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Interview 光藤 佐「轆轤で描く気韻感」 2/4

聞き手:根本美恵子さん(ギャラリー「日々」コーディネーター) / 文・構成:竹内典子/Nov. 2015

「生きた線」を学んで

根本 大学の漫画科の先生とは、どのような出会いだったのですか?

光藤 僕には「線描の絵を勉強したい」という思いがあって。「絵を描く」そのイロハのことでとなると、いろいろ見てみたけど、結局、京都精華大学で教えている佐川美代太郎*1という先生がええんちゃうかって。

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根本 大学で選んだというより、その先生がいるところを選んだということですね。かなり具体的ですね。

光藤 漫画は描く気ないけれど、受験したいと思いました。

根本 漫画科ってどんなことやるんだろうかと、漠然と思う人も多いのではないですか。美大の中では珍しいですよね?

光藤 入学してから180度変えられてしまう。中には漫画の方へ進む人もいるけれど、僕のゼミは全員、タブロー*2ですね。そのために4年間やったことと言えば、動物園に通ってクロッキー*3することと、教室でモデルの裸婦をクロッキーすること。デッサンじゃなくて、ひたすらクロッキーだから、ムーブメントをとらえるというか。結局、それが「線」につながる。佐川先生に、生きた線と死んだ線の話を、コンコンと4年間教わった。「気韻感」と言って、「気韻生動」*4ということですわ。裸婦を描くにも、上っ面を描くんじゃないと、人体解剖から勉強させられました(笑)。

根本 先生の描かれる線はそういうものだったということですか。

光藤 先生のクロッキー1枚でいいからほしいと思った。もう感心したね。クロッキーなのに、うまいな~と思ってね。さすが僕らを怒るだけある(笑)。

根本 面白い先生ですね。

光藤 例えば、女の人が後ろ向いてて振り返ったら、お尻の上にお乳がやってくるのを1本の線だけで描くとして、それを言葉だけで聞いたらお尻の上にお乳はないんだけど、それをとらえて描いていく。そういうことをやっている内に、3年生くらいやったかな、ピカソってでたらめやないわって、そのすごさがわかってきた。学問と実践によって理解できた。僕は動物の焼き物もつくっているけど、あれもデフォルメしてるし、先生にはよう見せれんものだけど、やっぱり顔の骨格とか筋肉の動き方とかとらえてる。

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器づくりと料理

根本 大学卒業されてからは、ヨーロッパを周った後に、お庭焼き*5といわれる陶工の仕事に身を置いたそうですね。

光藤 湯豆腐屋さんなんだけど、そこの食器を専門でつくるという仕事。86~87年頃かな、景気もよかったんでしょうね。そこなら轆轤だけでなくて、焼くのも釉薬つくるのも全部やらなあかんいうんで、余計それに惹かれてそこに入った。僕ともう一人、10歳上の先輩おって二人だった。

根本 そこでお料理も覚えられたのですか?

光藤 それはもう少し先になってから。その湯豆腐屋さんは賄も出て、お昼はお客さん帰ってから2~3時に、お昼食べにおいでって轆轤場に電話かかってきて行くんだけど、途中、調理場を通って行く。その時に若い人たちが調理しているのを横目で見ながら行き来する中で、ちょっと料理に意識が向いてきて。そう思っていたら、縁があって、知人から有名な懐石料理屋さんの料理長やってた人を紹介された。その方が親の都合もあって京都から田舎に帰られて、自分で庭を整備して、3部屋だけの小さな懐石料理屋さんをつくったの。

根本 光藤さんは料理がお得意で、すっぽんもさばけるんですよね。

光藤 それもその当時、教えてもらったこと。そんな田舎に、調理師の若い子は誰も行かない。その人の京都の店の時の下で働いていた人と僕は仲良くて、よかったら行かないかと、おもろい人探しているらしいわと。俺、おもろうないけどとか言いながら行ったんだけど、来てよ来てよと言ってくれて。最初はお試しで、1週間とか半月とかいう感じが、結局は2年ほどずるずる行ってた。料理長と僕だけだから、僕ができるようになると、料理長の仕事が減って行くわけで、揚げ物まで僕がさしてもらってお客さんに出してたね。すっぽんも、早いうちから、これやってくれと言われて。名物というか、近所ですっぽんの養殖をやっていたから、そういうものをご飯ものに生かそうとした。お客様が嫌がらなかったら、すっぽん雑炊を出して。だから、日々さばいておって。

根本 その頃に独立することを決められたのですよね。

光藤 独立という意味では、場所を探していたら、兵庫県の養父(やぶ)市に空き家の物件があった。養父というところは、明延(あけのべ)鉱山というスズとかが採れる鉱山があったところで、閉山されて人口が半分以下に減って、幼稚園とか学校とかの廃校を跡地利用していたの。その中の一つ、もとは幼稚園だったところなんだけど、村おこしの流れで窯が付いていて、そこを借りたので独立しやすかった。平屋のコの字型で、ボロボロやけど結構広いところで、そこに15年も住んでいた。

根本 養父にひとまず落ち着かれて、結婚もされて。そこが作家としてデビューした最初の制作場であり、光藤さんにとってひとつ確立すべき仕事の始まりとなった場所ですよね。私が光藤さんと出会ったのはその頃で、お邪魔させていただいたら、小さな子供用のトイレがあったり、かわいい下駄箱があったりしました。

光藤 そうそう。独立してから、東京で展示会させてもらった時に根本さんと知り合ったからね。

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*1 佐川美代太郎:
漫画家、絵本作家。1923~2009年。日本経済新聞連載の『ホイキタ君』(のちに『へいきの平ちゃん』と改題)などのナンセンス漫画を手がけた後、40代になってから中国哲学やクロッキーを学び、細密な描写のストーリー漫画に転身。京都精華大学の教授となった後も、佛教大学にて自ら学生となって学び、仏教漫画なども描いた。

*2 タブロー:
固定した壁画ではなく、額縁におさめる可動的な板絵、キャンパス画のこと。習作や下描きなどは含まれず、完成を目的として制作された絵画であり、完成作品を指す。

*3 クロッキー:
速写。スケッチともいうが、中でも短時間で対象を素早く描画したものをクロッキーと呼ぶ。動物や人体の動きを素早くとらえる訓練として、タブローへ昇華させるための習作として行う。

*4 気韻生動:
気高い風格や気品が、生き生きと表現されていること。生気や情緒に満ちあふれていること。

*5 お庭焼き:
江戸時代、大名や重臣などが、城内や邸内に窯を築いて陶工を招き、自分の趣向に合わせて焼かせた陶磁器のこと。

光藤 佐展

光藤 佐展

2015/11/13(金)〜11/18(水)
@エポカザショップ日々/銀座

日々 -にちにち-
http://epoca-the-shop.com/nichinichi/
03-3573-3417
東京都中央区銀座5-5-13
●地下鉄 銀座駅B6出口より3分