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Interview 田淵太郎 聞き手:井上典子 文・構成:竹内典子

薪で焼く白磁の可能性を信じていきたい

大学生の時、
薪窯で白磁を焼いてもらった。
それが窯変白磁との出合い。
田淵太郎:窯焚き風景

井上
今回、薪窯のことをぜひお聞きしたいと思っていました。まず、薪窯をつくった理由を聞かせてください。

田淵
それは、僕の中でも一番重要なところですね。先ほどもお話したように、僕は陶芸家になりたくて大学に入ったんですけど、周りの先生方は、陶芸家であり大学の先生でもあるという感じで、僕の中の陶芸家像ではないんですよ。そこにすごく違和感があって、僕は器をつくって生活するというような陶芸家像を自分の将来に描いて入学したので、このままではいかんなと。それで大学2年か3年の時に、それだったら陶芸家の現場を訪ねていろいろ意見聞いたり、勉強させてもらおうと思って、何人かの陶芸家の方の工房へ出入りさせてもらったんです。

井上
どなたの所ですか?

田淵
陶芸家像として強く影響を受けたのは、岐阜の加藤委※4さんですね。大学3年の時に授業でNHK「やきもの探訪」という番組を見せてもらい、委さんが登場して釉薬の塊のようなものを作品にされていた。僕が実験的な作品づくりをしていた時だったということもあり、先生に紹介してもらって訪ねたんです。それから委さんが薪窯を焚く時に何度か訪ねているうちに、僕の作品も焼いてくれて。その時に焼き上がった自分の磁器作品がすごく興味深いものだったんです。

井上
どんな風に興味深かったのですか?

田淵
決してきれいと言えるものではなかったです。でも僕にとっては初めて見るようなきれいさがありました。ただ、それは部分的でしたけどね。

井上
それは匣鉢(さや)※5に入れて焼いたんですか?

田淵
いえ、裸でした。割れてるし、売り物にならないようなものだったし、僕の今の作品とは全然違うんですけど。でも、その時に薪で磁器を焼くっていうことの可能性に出合ったというか、すごくその先があるような気がしたんです。自分はもうこの道を行こうと。薪窯で白磁を焼く、というところで心が決まったんです。

井上
そうでしたか。

田淵
でも、僕は産地の出身でもないし、親が陶芸家でもない。というので独立して薪窯をつくるには、それなりの準備が必要と思い、大学には残らずすぐに就職して、とにかくお金を貯めようと。計画をずるずるしたくなかったんで、3年間だけ就職して香川に帰ろうと最初に決めていました。

井上
そして、3年後に実家へ帰られたのですね?

田淵
いえ、実家には帰らず、香川に帰る頃に、実家から車で40~50分の山奥に今の家を見つけました。

井上
場所を見つけるまでに時間はかかりましたか?

田淵
父の友人にも探してもらったので、そうでもないですね。家選びの条件も、窯が築けて、薪が手に入り、煙を出しても怒られない…となると、山奥しかないんで。

井上
窯の設計はご自分で?

田淵
そうです。学生の時に窯づくりの経験をさせてもらったり、築窯職人さんの所で1週間くらい勉強させてもらったりしました。耐火レンガも少しずつ集めておいて。

井上
偉いですね。

田淵
いえ、やる気です。負けん気かな(笑)。

井上
薪窯をつくってみてどうでしたか?

田淵
毎日ひたすら働き蟻のようにレンガを積んで、3ヶ月くらいかかりましたね。初窯は、磁器のものを入れたんですが、ことごとくダメでした。窯の温度は上がるんですけど、歪むし、割れるし、色が汚い…まったく物にならなかったです。薪窯で白磁は焼けないことはないんです。だけど、きれいに焼こうと思うと難しい。

井上
初窯のものは、全滅?

田淵
はい。思うものが焼けるようになるまでしばらくかかるだろうと思って、地元の粘土でも並行してつくり始めました。地産地消じゃないですけど、地元の粘土で地元の薪で、僕があの場所でつくるというのは、ある意味で焼き物の原点。その土地のもので焼くというのが一番合理的で理にかなっているという思いもあって、土ものも並行して焼くようにしたんです。白磁のものはその流れの中で、研究課題としてちょっとずつ仕上げていけばいいかと思って。
ところが、どうしても白磁を焼きたくなってしまうんで、次の窯からも白磁ばかり焼く。それから何回やっても白磁はうまくいかない。でも、学生の頃からの夢というか目標だったので、失敗しても宝探しみたいに何百点の中から可能性のあるのだけを集めて、また焼いては可能性のあるのを集めて、ちょっとずつ集められるものが増えてきて、そして今に至るっていう感じです。

井上
薪窯が完成したのは2007年でしたね。今の歩留まりはどのくらいですか?

田淵
7~8割まで来たので、まあまあです。問題はいろいろありますけど、まだまだ可能性もあると思うし。一つの窯の中で、焼けやすい所、焼けにくい所、温度差もさまざまな中で、きれいに焼ける作品を増やすというのはこれからもずっと課題だと思います。

香川の山奥に家を見つけ、
3カ月かけて自分で薪窯を築いた。
だが念願の初窯は全滅だった。
田淵太郎:工房風景

田淵太郎:工房風景(薪釜)

※4:加藤委(かとうつぶさ)
岐阜県多治見の陶芸家。磁器のイメージを覆す、斬新なフォルムの青白磁を制作。

※5:匣鉢(さや)
焼成の際に、器を入れて保護する容器。

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