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Interview 光藤 佐「轆轤で描く気韻感」 4/4

聞き手:根本美恵子さん(ギャラリー「日々」コーディネーター) / 文・構成:竹内典子/Nov. 2015

薪窯の仕上がり

根本 今年は11月に銀座「日々」にて、また作品展をさせていただくにあたって、先日薪窯を焚き終えたとうかがっていますが、手応えはいかがでしょうか?

光藤 去年の夏くらいから、かなり焼き方を安定させて、というかもっと前はいろんな焼き方にチャレンジしたんだけど、最近はだいたいこの焼き方でええんやなというところを決めて、だいたいその焼き方でやっていて。もう一つは、もう少しこっちの方とかいうのも今のところまとまってきて、好きな感じのものが焼けているかな。

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根本 つまり、満足度が高いということですね。今後、何かつくりたいと考えているものはありますか?

光藤 粉引は8~9割くらい僕の好きな感じになってきたんで、あと刷毛目とか絵唐津あたりを、もう少し今の焼き方でグレード上げて取れたらいいなと思ってる。

根本 先ほど見せていただいた三島とか掻き落としとかは、今回の作品展で拝見できるのでしょうか?

光藤 そうそう。あの辺も新作として見せられるかな。

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育てるように楽しむ

根本 以前、お茶碗をつくることは、ふつうの器をつくるのとはちょっと違ったニュアンスがあると。彫刻的な想いというか、時間の流れの全然違うものとして向かい合うのが楽しいというようなことをおっしゃっていましたが、今も同じ気持ちですか?

光藤 そうね。いまのところ志野と瀬戸黒を、もう少し納得できるまではやりたい。

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根本 志野については、いわゆる昔の志野ではない、今の私たちの生活の中で使われる志野みたいな解釈はどうですか? そういうものを求めている人たちはいるけれど、昔の桃山に倣ったようなゴツゴツドカンの志野はもうちょっとという人は中にはいますよね。

光藤 その辺りが課題やと思うね。僕にはそんなんできへんねんと思うんだけど、「できるよ」言うてくれる人がいるから。もうちょっと飛び出したものがとか、人がつくらんはちゃけたものがって言われるけどね。だけど、何でも段階があるから、もう少しやって見えてくるかもしれんし、それは頭で考えていてもつくらんことには出来んかもしれんからね。しばらくつくって、もう少し右往左往していいなと思ってる。今やっているのが嫌なわけではなくて、これで勝負するならもう少し勝負できる質感を出したらとかね。

根本 「すごいな」っていう最初のインパクトで、皆さん手に納めて眺めるけれど、さて、今の一般的なお道具立てなり、取り合わせの中ではちょっと違うよね、というそこの微妙なずれがあります。再現だけではない志野の碗が見たいと思います。

光藤 そこができたら何も言われへんだろうね。課題やと思う。

根本 黄瀬戸の茶碗とかもつくったら面白そうだと思いますけれど。

光藤 黄瀬戸もね、成長させようと思って、今一生懸命に水をやりよる感じ。そうやって自分のやりたいことを、ちまちまやっているの(笑)。

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根本 ご自分の引き出しは少しずつ増やして、増やした引出しを確実に大きくして行くというのは、やっぱり楽しみでしょうし、光藤さんはそういうつくり手になっていらっしゃる。「粉引の光藤さん」ということだけでなく、すべて光藤さんのものだと言える何かを少しずつ残している感じがします。

光藤 あちこちに水やったり肥料やったりしている段階って、もっとこうならないかなとか本人はいろいろ思ってるんだけど、振り返ってみれば、それが焼き物を楽しむということかなとすごく思う。それなくして、何か本を参考にして、この通りやったらこうなったなんていうのは、おそらく何も面白くないこと。

根本 端から、焼き物が楽しくてしょうがないっていうことが光藤さんの中にはあって、それがやっぱりいい意味での「焼き物バカ」だと私が思うところなんですね。光藤さんの自信と奥ゆかしさが常に入り乱れているところも、私は面白くて好きなんですけれど。

光藤 自信ほしいんやけどなあ(笑)。

線と書

根本 光藤さんは書も続けていらっしゃいますが、いつ頃から始められたのですか?

光藤 独立してからは一生懸命で、余力もなかったんだけど、40代半ばくらいから、興味のあることを自分でもやろうと思い出して。書は昔から好きだったから、本格的に書家の人について学ぶようになった。感想としては、やればやるほど難しいというのは確かやね。書家の人の書いた字、すべてではないんだけど、見ていると何点か、焼き物で最初にこれええな~と思うあの感覚が同じようにある。書家の字は嫌いやって言う人もいるんだけど、僕は全然そうじゃなくて、書家のいくつかの字を見ると、みつめてしまうというか、憧れてしまうというか。それが書けるわけじゃないんだけど、書いてみたいという気持ちも半分ありつつ、すごく魅力を感じる。

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根本 線描と書、というのはつながりありますよね。

光藤 それはあると思う。やっぱり佐川先生に学んだことがベースになってるからね。

根本 文字にしても、見えないものを書いて字に表現するわけだから、学生時代に見えない部分をしっかり描くようにと先生がアドバイスしてくれたことは、光藤さんの中に深く入っていたということですね。

光藤 パソコンで打った字には、時間も何も感じないのだけど。書というのはその人が書いた時間とか、線の勢いとか、呼吸や想い、その一刻が閉じこもった感じがするから、「この線いいな~」とか思うんかな。それは線描もほとんど一緒やと思う。だから、ある時、轆轤で挽いた時に出てくる線というのが、轆轤は立体なのに一緒やと。他の人の焼き物を見て、この人が字を書いたら面白いんちゃうかと思ったり。立体と平面は別々のようでいて、一緒やなとだいぶ若い頃に思うようになって、轆轤がすごく大事やと思うのはそういうところ。

根本 光藤さんらしいところですね。

光藤 例えば、看板の書とか、一筆で決めちゃうじゃない。轆轤の仕事も、何回も撫でくりまわしてきれいにつくることもできるけど、僕はそういうのではなくて、轆轤が一周回る間に筆を止めてしまうような、一手二手くらいで決めるみたいな感じの轆轤が好き。それは、水挽きでも削りでもそう。でも、これは轆轤の食器とか雑器の話で、それが茶碗になってくると、先ほどの根本さんの話にもあったけど、志野や瀬戸黒とかは、非常に造形的なところを楽しみながらつくってる。一つの茶碗を1時間も2時間も削ったりして、ふだんとはつくり方がまったく違うの。真逆と言ってもいいくらいで、その真逆さがまた新鮮で楽しい。片や、鼻歌まじりでサッとやってしまう一筆書きやけど、茶碗は睨めつけるようにして彫って行く。

根本 短歌に関しては、書を自分で表現したいということから始まったのですか?

光藤 それは別に関係なくて、言葉はほんのちょっと短歌や俳句を見てて、表現の仕方が好きなの。例えば短歌なら31文字で、ほんの少しの感動みたいなところをスーッと核心に触れずに詠んで、こっちが想像して核心に触れるとか。それは核心がどこにあるかはわからんけど、その辺が焼き物とちょっと似てるかな。似ているからやってるわけじゃないけど。自分自身が涼しいなとか一瞬感じる気分は、すごく抽象的なものなのに、それを言葉に変えて表現するというのがちょっと面白い。でも、素人やけどね。

根本 ある種のトータルな文人的教養というのは、作品づくりに生き、作品から漂い「やっぱりね」と思わされるものが、昔のものづくりの人たちは多かれ少なかれもっていたものですよね。
11月の作品展のDMにも、きっと素敵な短歌を書いていただけるのではないかと楽しみにお待ちしております。
今日はどうも有り難うございました。

インタビューを終えて

轤に向かう光藤さんの横から、手元をずっと眺めている、
ずっと眺めていても飽きてこない、
もっと見ていたいと思っているのに、出来上がってしまった。

つい引き寄せられてしまう物に備わった魅力は、想像力を刺激し、
満足度を感じさせ食べること使うことの楽しさを満たしてくれる。
そして技術力に裏打ちされた逸品を使う、
誇らしさを与えてくれるようだ。

根本美恵子

ギャラリー勤務を経て、2004年エポカザショップ銀座・日々のスタートとともに、コーディネーターを勤める。
数多くの作り手と親交があり、日々の企画展で紹介している。
» エポカ ザ ショップ銀座 日々

光藤 佐展

光藤 佐展

2015/11/13(金)〜11/18(水)
@エポカザショップ日々/銀座

日々 -にちにち-
http://epoca-the-shop.com/nichinichi/
03-3573-3417
東京都中央区銀座5-5-13
●地下鉄 銀座駅B6出口より3分