貯めた作品を、最初に発表したのは「ブリキ星*7」さんになりますか。

渡辺 きちんとした形の発表はそうです。

広瀬 ブリキ星さんとはどのような出会いでしたか。

渡辺 まだ工場で働いていた頃に、一度だけ参加したクラフト展のグループ展があって、たまたま冨沢恭子さんと一緒になって、こういうお店があるよと教えてもらったんです。でも、まだ働いていたし、ギャラリーにはずっと行っていなかったのでなかなか見に行く勇気もなくて、しばらく経ってから行きました。

広瀬 初めて行った時は、どうでしたか。

渡辺 地図を頼りに辿り着いて、店内にお客さんがいらしたのでなかなかお店に入れませんでした(笑)。その辺を一周して誰もいなくなってからお店に入って、まず店内を見せてもらって。その時、小さな鉄の作品を6個くらい鞄に入れて持っていたんです。でも、なかなか出せなくて。初めて行ったし、アポイントメントも取っていなかったのでどうしようかと思ったんですけれど、それでもこのまま帰るわけにもいかないと思って、店主の加川さんに作品を見てもらえないかと声をかけたんです。

広瀬 反応はいかがでしたか。

インタビューイメージ画像

渡辺 「人のつくったものをどうこう言う立場じゃないし、そういうのはちょっと疲れるから」というようなことを言われて(笑)。「では、何も言わなくていいので、ちょっとこのままでは帰れないから、出すだけ出させてください」とお願いして、鞄から取り出して並べて、これは鉄の板を叩いて溶接してつくったものだと説明して。そうしたら興味を持ってくださったんですね。それで「これをどうしたいですか」と聞かれて、「こういうものをつくって、仕事としていきたい」と言ったら、「3つくらい、預かってみましょうか」ということになって置いてもらえたんです。

作家への転身

広瀬 「預かるよ」というのはもちろん一つの評価ですよね。言葉での感想はなかったですか。

渡辺 そうですね。手に取って「へぇ~」っていう感じで。でも、「いいですね」とは言ってくれました。それで、値段をどうするかということになって、そこは全然決めてなかったんです(笑)。作品を持って行くという目的しか見えてなくて。その場で考えて、シールに値段を書いて貼ってもらいました。

広瀬 売れましたか。

渡辺 次に新しいものをつくって持って行った時に、「1つ売れました」とお金をいただきました。それがちょうど往復の交通費くらいで、これでは食べていけないなと。笑い話ですけれど、それからそういうことも考えるようになって、でも少し値上げしたら、今度は売れなくて、なかなかこういう世界は難しいというようなやり取りをしました。

広瀬 何かアルバイトをしながら、自分でつくることを始めたのですか。

渡辺 その時は舞台美術の仕事はしていなくて、飲食のアルバイトをしながら、平日は自宅のガレージを改装したところで作品をつくって、新しいものができると持って行ってという感じでした。ほかのお店にいろいろ回ってみるより、何も知らない人間が持ってきたものを置いてくれるのだからと、ブリキ星さん1ヶ所で挑戦してみようと思っていました。

広瀬 個展のきっかけは?

渡辺 半年くらい経った頃に、できれば展示という形でやらせていただけないかと僕からお願いしたんです。でも「展示はちょっとあんまり」というお返事で。後から伺ったら、お店を閉じる時期を決めていらして、それで新しい人の展示をしても責任とれないということで断ったと。ところが、あまりに僕がしつこくて、「常設内展という形でならやってみましょうか」と言ってくださったんです。展示の案内もつくっていただけて、その時に初めて、これを持ってギャラリーを訪ねてみようと思い、広瀬さんのところにも伺ったんです。

DMイメージ:渡辺遼展/彫刻@ブリキ星@西荻窪/2009年

広瀬 そうでしたね。何年前になりますか。

渡辺 ブリキ星さんでの展示が2009年だったので、広瀬さんにお会いしたのは2008年の冬です。その時もアポイントを取っていなくて、しかも赤木明登*8さんの会期中でした。

広瀬 先ほどの話ではないけれども、渡辺さんが自然物の持っている気配が織りなすものが自分にとって大事だったということのように、僕もやっぱりいろんな若い人が物を見せに来てくれて、もちろん見るんですけれど、僕はつくり手自身の気配というのもすごく大事にしているんです。そういう意味では、あの時、渡辺さんの作品を見て魅力的で面白いなと思ったし、低い声でボソボソッと喋っている気配もいいなと思いました。結局、桃居は骨董を扱うわけではないから、つくっている人も物もおつきあいしていく過程で当然変わって行くわけです。この人とおつきあいして行くと、どんな新しい刺激や変化があるのかなと予感しながら仕事をしていくのは楽しみの一つなんですね。そういう意味で、渡辺さんの持っているものに魅力を感じました。

*5 熊谷幸治
くまがいゆきはる 1978年神奈川県生まれ。土器作家。

*6 冨沢恭子
とみざわきょうこ 柿渋染め作家。女性4人組ユニット「sunui」としても活動。

*7 ブリキ星
東京・西荻窪の「ギャラリー・ブリキ星」。骨董・陶磁器・絵画など、店主・加川弘士さんの眼が光る。2010年3月に常設店舗を閉店。現在はHPで作品を取り扱う。

*8 赤木明登
あかぎあきと 1962年岡山県生まれ。塗師。輪島在住。

渡辺遼・須田貴世子 二人展

渡辺遼・須田貴世子 二人展

2014/2/7(金)〜2/11(火)
@桃居/西麻布

桃居
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
http://www.toukyo.com