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苔むさない生き方、描き方

Interview 升 たか「苔むさない生き方、描き方」 後編 1/4

聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子 / Jul. 2014

50歳の時に初個展を開き、陶芸家としてデビューされた升たかさん。それまでの軌跡をたどったインタビュー前編に続き、後編では升さんの焼き物に登場する独創的な紋様世界のこと、昨年滞在されたバリでの仕事、これからの工芸とプロダクトについての話を中心にご紹介します。前編に続いて、インタビュアーは西麻布「桃居」の広瀬一郎さんです。

絵付けを封印し、陶芸家デビュー

広瀬 升さんは陶芸を始められた当初、絵を封印されていましたね。それまでイラストレーションの仕事をされていたので、絵付けの作品をつくられる方なのかなと思っていたら、最初にお見せくださったものは象嵌でした。

最初の何年間かは絵には手をつけず、象嵌や線彫りのものをつくっていました。陶芸を始めた頃は、焼き物のギャラリーやショップのこと、作家のこと、いわゆる業界のことを僕はまったく知らなくて、とにかく自己流でつくっていたんです。物はたくさんできあがるけれど、知り合いが買ってくれるくらいで、果たしてこのまま続けていいのか、辞めた方がいいのか、これでどうやって暮らしていけるのかさえもわからなかった。それで、プロの方の意見を聞くためにいろいろ調べている中で、桃居さんで扱っている作品が僕にはすごく素敵に見えて、この店主の方の意見を聞きたいと思ったんです。つくったものを見てもらって、もし興味を示されなかったら、僕はいっさい陶芸を辞めようと決めていました。

広瀬 それは知りませんでした。

広瀬さんから「個展をやりませんか」と言ってもらえたから、陶芸を続けられたのです。趣味でやろうとは思わないですから。人前に出す仕事としてできるのか、できないのか、そのチャンスというかスタートはそこからでした。

広瀬 桃居では、象嵌の作品展を2~3回くらいしていただいて、それから絵付けの作品も出てくるようになりました。

個展DM 2002/2005/2007

いまも象嵌の仕事は好きですけれど、象嵌ばかりが窯から出て来ると、自分で「うっ」となるんです(笑)。なんて俺は暗いんだろう、陰気なんだろうって(笑)。こればかりつくっていてもというのはあって、ちょこちょこっと色物を入れたのが運の尽きで、絵付けをするようになりました。

イメージ:象嵌作品

広瀬 日本で焼き物の絵付けをしようと思うと、さまざまなお手本が過去にあるわけですが、升さんの絵付けというのは、和の焼き物にはなかったものですよね。もちろんそれは意識してそうされているのでしょうけれど、和をモチーフにした絵付けはほとんどなくて、ペルシャ的なもの、中国的なもの、東南アジア的なもの、ヨーロッパ的なものもあります。そうした紋様に対する引き金というか、どうしてこういう紋様が升さんの焼き物に登場してきたのかということは、たぶん升さんのファンの方はぜひお知りになりたいでしょうね。

日本の器に和の絵柄を描くというのは、僕にはあまりにぴったり合い過ぎることなのです。描かないようにしているのではなくて、ぴったり過ぎるものを描きたくない。それはなぜかというと、小・中学校を田舎で過ごしていた頃に、水墨画とか山水画とか、和の絵ばかりを描いていたからです。

広瀬 それは意外でした。

年寄りに育てられたので、墨絵は達者だったんです。ヨーロッパ絵画のような油絵的表現のものも描いていましたけれど、和筆で描く和物の方が得意なくらいで、雪舟とか、狩野派とか、ほとんどコピーして描いていました。

広瀬 日常の身の回りに、掛け軸とか、そういうものがあったわけですか。

少しはありましたし、なければ自分で描いて掛けていました。それで、自分の中に墨の気分というか、日本的な山水の気分というのは、子どもの頃にインプットされていたわけです。

広瀬 それを裏切りたいというか、裏切るようなことをしなければという感じなのでしょうか。

和の絵付けとは違う発想で

僕が紙に描いていたような絵が、焼き物に描いてあるのは「そのままじゃん」と思えてしまって、それを自分でやろうという気にはまったくならないのです。和物は抑えどころがわかるし、納まりが効いてしまうので楽しくない。極端にいうと、和の器にミロやゴッホやあるいは得体の知れないイラストレーションがあったらどうなるか。そういう発想の方がスリリングではるかに興味があります。つまり、自分にフィットするのは、焼き物に合わないものをどう合わせられるかということなのです。いかにもそこにあるように、普通にあるように合わせていくことが面白いわけです。

広瀬 具体的に紋様のヒントというのは、どうやって探されるのですか。以前にお聞きした話では、ファブリックやタペストリー、いわゆる焼き物ではない工芸品などからも探されるということでしたが。

そうです。そういう方が面白いのです。

広瀬 それをどうやって焼き物に落とし込むかということですね。

工房イメージ 工房イメージ

たぶん日本の器の絵付けも、かつては小袖や着物の柄から採ってきたり、逆に焼き物の柄が着物に行ったりということが、桃山の頃はとくにあったと思います。焼き物だけの絵付けがあったわけではなくて、全体がトータルな紋様としてその時代にあったのだろうと。だから、僕がいまやっていることは、それがたまたまインドのタペストリーだったり、インドネシアのバティックだったりするだけで、焼き物ではないものから写し込んでいくとか、図案を考えるというのは、普通に日本も昔はやっていたことです。僕はそれを少し、外国の物から持ってきているだけで。

広瀬 紋様というのは、人間の造形のいちばん深い根っこにあるようなものですよね。たとえば、日本だったら縄文の火炎土器の紋様とか、中国だったら青銅器の饕餮文(とうてつもん)とか。そういう装飾的な衝動があるのと同時に、縄文に対して弥生があるように、装飾に対してデザイン的な衝動というものがあります。装飾的な衝動とデザイン的な衝動、この二つの緊張感を持って人間の造形文化はつくられてきたと思うんです。

わかります。

広瀬 僕がフィールドにしていた生活的な工芸の分野というのは、暮らしの中で使う道具として、つくり手の生々しい気配を消すようなもの、シンプルであったり、プレーンであったり、簡素であったりというような器が中心です。ちょうど升さんと出会った頃は、白い器というような形で、生活的な工芸の簡素さに振り子が振れていたんですね。それは自分も共鳴するところはすごくあったのですが、同時にあまりにも簡素でシンプルでプレーンな器ばかりになってきた時に、僕はある種の貧血状態というか…。人間にはデザイン的なものを求める衝動があると同時に、装飾へ向かうような根源的な衝動というものもあるはずなのに、どうしてそこがあっさりと消去されてしまっているのかと。

そうでしょうね。

広瀬 もちろんそれまでの生活的な工芸の中でモチーフとされてきた装飾が、いまの暮らしにとって魅力的なものではなかったという背景は当然あって。でもここまで振り子が振れてしまったということに対する自分なりの違和感はありました。そうかと言って、かつてのような日本の焼き物の装飾がもう一度回帰しても、それは自分たちが使いたい魅力的なものではないわけで。どこかに新しい装飾性を意識した仕事というものはないのかなという思いは、僕の中にあったんですね。

なるほど。

広瀬 そういう時に初めて升さんの仕事を拝見したら、いままで見たこともないような工芸的な装飾だったのです。こういうものが自分たちの暮らしの中に入ってきた時に、どういう新しい揺さぶりを掛けてくれるのか、まずそう思いました。でも、正直に言って、升さんの仕事がこんなに広く受け入れられるとは思っていなかったんです。だから、その後の升さんのご活躍というのは、いろんなギャラリーから展覧会のお声がかかって、ファンの方がここまで増えて、意外なような気もするんです(笑)。けれども、一方で装飾に対する欲求はかなり深いものであり、本当に魅力のある新しい装飾というものが、求められてきたんだなという実感も持っています。