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Interview 光藤 佐「轆轤で描く気韻感」 1/4



聞き手:根本美恵子さん(ギャラリー「日々」コーディネーター) / 文・構成:竹内典子 / Nov. 2015

光藤 (たすく)さんが暮らすのは、天空の城として有名な竹田城跡のある兵庫県中北部・和田山町。10年前に植えたというコナラの木々が、自宅と工房を包む林のように大きく育っています。光藤さんの焼き物は「使う」ことを第一につくられていて、品よく気取りのない器は、その確かな技術と、焼き物づくりへのひたむきな想いが込められています。インタビュアーは銀座のギャラリー「日々」の根本美恵子さん。光藤さんとは20年来のおつきあいがあり、ものづくりや人柄の魅力を爽快に引き出してくれます。

興味から広がる技法

根本 今年で独立して27年になられるそうですね。私が光藤さんと出会ってからも、かれこれ20年以上になります。日々新しいことに挑戦し続けているところが、変わらない光藤さんらしさであり、私が存じ上げている作家さんの中でも、良い意味で「焼き物バカ」と思います。今日はその辺りの所以について、共感していただけるようなお話ができたらなと思っています。
これまで日々では、光藤さんの作品展を5回ほど開催させていただきましたし、常設展でも扱わせていただいているのですが、お客様の中には、知らないで手に取ったものが全て、手法は違うのに、光藤さんの作品だったという方がいらっしゃいます。それから、やはり技法の幅広さに驚くお客様が多くいらっしゃいます。今は何種類くらいの技法を手がけているのですか?

光藤 自分ではそんなに違う技法をやっているつもりはないけど、見た目でそういうふうに見えてくるような気もします。

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根本 一般的な解釈でいえば、多い方かなと。

光藤 そうね。志野とか、瀬戸黒とか、そういう名称で挙げていけば、いくつかのものになるかな。僕は何か一つをずっとやっていくというよりも、興味の向くものをあれこれつまんでみたい。それが何でもかんでもということではなくて、だいたいこの範囲の中でというものがあって、その中で興味がウロウロしているという感じ。

根本 これだけいろいろな技法のことを考えていたら、一日中焼き物のことばかり考えるという生活になりませんか?

光藤 いいように言うたら、そうかもしれんね。

根本 それは、土というものの魅力でしょうか?

光藤 土と焼き方と釉薬と、轆轤で挽く形、つくり。そういうもののマッチングというか、そういうことを絶えず無尽蔵の中からチョイスしていくというのかな。ここで終わりというのがないようなところを、ベストがなくてベターをずっとやっている。ところが、こっちの好みが変わるからエンドレス(笑)。

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根本 飽きるという言葉はいい解釈ではないかもしれないけれど、実は常に飽きないように自分を持って行っているのでしょうか?

光藤 それやったら、すごく賢いと思うんやけどね。自分をそういうふうに引っ張っていける能力が僕にあるならすごくいいけど、そこはよくわからない。ただ、そんなふうに仕事ができたらいちばんいいかなとは思う。

小学生で芽生えた憧れ

根本 光藤さんはなぜ、陶芸の世界に足を踏み入れたのでしょうか。何か生活の中に、焼き物に通じて行くものが、例えば、格好いい壺があったとか。

光藤 50歳を過ぎた男が言うのもなんやけど、もともとは小学校から図工の時間が大好きで、今覚えているのは、最初は焼き物ではなくて、絵を描いたり、粘土遊びだったり、そういうことが好きやった。小学校の高学年くらいになって、焼き物を生業にしている人がいることを、本かテレビかで知って。うちの父親がサラリーマンだったから、そんなことして暮らせるのかという衝撃と、そんなふうに暮らしてみたいという気持ちになったんだね。その頃、絵を習っていて、途中にある本屋に寄っては焼き物の本を見たり、ハンドブックみたいなもので、志野とか信楽とかのシリーズがあって、その見出しで選んで、小遣いで買えるものは買ったりしてたのはよく覚えている。そういうところから始まってるんじゃないかな。

根本 それが焼き物との出会いであり、結果として10代のうちに社会に出て陶工として働くということにつながったのですね。当時はどういう焼き物をつくっていたのですか?

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光藤 最初は漠然としていて、唐津が好きとかもなくて、知識とかもないんだけど、20歳過ぎてから、焼き物を見ていて惹かれるものが出てきた。例えば、今もやっている粉引、灰釉系、唐津、なぜかそういうものに目が行く。いろんな焼き物があるんだけど、見ていると「ええな~これ」と思って、愛おしいくらいの気持ちになる。そこからやね、「なんでこれをええと思うんかな」と思い始めて。先輩にその話をしたら、「わかってきたな」みたいなことを言われて、そういうことなんかなと。その辺りから、少しずつ独立の方向に引っ張られていったと思う。

根本 でも、陶工として働いて、そのまま独立を考えたのではなく、一度仕事を辞めて大学に入られていますよね。しかも、漫画科という専門的な科目をお選びになったのには、何か想いがあったのでしょうか?

光藤 僕は17・18歳から陶工をしていて、日々同じものを繰り返しつくるというのは、後から考えればそれでよかったんだけど、当時はまだ若過ぎて、そういうふうになりたいと思ったんじゃないという意識がすごく強かった。もっとこうしたいああしたいというのがあった。両隣をかなり年上の人に挟まれて、朝から晩まで轆轤挽いて、ずっとラジオだけが意識の中に入り込んでくる。気が付けば、そこでつくった商品を百貨店とかで売っているんだけど、僕がつくったか、隣の方がつくったのか見分けも付かない、同じものをつくってた。湯呑みやご飯茶碗だったら、日に300個前後つくるくらいまでになってたから。

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根本 正に職人さんですね。

光藤 佐展

光藤 佐展

2015/11/13(金)〜11/18(水)
@エポカザショップ日々/銀座

日々 -にちにち-
http://epoca-the-shop.com/nichinichi/
03-3573-3417
東京都中央区銀座5-5-13
●地下鉄 銀座駅B6出口より3分