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>Interview 安齊賢太 「12年を経て、黑と白の表現へ」

Interview 安齊賢太

2010年の夏に独立しました。その翌2011年に東日本大震災があって。最初はそれまで作ったものを見直したりしていました。その当時、ニューヨークのSOFA NEW YORK(アートフェア)などで、人の手では作れないようなすごいカラフルなセラミックの作品を、マイケル・エデンという人が作っていたんです。3Dプリンターですごく複雑なものが作れるんですね。それを見た時、僕がそれまで作っていたような技術に頼ったものだと、5年後10年後、たぶん僕は仕事がなくなるなと。もっと力があるものを、圧力があるものを作りたいなと思って、黑の作品制作を始めたんです。

独特な黑の質感

粘土

僕は土をちょっと硬めに使っています。何の特徴もない、どこにでも売っているようなこだわりのない土です。昔から土はあまり変えていなくて、三重の土を使っています。1種類はキメが細かくて、でももう1種類だとちょっと粗すぎるというか。だからそこまで混ぜる理由はないんですけれど、混ぜると丁度良い扱いにくさになるんですね。化粧には瀬戸内の磁器土で、焼くと黒くなるものを選んでいます。

轆轤で成形した後に、電気窯で焼いていきます。焼き物というのは、一般的に1200℃~1300℃で焼くんですけれど、僕の場合は土が結晶化して焼き締まる直前のところで止めたものを生地にしています。その上に化粧を掛けたり、その後に土と漆を混ぜたものを塗って磨いてという作業を8~10回繰り返しています。漆の乾燥をしっかりやって固めてから、最後にギュッと焼き付けて出来上がりです。焼き付け温度は130℃くらいです。

電気炉

漆は、生漆と黒呂(くろろ)を使っています。本当は生漆だけでもいいんでしょうけれど、生漆だけだとちょっとサラサラしすぎるので、僕は少し黒呂も入れています。黒呂には鉄の成分も入っていて、色味も黒くなります。

磨き

最初は、漆を使わずに、釉薬とか、フリットというガラスの粉とかで試してみたんです。でも、窯で結晶化というのが始まると、土の中からガスが出てくるので、焼き物になってしまうというか、土からセラミックになってしまうというか。そうなると、僕が出そうと思っている”ぬぺっとした土の質感”みたいなものがなくなっていく。ちょっとイメージと違うんですね。生土のぬぺっとした感じを、僕は表現として使いたいので。

安齊賢太

生漆は僕は少し多めに、全体の3分の1ぐらい入れています。表面のてかてかとした質感は、ちょっと輝きが鈍くて、どちらかというと石を磨いた感じに近い。漆の輝きとは違うから、僕は土による質感かなと思っています。漆の人も何かちょっと違いますねと言っていました。だから、あまり漆を見せるという感じではないかもしれないですね。漆は主に糊材として使っているということです。

感覚を工程に落とし込む

「人との共通の感覚」というもので僕は物を組み立てています。例えば、赤色と青色。持っている色のイメージというのは、ほとんど国が変わっても変わらない。赤色だったら暑いとか痛いとか、青色だったら寂しいとか冷たいとか。丸い形、四角い形に対するイメージとかもそうですよね。そういう共通で持っている感覚。そういうもので僕は物を組み立てていて、そのやり方というのはずっと変わっていないです。共通の感覚として、こういうものを使いたいなと思ったことは、僕は工程の中に織り交ぜてしまうんです。

例えば、圧力がある感じをどうやったら表現できるか、というのを手順などに落とし込む。作業工程の中で、土と漆を混ぜたものを、配合を変えながら塗って磨いてという作業を8回から10回やっていますけれど、なぜなら1回では雰囲気に厚みがないから。雰囲気がそんなに強くない。実際に見た時に、やっぱり何回も作業を繰り返してあるといいんですよね。そういうふうに、僕は使いたい感覚を工程の中に織り交ぜているので、作っている時には、圧力のあるものを作ろうとか、そういうことは何も考えてないんです。何も考えてないと言ったら、語弊があるかもしれないけれど。

違和感のないふさわしい形に

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僕の中で”良いもの”というのは、僕にとって”違和感がないもの”。たぶんそれが僕の中でのふさわしい形なんです。他の人にとっては違和感のあるものだと思うので、もしかしたらそこに個性というものがあるのかもしれないし、他の人から面白いなと思ってもらえるところかもしれないですけれど。

僕の作っているものというのは、女性らしいフォルムだなとも思います。それは僕が男で、そこに何かしらの魅力を感じているから。自分が心地良いと思える、違和感のないふさわしい形というのが、そういうものだからなんです。

物としてこういうものを作りたいというのは、最初の段階で決まっているけれど、それがどう存在するかというのは考えてないです。例えば、壺を作ろうと思って、だんだん自分の中での違和感のない形を作っていったら、そういうフォルムになったということです。前に作ったものより次の方が違和感なかったら、そっちを作ろうとするだろうし、前の方が良かったらそっちに戻すだろうし。違和感のない形を自分の中で作っていって、そういうフォルムになる。自分らしいフォルムを作ろうとかは考えないようにしています。ふさわしい形だなと思う形を毎回作るだけ。違和感がない、というところで僕の場合は完成です。

轆轤台

中でも花器は、他の器より作りやすくて、それはパーツが多いからです。人で言ったら首・肩・腰というようなパーツがあって、使える部分が多い。食器とかは、ズボンだけで格好いいズボン作ってくださいって言われているような感じなので、もっとトータルでやった方が僕はバランスを取りやすいんです。花器に口を付けるか付けないか、口をどのくらいの大きさにするかも、肩までラインを持ってきた時に、一番自分にしっくりくる形かどうかで決まります。最後まで決まっていないんです。

この仕事を始めた当初、ギャラリーを通じてホテルやレストランなどに納める花器を作っていました。そういうところの花器というのは、花を生けていないことも多いんです。だから、花がなくても花器単体で成り立つように考えて作っていました。そういうこともあって、使えるパーツが多い方が作りやすいんですね。 

白を迎える意味

新しく白い器を作りたいなと思っていて。僕は共通の感覚を集めて物を作るので、黒では使えない感覚とかもやっぱりあるんですね。そういうものは白いもので作りたいですし、たぶん僕の黒い器に持たれているイメージって、僕自身の黒のイメージとはまたちょっと違うと思うんです。だけれど、その白があることによって、もうちょっと自分のイメージしているものに近い黒に思われるんじゃないかなと。この白と黒を作っている人だから、この黒なんだろうっていうイメージにつながるんじゃないかなと思っています。

言葉で伝えるのは難しい。あくまで言葉にできない部分が、物作りに使いたいものなんですよね。例えば、僕は今、石を拾うのが趣味というか、僕の中の流行なんですけれど。その石を拾う時、川に行って「これいいな」と思って石を拾うじゃないですか。「丸いのを拾おう」とか「光っているものを拾おう」というわけではないんです。僕は物を作る上での善し悪しを、常にその選択の仕方で決めてきた。こういうものを探そうと思って、石を拾うわけではない。どんな形だかわからないけれど、気に入った形のものを、何かこうそのまま拾うんですよ。

安齊賢太

そういうのを見て綺麗だと思ったこと、それを言葉に表現した時、例えばキラキラしていると言ってしまうと、それはもう綺麗なものではなくて、キラキラしたものになってしまう。そうなると、その綺麗だと思った感情とはまた違うものですよね。カタチになっていない感覚を言葉にして役割を作ってしまうと、最初の感情がやはり言葉に引っ張られてしまうんです。心を動かした感覚そのものを僕は大切にしたいので、できるだけ言葉には変えないようにしています。

もちろん、言葉に直すと、その物自体の価値や分かりやすさは増すと思うんですよ。こういうふうにして作って、これだけ時間をかけて作ったとか、そういう物的な価値は上がると思うんですけれど、石を拾った時の何でもないと思って取り上げた時の気持ち、というのはまた違うじゃないですか。価値が価格的価値なるものになってしまっても、僕はそれに人生をかけられないし、つまらない。石ころでも価格0円でも、いいのを拾ったなと思った時に感じる豊かさというか、富というのか。その物自体が持っているそういうものが言葉にしてしまうとズレてしまう気がします。言葉で補い過ぎている部分があれば、足りていない部分もあるし、ぴったりの言葉はなかなか見つけづらい。「こういうものです」と言葉にするよりは、相手の人がいいように愛着を持ってくれることの方が、モノとしても何となくいいかなと思っています。

自分が本当にいいなと思ったことだけで作っていくなら、まだ頑張れるんです。だから「これいいな」「これいいな」と思った”間”とか”余白”を埋めない。余白を埋めて良い感じにしてしまいたい気持ちもありますが、そういうこともしないようにしています。本当のことだけ集めて、そこが辻褄合わなくても、とりあえずは放っておくという感じですね。そこに無理矢理何かを当てはめて答えを出すよりは、自分が本当に思ったことだけで、いつかそこの余白に埋まることもあるのかもしれないし。だからか、あまり順序立てて話すことも得意ではないです。その意味では物を作っていて良かったなと思います。自分の思ったことだけを、そこに詰めていけばいい仕事ですから。

文・構成:竹内典子 / Nov. 2022