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Interview 八代淳子 聞き手:橋本龍史「橋本美術」店主 文・構成:竹内典子

日常に新しい風を放つ、軽やかな漆器

2年前、美しい自然が息づく軽井沢に移り住んだ八代淳子さん。広々とした敷地に建つ住居には、漆や木工の作業場もあり、ご主人と幼い息子さんとの暮らしの中で、日々使える漆器をつくっています。その住居兼アトリエを訪ねたのは、名古屋で「橋本美術」を営む橋本龍史さん。八代さんの生み出す新しい漆の世界に迫ります。

漆芸科に入って初めて
漆の工程の多さを知った。
工房風景:漆
工房風景:チェーンソーのおもちゃ
工房風景

橋本
八代さんは東京藝術大学のご卒業でしたね。

八代
はい。中学から高校までの6年間は、女子美術大学の附属校に通っていて、大学進学を考えた時に外に出ようと思い、受験することを決めたんです。ずっと私立だったので国立がいいかなと東京藝大を受けました。

橋本
確か、最初の2年間は教養で、それから専攻を決めるんでしたね。

八代
私は工芸科に入ったので、素材でいうと陶、漆、金属、染織があって、この中から漆を選んで専攻しました。でも、大学に入った当初から、全く作家になるつもりがなくて、就職したいと思っていたんです。そもそも藝大を受験したのも、自分が行きたいと思う会社に就職しやすいようにという気持ちがどこかにあったからで、藝大が就職に向かない大学であるということには、入学した後で気付きました。そういう気持ちのせいか、授業にも熱心になれず、あまり制作に対して意欲的ではなかったと思います。

橋本
漆を選んだのは、何か興味を持つきっかけがあったのですか?

八代
金属は何となく素材に馴染みが持てず、木工をやりたいと思って、それで漆を選んだのだと思います。その程度の理由でしたから、漆芸科に入ってからあまりの漆の工程の多さに驚いてしまって。まだ二十歳前後だったこともあって、テーブルに腰をすえてひたすら作業するっていうことがちょっときつかった。あまりじっとしていられず、漆の作業に本腰入れて勉強することができなかったんですね。

橋本
松田権六※1とか、どなたか有名な作家に憧れたということはなかったんですか?

八代
全くなかったです。卒業制作も、漆の作業にあれだけ手をかけなきゃ作品ができないってことに、どうしても納得いかないまま卒業制作を迎えることになって。結局、木彫りのような彫刻のようなものを彫って、最後に何工程か漆をかけて仕上げた程度でした。それから大学院に入って、年齢を重ねてやっと少し落ち着いてきた時に、漆芸科にいらした伝統工芸に詳しい林暁※2先生からちゃんとやってみろと声をかけていただいて。それでようやく基礎からスタート。林先生はマンツーマンに近い形で教えてくださったんです。

橋本
漆の世界は、木地、塗りなどそれぞれ分業で成り立ってきたでしょう。八代さんは木地から塗りまですべてご自分でやるのですか?

八代
木地を誰かにつくってもらってというのではなく、乾漆※3という技法で原型を自分でつくって、それをかたどるという方法が多かったです。藝大は、自分でものをつくりたくて入学している人が多くて、漆芸科も器とか用途のあるものをつくっている学生は本当に少ないんです。ほとんどの人が造形的なもの、彫刻的なものをつくって、何か表現したい。私も学部生の時は、何か表現しなくちゃいけないんじゃないかと強迫観念的に思っていて、資料を見たり、無理しながらつくるものを探したりしていたんです。でも、私はもともと何かを示したいというような気持ちが強い人間ではないんです。院に入って、林先生から漆の基礎の基礎から技術を丁寧に教わったことで、何となく工芸の成り立ちとか、何のために技法があるのかってことがやっと理解できるようになって、それから器をつくろうかなという気持ちになってきたんだと思います。

橋本
院生の時に、造形的な仕事よりも器の仕事に興味をもったということ?

八代
それが、林先生にそれだけ教わっていながら、やっぱり就職したいという気持ちが強くて、就職活動したんです。先生には、これほど教えたのにと言われましたが、作家になる自信もなかったですし、もっと楽しくて華やかな世界に行きたかったんです。その頃は、一人で作品をつくるという生活は、想像しただけでちょっと怖かったというか。

橋本
たとえば、基本的なことを学校で学び、それを持って輪島とか産地の専門のところへ行って、そこで新しい知識や技術を身につける、ということは考えなかったのですか?

八代
それは考えなかったですね。やはり地方に行けば、その地方なりの技術はもちろんのこと、デザインにも個性がそれぞれにありますよね。そういうデザイン的要素を、その時の私はシャットアウトしたかった。器をつくり始めたばかりで、まだ具体的なデザインは見えてないんですけど、それでも何となくつくりたいもののイメージはフツフツとあったんです。

橋本
八代淳子としての作品をつくりたい?

八代
そうですね。そこに近づくための技術はほしいと思ったんですけど、その時は意匠的なものを必要だとは思わなかった。逆に、産地で勉強してしまうと、そこをシャットアウトするのはかなり難しいだろうなと思ったんです。風土的なものは、教えてくださる方の隅々まで流れているものだと思うんですね。それをわざわざ遮断するというのも不自然ですし、自分にとって必要なことは、その時々でどうにかやっていくしかないし、何とかしようというふうに思いました。

橋本
そこが八代さんのいいところですね。有名な先生に弟子入りするというのは、ある意味、その先生の影響を引きずるところもあるだろうし、八代さんのつくりたい造形というのがつくりにくくなってしまうってところもありますから。

八代
先生につくというのは、もちろん自分もその先生の作品に惚れ込んでいるわけですから、もう影響されないわけにいかないんですよね。技術的には私は足りないところがすごく多くて、今でもこれをやるにはどうしたらいいのか誰かに教えてほしいと思うことは多々あります。でも、それは自分で飛び込んでいけば、今でも教えてくださる方はいると思います。

橋本
話を少し戻しますが、就職活動はどういうところへ行かれたのですか?

八代
家具デザインの会社などです。でも、就活してみて一番行きたかったところには落ちてしまいました。それで、就職はあきらめがつきました。

橋本
今にしてみれば、それでよかったんじゃないですか?

八代
そうですね。これだけやって落ちたんだから、後は作家としてやっていくしかないっていうことで親もあきらめてくれて。私も落ちたことで、他にできることがないから、やっと漆でどうにかしようという気になりました。

院生になってようやく
漆の基礎から学んだ。
インタビュー風景:八代淳子
工房風景

※1:松田権六 まつだごんろく
1896~1986年 石川県金沢市生まれ。人間国宝。「うるしの神様」と呼ばれた蒔絵師。

※2:林暁 はやしさとる
1954年生まれ。漆芸家、富山大学教授。日本工芸会賞、文化庁長官賞など受賞多数。
作品は磨きぬかれた漆塗りによって美しい造形が際立つ。

※3:乾漆 かんしつ
漆工芸の技法の一つ。土または木などの芯材に、木屑などを混ぜた漆を塗り、上から麻布を張る。これを繰り返して形をつくる。

Artist index 八代淳子