Interview 升 たか「苔むさない生き方、描き方」 後編 4/4
聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子 / Jul. 2014
出会いを広める、新しいプロダクト物
広瀬 プロダクトの仕事というのは、いわゆる生活的な工芸、暮らしに向いた工芸の現状を、升さんはどう見ているかという話にもつながってきますね。
升 自分の手でつくる、自分の手で描くというのはもちろん続けて行きたいし、まだやりたいことはいっぱいあるのに、「なぜプロダクトなの?」と言われるかもわからないけれど、プロダクトの持っている面白さってありますよね。焼き物に興味なくても自分たちの暮らしを楽しみたい人というのはたくさんいて、その人たちに興味をもってもらうための一つに、プロダクト物が考えられます。僕自身が昔は焼き物に興味なかったというか、興味をどう持てばよいかわからなかったくらいで、インテリアショップや雑貨店で茶碗を買って、自分の茶碗を見つけたという気分になっていました。それからだんだんと自分の好きな物が変わって行って、桃居さんとかギャラリーシーンへ出会って行くわけです。だから最初に出会う自分の器がプロダクトのものであってもいいと思います。
広瀬 これからはプロダクト的な世界にも、豊かな感性が必要になってくるということでしょうか。
升 それはあると思います。僕がやれるかやれないかにしても、生意気な見方かもしれないけれど、一点物の仕事を日本人が大事にしていく上では、プロダクトの裾野を広げておかないと、そこに結局のところはたどり着かないのではないでしょうか。焼き物に興味ない人にも興味を持ってもらえるようなプロダクト物を提供して行くという仕事は、まだ日本の場合はこれから増えるでしょうし、必要になってくると思います。それと、プロダクト物には「みんなと同じ物を使っている」という楽しさがありますよね。一点物にはない物の楽しさというか、安心感というか。日本人はそういうものも大好きですから。
広瀬 無印良品があれだけ支持されているのは、そういうことでしょうね。
升 そういうものの中に、新しいスタイルなり、形なり、デザインを提案できれば、もっと可能性は広がります。プロダクト物を使い込んでいく内に、私だけの物、あなただけの物というものがほしくなってくる。そういうステップを踏まないと、いきなり作家物のマイ茶碗をというのは難しい。もっとステップを踏まないと。
広瀬 現実に、日本の家庭のテーブルに作家物の器が氾濫するということはあり得ないわけで、8~9割はプロダクト物、量産物を使っていくわけです。そうすると、いまいちばん弱いのは、個人がつくっている物よりも、いわゆる量産されている物なのかもしれないですね。
升 戦後日本は、経済の発展と共に、プロダクトの物がまず出てきました。もちろん数寄物の世界はありましたけれども、一般の家庭の中では、経済発展によって所得は上がり、家電と共に食器も豊かになってきたわけですが、まずはプロダクト物が普及しました。それが生活のあり様としては、健康な状態だったと言えます。
広瀬 プロダクト物の現状は、各産地を見ると疲弊し切っています。体力がどんどん落ちてきて、新しい魅力あるものをつくる力が失われていっています。
升 でも、実は本当に小さなメーカーかもしれないけれど、窯業所の何代目か、あるいは個人事業者レベルも含めて、プロダクトに注目して頑張ろうとしている人たちはいますよね。
窯業全体を見た時に広がる可能性
広瀬 むしろ何か大きな変化というのは、ぎりぎりまで追い込まれて、既存のシステムというか制度が壊れた時に、次の新しいシステムが立ち上がってくるような気がします。そういう意味でいえば、プロダクトの世界が疲弊しているという言い方が成り立つと同時に、いま新しいものが立ち上がろうとしている局面であるのかもしれないですね。
升 それはすごく感じます。窯業産地の中に、次の世代の新しい人材、設備、デザイン、制度が生まれつつあるというか、必要とされてきているような気がします。かつての大きい窯業所の大きい工場を動かすということではないやり方というか。
広瀬 個人のつくり手の世界も、いま大きな曲がり角に来ているのかもしれません。生活的な工芸が前に押し出されてきて、もう15~20年近く経っていますから。暮らしの中で使われるものだからということを言い訳にして、ある種の緩さというものが蔓延してきた面もありますし、いままで生活的な工芸として一括りにされてきたものが、これからは徐々にレイヤー化というか階層化されていくのではないでしょうか。当然、作家はかなり厳しい選択の中に置かれて、表現としての深さとか強さとかをきちんと持っていないと、マーケットの中で通用しなくなると思います。
升 そうなるでしょうね。
広瀬 それと同時に、いまよりももっと作家性みたいなものが薄められて、アノニマス的につくられる生活道具を意識して、自分の名前を表に出さずに誠実にものをつくっていく人たちも出て来るでしょう。3人とか5人とかいう規模で協働工房を持って、その協働工房の名前で物をつくって安価で良質な器を提供したいという人たちも出て来るでしょうし。そういう中で、新しいプロダクト物というのが、それには有能なディレクターとかプロデューサーが必要なわけで、いまそこがちょっと手薄だけれども、手薄であるがゆえに、先に参入した者が活躍できる可能性はものすごくありそうですね。そういうことも含めて、プロダクトの世界はある意味でいまいちばん豊かなポテンシャルであるかもしれない。
升 マーケットとしても人材としても、これからのプロダクトの仕事には可能性がすごくあるでしょう。僕が知っている作家としての世界だけを見ると、窮屈に思えてしまうところもあるかもしれないけれど、そうではなくて窯業全体を見た時に、まだやれていない、あるいはやるべき仕事というのはたくさんあります。
広瀬 升さんは今後の方向性として、どのようなことを考えていますか。
升 プロダクトの仕事も機会があれば、名古屋か九州で、そういう人たちと関わってやってみたいです。それと、東南アジアはベトナムもずいぶん変わったみたいですし、タイもマテリアルはふんだんにあるでしょう。ベトナムもタイも、あの世界が持っている紋様がありますから、それを自分がどういうふうに描けるか、それによって自分の仕事がどう変わるのか、プロダクトとは違って非常に個人的なことですけれど、それも試してみたいことの一つです。
広瀬 個人の仕事の一方で、プロダクトの世界へ繰り出して行って、ディレクターとかプロデューサー的な役割で焼き物の世界に関わって行くとなると、それは新しい挑戦ということになりませんか?
升 そうです。僕はたぶん人と交わる仕事がいちばん苦手なことだし、指図されたりすることは、自分が受け手だったらいちばん嫌なことです。でも、そうではない目的をきちんと持ったうえで、共に仕事をするというのは、バリで経験してみて、非常に気持ちよいことでした。毎日が工場の人間100人くらいと一緒にやっているという気分で、みんなにもそういう気持ちを持ってもらえて、言葉は通じないけれど、工場の人たちからの反応もすごく強かったです。
広瀬 バリでその扉を少し開かれたわけですね。
升 僕は焼き物を始める前に、有田や波佐見を歩いたことがあるんですけれど、当時は産地のプライドみたいなものが強かった。でもいまは世代も若くなっているし、みんなが何かを求めているから、一緒にプロダクトの物で何かつくろうという気運があるならば、あるいはつくれるならば、それも楽しいだろうなと思います。あまりそういうのは自分の中で予測していなかったことですけれど。
広瀬 つねに予測外の出来事へ向かう、というのは升さんの人生だから(笑)。想定外も想定内ですね(笑)。
升 変な言い方ですけれど、デザイン畑にいたイラストレーターだった僕が、焼き物の世界に入って、何か変な物をつくれたような気がするし、でもそれをずっとつくり続けていたら当たり前になってくるし。それを今度は逆に、焼き物をやっていた僕が、デザイン物をやった時にどうなるか、どういう答えが出せるのかと。そういうことで何か僕にできることがあるのではないか、自分の使い道がもう少しあるのかなという気は少ししています。
広瀬 ちょっと心配なのは、ここ十数年打ちこまれてきた升さんの仕事は、もしかしてだんだんドキドキしないものになってきてしまったのではないかと (笑)。
升 いいえ、それはないですよ(笑)。最終的に自分の手を動かさないと息ができなくなるから(笑)。
広瀬 そこは手放せないわけですね。
升 自分の手から離れることは無理でしょうね。いまちょっと気になっているのは、手にこだわり過ぎてだんだんと手が綺麗になっていることです。機械的に描かれたみたいに、上手に処理ができるようになってしまっているところが微妙ですね。
広瀬 ディレクターというのは、二つの手は使わないわけですから、使うところが違いますね。
升 プロダクトの仕事は、気持ちも方法も全部手から離れてみて、残るどこか、そのメーカーの特性とか癖みたいなものを魅力的に見せて行くことが大事だと思います。本当はおとなしく、もっと自分の個人的な仕事を深めるなり、発展させるなり、変わるなりする方がいちばん無理はないと思うんですけれど。
広瀬 普通、60代は守りですけれど、升さんはつねにアグレッシブですね。
升 守れるものがないから困っているんです(笑)。お陰様で焼き物は、桃居さんから始まって15年近く続いているわけで、これは僕にとっては奇跡で、ご褒美みたいなものです。いい時間を過ごしたなと思うけれど、焼き物をやり続けていても、どこかでもっと焼き物を客観的に見られるような仕事もやってみたいというのもあって。でも、悲しいかな、時間はあきらかに減って行くものだから、何もかも欲張れないというのはいま感じています。
広瀬 紙の世界というか、絵画の方も升さんはまだやり残したことがありそうな気もします。いわゆるイラストレーションではない絵画の方でも大きな賞をとられていますし。
升 これだけ長く絵画から離れていると、やり残したこと、本当だった自分をいちばん置き去りにしているところはありますね。これはいまさら解決できないだろうとも。だからそれは発表するとかしないとかではなくて、最後に自分だけが座る小さな椅子として、絵というのは残るのだろうと、悔いも含めて思います。やっぱり他人ごとのように絵を鑑賞する側に立って終わりたくないですから。いまでも人の絵を見て感動すると、「お前なんだよ。向こう側じゃないの?」と自分に腹が立つし、自分は人を感動させる側でありたいという気分になってくるんです。面倒くさい性格ですよ(笑)。
広瀬 最終的に帰って行く場所は、少年時代のように、紙に向かって筆を走らせているというようなことかもしれませんね。 本日は、どうもありがとうございました。
升たか 陶展
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