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パノラマ対談 瀬沼健太郎 × 土田ルリ子「物が静かに語れるように」文・構成:竹内典子/Aug. 2015

パノラマ対談 瀬沼健太郎 × 土田ルリ子「物が静かに語れるように」 1/3



文・構成:竹内典子 / Aug. 2015

器をつくること、花を生けること。ガラス作家・瀬沼健太郎さんは、そのどちらの行為も大事にされています。展覧会前には、山を歩いて花を摘み、展覧会場で自作の器に生け込みます。そこに山の空気が立ち上がるように、そっと誰かにささやいてくれるように…と願いながら。サントリー美術館の土田ルリ子さんは、数々の名品コレクションを軸に、現代作品まで時代をつなぐ、独自の眼差し光る展覧会を企画されています。物をつくる側と見せる側、立場の違う二人が、展示という行為の奥行きや、見え広がる世界について、秘めたる想いを語り合います。

水を写す

瀬沼 先日は土田さんに、僕の花生け撮影の現場(昭和記念公園歓楓亭)にお越しいただいて、花生けを見ていただきながら少し対談もさせていただきました。今日は僕の工房で、引き続き対談をお願いいたします。敷地内に自宅もありまして、この工房では、おもに削りや磨き、サンドブラストなどの作業を行っています。

土田 吹きはどちらでされているのですか?

瀬沼 何ヶ所かで窯借りをして吹いています。例えばリライトという蛍光灯の廃材をリサイクルしたガラスは、鉄分の入った緑がかった色味で、これを使ってつくったりしますし、Aスキと呼ばれる一般的な無色の工芸用ガラスで何か吹きたい時には、別の工房を借りて吹いたり、というように使い分けています。吹く場所を変えると、ガラスの質も変わります。僕はあまり色や模様を使わないので、ガラスの質にバリエーションがあった方がおもしろいかなと思ってそうしています。

インタビューイメージ画像

土田 いろいろな作風が生まれますね。実は、私が瀬沼さんの作品を拝見するようになったのは、わりと最近のことで、昔の作品はあまりよく存じあげないんです。

瀬沼 独立して5年目になりますが、自分の作品と言えるものをつくって発表するようになってから、まだ4年くらいです。それまでにも何回か展覧会はやっていましたけれど、自分の作品が何なのかあまりわからずにやっていましたし、地方の工房にスタッフとして勤めていた頃は、工房の仕事がありますので、あまり展覧会もできませんでした。独立してから、「花を生けて展示する」ということをきちんとできるようになったんです。

土田 何年か前に、東京のグラスホッパーギャラリーで行われた瀬沼さんの展示を見た時、静謐な感じがして、すごく素敵だと思いました。そんなに広いスペースではないのに、いくつかの間のようなものができていて、もちろん一つ一つの作品も素敵ですけれど、花を生けている作品には間が生まれていて、その間を含めて作品になっているという感じがスタイリッシュでした。これは今までにないおもしろさだなと思いながら写真を撮らせていただきました。

@GrassHopperGallery 2014.3 会場風景
@GrassHopperGallery / 2014.3

瀬沼 花を生けることの最初のきっかけは、15年くらい前に、イベントの一環で生花店で花器を展示したことがあって、店のスタッフが僕の花器に花を生けてくれて、その花がすごくよかったんです。それで、花器っておもしろいなと思い始めて、チャンスがあれば花を入れて展示するようになって、その評判もよかったんです。でも、今思えば井の中の蛙でしたから、独立して東京に戻ってからは、ちゃんと学んで怒られた方がいいと思って、華道家の川瀬敏郎さんの講座を1年間受けました。その時に花器の古い物を見たり、ガラス以外の素材の花器に触れたりするようになりました。

土田 瀬沼さんは、ほかの素材の古い物を、ガラスに写していますね。

瀬沼 それまではガラスの世界だけにいたので、こっちのガラス作品、あっちのガラス作品を見ては、何が自分につくれるかというふうに考えていたんです。それがいろいろな素材の花器を見るようになって、そもそもガラスの器って何だろうかと思うようになりました。花を入れるということを通して、自分の考え方が一段階広がったんです。焼き物には土の風情があるし、籠には籠の風情がある。僕はガラスというのは水だと思ったんですね。焼き物が大地の象徴として花を受け入れるとするならば、それに対してガラスは水を立ち上がらせて、花の生命にとって大事な水を瑞々しく見せられるだろうと。そこに気が付いてから、水を見せるためにどういうふうにしたらよいか、ということを考え始めました。

瀬沼健太郎の花とガラス - 移ろう季節の中で「初夏編」
瀬沼健太郎の花とガラス - 移ろう季節の中で「初夏編」

土田 ガラスがあっての水ではなくて、水があってのガラスだということですね。

瀬沼 僕は花生けのプロではないし、器のつくり手だから、ガラスの中の水だけでなく、ガラスも水や氷に見立てたりするんです。もしかしたら、そういう見立て方、見せ方のために、花を入れていることもあるかもしれません。

土田 焼き物はその質感というのもありますし、中に入っているものと器が完全に一体化しずらい、水を隔てる素材のようにも見えますけれど、瀬沼さんの花器は、水と一体化しているというか、水に形を与えている感じがします。

瀬沼 水を彫刻しているイメージは強くあります。先ほど土田さんがおっしゃったように、僕は古い物から形を持ってきたりもしていますが、素材をガラスに置き換えるだけで、風情や佇まいは元の物と変わってきます。そこに野の花を入れてあげると、自然の風景の中にある水や水分を象徴した何かになってくれそうな気がして、そういうイメージでつくっています。

瀬沼健太郎 硝子展 「花と」 @ GALLERY RUEVENT  2014.5
瀬沼健太郎 硝子展 「花と」 @ GALLERY RUEVENT / 2014.5

山の空気を生ける

土田 東洋西洋問わず、古い器の形をつくられていますけれど、それは実際の古い器を見た時に、これをガラスに置き換えたらおもしろうそうだなと考えるのですか?

瀬沼 ガラスになったらどういうふうに見えるだろうか、という想像はします。なおかつ、その古い物をガラスに写したとわかってほしいので、元の古い物をデフォルメしたりします。写すと言っても、単に型をコピーしているのではなくて、元々の物がもっているニュアンスというか、エッセンス、本質みたいなものを、ガラスに翻訳していくんです。その本質というのは、普遍的なものではなくて、人それぞれにあると思っていて、僕の場合は、古い物をよく見て知っている人たちにも伝わるようにしたいと思ってやっています。ガラスに置き換えたことによって、ガラスの魅力に気付いたり、何か新しい発見があったらいいなと。

土田 瀬沼さんの創意工夫や思想が入っているので、写すと言っても、また別の物につくり変わっていきますよね。その佇まいは美しいですし、またそこに花を生けていくことで、もう一つ違う美しさをつくっていると思います。

瀬沼 花生けというのは、都市の文化だという気がするんです。山の空気を人間の空間に立ち上げると情緒が表れる。だから、僕は花生けでは、まず山に入りたい。山の中を歩いていると、植物が呼吸しているから土の匂いとか、水分や湿度とかが変わったりしますよね。あの山の空気を、ガラスの器に水を張って、そこに立ち上げられたらと思っているんです。僕にとってのいい花生けは、形が素晴らしいとか、技巧的に優れているとかではなくて、植物のもっている生命感みたいなものや自然の空気感を、そこにポンと立ち上げられるかどうかなんです。

土田 その植物が培われた空気感そのものを切り取って、自分の空間に持ち込む、ということですね。

瀬沼 少し話はずれますが、予備校生の頃に、画家の田中一村を知って、描かれている花の姿に衝撃を受けたんです。絵って少しフィルターかかるので、より印象的にその人の目線が見えてきますよね。僕は一村の描く花を好きだなと思いました。

土田 もしかしたら、描いているけれど、生けているのかもしれない。

瀬沼 そうなんです。僕は絵を描けないので生けているけれど、描いているってことなのかもしれないし。一村の花の絵を見ると、自然ってこうだなぁと思うんです。すごくきれいな姿だなって。

土田 絵からも発想を得るのですね。

瀬沼 今見ても、やはり一村の描く花はきれいだと思います。

イメージ:田中一村 新たなる全貌
イメージ:田中一村 新たなる全貌
田中一村 新たなる全貌/発行:千葉市美術館、鹿児島市立美術館、田中一村記念美術館/2010年8月

土田 先日、パノラマの撮影現場にうかがって、瀬沼さんが花生けしているところを見せていただきました。花器そのものはすでにできあがっているのだけれど、そこに瀬沼さんが花を生ける姿は、作品を完成させていく過程みたいな感じがして、こうして仕上げていくのだなと思いながら後ろから眺めていました。

瀬沼 僕の花生けは、器を見せるためということもあるので、生け花やフラワーアレンジメントをされている方とは、少し違う視点があるかもしれません。花器をつくって、そこに花を入れて展示して、その姿を見て気に入って買ってくださる方は、きっといっぱい花を入れなくても、僕がしているように身近な花1輪でもいいと思ってくださる。そこも一つ、自分にとって大事なことなんです。花器を買って、それを生かすそうとする中で、今までは目が向かなかった身近な草花や季節の変化、自分の周りの環境に目が向いて、日頃の見ている世界が少し変わる。僕の器がメディアとなって、誰かの暮らしに作用するのであれば、それはおもしろいなぁと。そうしたら、自然の営みに気付いたり、大事にしたりという人が、ちょっとずつ増えていくかもしれないですし。

土田 確かに、東京には何気なく生えている草花などなくなりましたからね。私の家の周りも、その家の人が植えたり育てたりしている花はあっても、雑草なんてないですもの。昔はよく草むしりを手伝って!と言われましたけれど、今はむしる草がないですね。

瀬沼 雑草はよく見ると、すごくいい花をつけていたりするんです。それは子どもの頃から何となく気付いていたことでもあって、子どもの頃に植物をよく見たり、高尾山が近くて好きでよく遊んだりしたことが、今の自分の原体験になっているような気がします。