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インタビュータイトル

Interview 鎌田奈穂「しとやかな金属」 1/5

聞き手:根本美恵子さん(ギャラリー「日々」コーディネーター) / 文・構成:竹内典子 / Sep. 2013

美しい古いものに心惹かれ、やがて鉄の古道具に感動したことをきっかけに、金工の世界に入ったという鎌田奈穂さん。厳しくも恵まれた修業時代を経て、伝統的な職人技術も、現代作家としてのクリエイティビティも身に付けられてきた。その仕事は無駄なく潔い。それでいて淑(しと)やかで、見た目にも使い心地の良さが伝わってくるもの。インタビュアーは銀座のギャラリー「日々」の根本美恵子さん。11月に鎌田さんの個展を企画されています。

美大の油絵科を目指して

根本 もともと美大を目指していらしたそうですね。その時は何科に進みたいと思われていたのですか。

鎌田 油絵科です。高校が美術科だったので、その頃から油絵をやっていました。芸術系の高校というわけではなく、普通校の中に1クラスだけ美術科があって、そこに通っていたんですが、授業の半分以上はデザインや彫刻などの美術全般だったり、試験もデッサンだったりと、美大に近いやり方でした。クラスの半分くらいは東京の美大を目指すという感じで、私も自然と東京へ出てきました。

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根本 それはご出身地の熊本にある高校ですか。

鎌田 そうです。成り行きで東京に出てきたものの、どうしても藝大へ行きたいかというと正直そうでもなくて。ただその頃、藝大の先生にお会いする機会があって、すごくその先生を好きになってしまって、それから藝大の油絵科へ行きたいと思うようになったんです。

根本 ところが、美大へは進学されませんでした。なぜでしょうか。

鎌田 予備校に通っていたのですが、どうしても予備校だと受験用の絵ばかりで、絶対に日常ではあり得ないような物が置かれた静物画とか、どうやっても格好良くはならないモチーフばかり与えられて(笑)。それはちょっと変だなという違和感をずっと持っていたんです。それでも二浪までしたのですが、家から予備校へ通う途中に「古道具坂田」*1さんがあって、どうしても気になるもの、避けては通れないものがそこにあって、いつしか予備校へは行かず、ずっと坂田さんのところへ行くようになりました。

根本 予備校での違和感ある課題というのは時々耳にしますけれど、それをやってセンスは磨かれるものなのでしょうか。

鎌田 あれは絶対おかしいと思いますけれど、でもそこで人それぞれ、人と違うことをやろうとするので、私も必死に本とかからヒントを探したりしました。例えばヌードデッサンの課題が出た時は、私は坂田さんが出されている本の中の土器を見ながら、マチエールを描いたりしました。そういう自分なりの資料を集めるやり方というのは、たぶんそこで学んだと思います。

根本 なるほど。

鎌田 でもある程度の年月が経って、仕事をどうしていくのかと考えた時に、絵は仕事にしたくないという気持ちが強くなってしまって。坂田さんのところに通っている内に、ものをつくりたいと思うようになったのです。

根本 それはオブジェとかではなく、道具的なものですか。

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鎌田 そうです。使えるものをつくりたいと。まだ素材ははっきり決めていなくて、ガラスでも陶器でもよかったし、金属でという考えはまったくなかったです。とにかくものをつくることを仕事にしたいと強く思うようになりました。

根本 ほぼ2年近くを坂田さんのところに通われていたことになりますか。

鎌田 毎日前を通っていましたが、でも緊張してしまうので、意を決した時に中に入って、坂田さんから年表などを見せていただいたりしました。

美しい古道具との出会い

根本 今でも多くの方が、坂田さんの美学に惹かれてその道に入って行かれますよね。その頃に鎌田さんは金属のものもご覧になったのですか。

鎌田 金属のものにはほとんど惹かれていなかったのですが、坂田さんのところで最初にすごいと思ったのは、鉄でできたウナギ獲り。あれは本当に感動して、それで金属に惹かれて、初めは鉄でやろうかなと思ったりもしました。

根本 そうでしたか。時間とともに、美大で絵を学ぶことより、表現する場を道具の方に変えて、それに近付く方法論を探して行ったということですね。そうして、師匠と出会うことになるわけですか。

鎌田 はい。ある時、坂田さんのところに「ギャルリ百草」*2さんのDMが置いてあって、何本か装飾されたスプーンが並んだ写真だったんですけれど、それを見た時に「これだ!」と思ったんです。そのつくり手が金工師の長谷川竹次郎*3さんで、坂田さんが百草の安藤さんに話してくださって、安藤さんから竹次郎さんの奥様のまみ*4さんにご連絡をしてくださって、すぐに遊びにおいでと言っていただけたのです。

根本 長谷川竹次郎さんに、初めてお会いになられたのは?

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鎌田 百草さんで個展を拝見して、その足で名古屋の竹次郎さんの工房へうかがって、そこで初めてお会いしました。まだ私は金工という言葉も知らなかったくらいで、学びたいというより、金属でつくられた素敵なものを実際に見てみたいというその思いだけでお邪魔しました。

根本 そこで弟子になりたいというふうには思わなかったのですか。

鎌田 まったくそういう気はなくて、そもそも仕事にできると思っていなかったんです。ただ、その時にいろいろ拝見して、やっぱりすごく惹かれたんですね。その頃の私は自分の進路についてかなり迷っていて、一時期、半年間くらい熊本に戻って、今後どうするかを考えていたんですけれど、熊本でアルバイトしてお金を貯めては何度か名古屋の工房へお邪魔して作品を見せていただきました。

金属で何かをやりたいという思いも何となくあって、最初は独学でやれる方法を探していました。遊びに行ってちょっと教えてもらうくらいのつもりだったんですけれど、ある時、まみさんからお電話をいただいて、ちょうどお弟子さんが辞められたので私に来ないかと声をかけてくださったんです。それで、竹次郎さんの弟子にしていただきました。

*1 古道具坂田:
東京目白にある坂田和實さんの店。既成の価値観に縛られることなく、坂田さん自身の物差しによって
美を見出された、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南米などの古美術品や古道具が並ぶ。
著書に『ひとりよがりのものさし』(新潮社)など。

*2 ギャルリ百草:
岐阜県多治見にある安藤雅信・明子さん夫妻の営むギャラリー。
陶芸家、衣服作家としてもそれぞれ活躍する夫妻が、築100年以上の民家の空間を用いて、
衣・食・住という生活の基本から見つめた美術・工芸のあり方を、企画展と常設で紹介する。

*3 長谷川竹次郎:
金工師。1950年、尾張徳川家の御用鍔(つば)師の家系に生まれる。人間国宝関谷四郎氏に鍛金を師事。
その後、名古屋に帰って父に弟子入り。3代目長谷川一望齋春洸として金工茶道具を発表する一方、
長谷川竹次郎の実名で現代的で自由な金工作品の展覧会も行う。

*4 長谷川まみ:
金工師。1946年、愛知県生まれ。早稲田大学文学部卒業、東京クラフトデザイン金工科修了。
3代目長谷川一望齋春洸氏に嫁ぐ。金工作家として自作の発表も続ける。

鎌田奈穂展

鎌田奈穂展

2013/11/1(金)〜6(水)
@エポカザショップ日々/銀座

日々 -にちにち-
http://epoca-the-shop.com/nichinichi/
03-3573-3417
東京都中央区銀座5-5-13
●地下鉄 銀座駅B6出口より3分