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Interview 小川郁子 聞き手:外山恭子(六本木 SAVOIR VIVRE 文・構成:竹内典子 Jun. 2012

江戸切子に自分らしさをのせて

小柄でどこか少女っぽい雰囲気の小川郁子さんには、内に秘めた情熱がある。伝統工芸作家に師事した9年に及ぶ修行時代も、江戸切子を曇りなく見つめ、一途に憧れを抱いてきた。独立から8年目、小川さんの切子は、その思いや軌跡に、今の暮らしを楽しむ女性としての等身大の感覚が、軽やかに鮮やかに息づいている。今回のインタビュアーは六本木「サボア・ヴィーブル」の外山恭子さん。若手からベテランまで多くの作家さんと交流の深い外山さんが、伝統を生かしながらもそこにとらわれない小川さんの魅力に迫ります。

学生時代の習い事として始めた
「江戸切子講座」
小川郁子:インタビュー風景

外山
まず切子を始められたきっかけを教えていただけますか?

小川
大学入学と同時に、何か習い事を始めようと思っていた時に、ずっと江東区に暮らしているんですけど、『江東区報』に江戸切子の講座について掲載されているのを母親が見つけて教えてくれたのがきっかけです。

外山
小川さんは上智大学のご卒業で、美大出身ではないですよね。もともとガラスに興味があったのですか?

小川
はい。ガラスは見るのも好きで、昔のガラスや外国のガラスもいいなと思っていましたし、吹きガラスをやってみたいと思っていました。切子はカットなので全然違うんですけど、でもガラスだからやってみようかなと思って。もともと美大へ進学したいと思っていたんですが、高校の美術の先生から美大は大変だとか、強い個性がなければ続けられないとか言われて、担任の先生からも推薦で上智を受験するように勧められて、素直に美大受験を止めました。そういう経緯もあったので、習い事は何かつくることをやってみたくて、それで区報にたまたま載っていた切子をやってみようかと、何となく始めたんです。

外山
江戸切子を専門に習う講座だったのですか?

小川
そうです。江東区は昔から江戸切子が盛んな土地で、その講座も江東区の文化センターで立ち上げたものでした。区民なら誰でも応募できて、倍率が高かったようですが抽選で当たって入れました。

外山
初めて切子をやった時、何か直観的に感じるものはありましたか?

小川
それが、ものすごく面白かったんです。週1回の教室が楽しくて、大学在学中の4年間はほぼ欠席せずに通ったほどです。学生の時はよく友達から飲み会とかに誘われたんですけど、切子の日はそれも断って、早々に教室へ行っては最後まで残ってやっていました。大学卒業後に先生に弟子入りしてからも、教室には引き続きしばらく通っていました。

外山
教室では、渡された材料に加工していくのですか?

小川
そうです。最初は板ガラスを配られて、そこに線を1本ずつカットして格子柄や麻の葉柄にして、板を2枚くらいやってから次にコップとかをやりました。

外山
教えて下さるのは、伝統工芸の職人さんですか?

小川
そうです。後々、私の師匠になる江戸切子作家の小林英夫先生※1でした。小林先生は教え方が上手で、楽しくやっていたクラスだったので、最初は面白いおじいちゃん先生という印象でしたけど、だんだんと小林先生は江戸切子の頂点にいるすごい先生だということがわかりました。

外山
最初からご縁があったのですね。仕事としてご自分が切子に携わっていこうと思うようになったのはどうしてですか?

小川
大学卒業後の就職を考えなければいけない時期になって、初めは親の希望で公務員試験の勉強をしていたんですけど、全然身が入らなくて。やっぱり私は切子をやりたいと思い始めてしまって、それまで4年間習っていたけれど、もっと本格的に勉強したいと考え出したんです。仕事にするとか、そこまでは考えてなくて、ただ切子の勉強がしたかったんです。それで、卒業と同時に小林先生に弟子入りさせてもらったんですけど、弟子入りするまでが結構大変でした。先生から弟子は採らない、ほかで働きなさい、趣味でやりなさいとか言われてしまって。

外山
美大進学希望に続き、小川さんはなぜか進路を反対されてしまうんですね(笑)。

小川
そうなんです。友達はほとんどが賛成して応援してくれるんですけどね。ちょうど就職氷河期の始まりで就職も楽ではなく、周りの友達はやりたいことがあるならそれをやった方がいいと言ってくれて。それで何度も小林先生にお願いして、ようやくそんなに言うなら遊びに来れば、でもまだ弟子ではないみたいな感じになって。だから押しかけ弟子ですね。

大学4年間、習い続けて
卒業後は伝統工芸作家に弟子入り
バラプレート:小川郁子

※1
小林英夫:こばやしひでお (1923‐2011年) 江戸切子の第一人者

Artist index Ikuko OGAWA