パノラマ対談 瀬沼健太郎 × 土田ルリ子「物が静かに語れるように」 2/3
文・構成:竹内典子/Aug. 2015
時代が生み出すもの
瀬沼 僕が大学時代から感じていた工芸の世界は、近代工芸論的な流れの影響を受けていて、工芸が美術に近付くにはどうしたらよいか、ということをずっと背負っていたような気がするんです。それを自分で確かめる機会はないまま過ぎて、5年前に独立して東京に帰ってみたら、時代はすっかり変わっていた。クラフトと工芸の境目がすごく緩くなっていたし、美というものは崇拝するのではなく、身近において楽しむもので、小さな美を集めて暮らすというような空気に、市場も消費者もなっていました。
土田 そうですね。それまでの時代には、また違ったパワーがあって、前時代のものを一回破壊するではないけれど違うものにつくりかえようとするパワーだったと思うんです。でも、今の時代は、もっと自然体というか。
瀬沼 僕としてはホッとしました。市場や消費者の求めるものが変わって、ずっと自分の中にあった近代工芸的な物の捉え方からようやく解放されたんです。それともう一つ、花生けをすることによって、自分のものづくりをやっていいと思えるようになりました。土田さんは、今のこうした時代の雰囲気というのは、日本独特のものだと思われますか?
土田 そこまではわからないですけれど、ただ日本人が元々もっていた気質や日本の美術品のそもそものあり方と、今はすごくマッチングしていると思います。
瀬沼 土田さんはこれまでどの時代も系統立てて見てこられたと思いますので、僕も含めて、現代のガラス作家たちをどんなふうに見ていらっしゃるのか興味あります。サントリー美術館で土田さんが企画された展覧会では、逸品のコレクションものの展示だけでなく、現代作家の作品も同時に展示されたりしていますね。
土田 もちろん美術館なので歴史的なものを扱うことは多いんですけれど、ただ古い物をこの時代の物はこんなふうにきれいなんですよと言って終わってしまうのでは、自分たちから離れたままで終わってしまう気がするんですね。だから、できるのであれば、今の私たちの時代ではどうなっているのか、ということまで伝えたいなと思います。例えば、ヴェネチアングラスであれば、花開いた時代の名品を見せつつ、それがどう変わっていったのかとか、今の作家さんたちの中にどう息づいているのかとか、そういうところまで伝えていきたい。時代と時代をつないだりしながら、新しいものを発見したり、見る人が自分で発見しても楽しいでしょうし。なるべく言葉で言うのではなくて、見てもらって自然に感じてもらえたらいいなと思っていて、あまり上から押し付けるような、こうやって見てくださいということはしたくないですね。
瀬沼 土田さんの企画された「あこがれのヴェネチアン・グラス」展に行って、勇気づけられた作家というのはすごく多いと思います。自分のやっていることって何だろうと思っていた人も、地に足が着いたようで安心しただろうし。サントリー美術館で、あのような展示がされて、後ろを支えてもらっているというか、今を生きているということに勇気をもってつくろうとする作家は増えたでしょうね。土田さんは、どうやって出展作家を選ばれるのですか?
土田 あの時は、ヴェネチアンの技法を使ってヴェネチアで制作しているとか、ヴェネチア以外の地で制作しているとか、そういう幾つかの条件で人選しました。同じ技法を使っていたとしても、育ってきた環境とか、その人のフィルターを通すと、別の美意識に支えられたものが生まれてきますよね。例えば、ムラノ島で培われた技術をムラノ島で継承して、同じような作業をしていたとしても、やっぱりその人らしさというのは現れてくる。まず第一に、なぜ大勢の中からその人なのかといえば、大前提として、私自身がその人の作品を素晴らしいと思っているからです。他の学芸員さんだったら、違う人を選ぶかもしれないですし、そこは正直なところ独断になってきます。誰かと比べてとは言っていなくても、その人を取り上げることは、その人を評価していることでもあり、そういうことは自ずとやっているんだと思います。
瀬沼 なるほど。
土田 「ドリンキンググラス」展の時は、いろいろな技法を取り上げようと思っていました。ではなぜ、中でもその人のその作品をおもしろいと思ったか、というのは、作品解説などに表れているのではないでしょうか。
空気感とメッセージ
瀬沼 ご自分で企画した展覧会では、会場の展示もすべて担当されるのですか?
土田 どの展覧会もそうですが、当館の場合、企画者がリーダーになって、その下にサブの学芸員が二人つくという体制です。私がリーダーの場合も、会場全部を見ますが、時間の制限もあるので、会場のつくり込みの時は、ここはサブに任せようという形で割り振っていきます。実は以前は、自分で空間全部をやらないと気が済まなくて、人の手に渡すのは本当にダメだったんです。でも、後輩も素敵に育ってきて、少しずつ任せるようになり、場をもってもらうことも人を育てていくのに大事なことだと思うようにもなりました。任された方にしても恐ろしいらしくて(笑)、土田さんだったらこうしたいだろうみたいなことを感じ取りながらきちんとやってくれるので信頼しています。もちろん、彼らがリーダーになった時は、また展示が違って、彼ららしいものにそれぞれなっていくのです。
瀬沼 伝えたいメッセージは、どうやって形にしていくのですか?
土田 答えになるかわかりませんが、こういうものを紹介したいなということがあったら、作品でストーリーを考えます。そこが論文と違うところで、論文ならば文章と写真とで形になりますけれど、展覧会の場合は、実際にその物自体を持ってきて展示しなければなりません。論文では言えても、展覧会では実現できないことがたくさんあります。だから、こういうことをしたいという時には、文字で考えるのではなく、物本位で物を駒にして考えていく。館蔵品が使えるところは館蔵品で、そうでないところはお借りできそうな作品を。作品のもっているパワーはすごいものだと思うので、そうやって物で訴えていくんです。
瀬沼 なるほど。
土田 会場をつくる時は、あまり作為的にしない、説明的になり過ぎないようにしています。自分のつくったストーリーがなくても、作品は本当に美しいですから。例えば、ストーリー的には二つの物を並べて語りたいとしても、あまり二つをくっつけないで、一つ一つがきれいに見えるようにします。解説も少しは付けますが、あまり説明し過ぎない。というのは、これって素敵でしょうと本当は言いたかったとしても、皆さんのもっている美意識や好みはそれぞれ違うので、その人の見方というのができるような余地を残しておきたいのです。そこを大事に、自分が伝えたいことも少し押し出しながら合わせて考えていくという感じです。
瀬沼 すごく共感します。それって編集作業ですよね。僕の仕事もそうですけれど、編集して出力する時は、その出力の仕方のセンスというのが重要になります。言葉に表すのは難しいですけれど、例えば、土田さんのように、物と物との距離感とか、来場者への委ね方とか、そういうようなところを僕も大事にしています。どんな会場であっても、なるべくその人の世界に入り込んで見てほしいし、同時に、僕のメッセージも届けないといけない。土田さんが初めて僕の展示を見た時、僕の花を入れた作品は一つの間を持っていたとおっしゃってくれましたが、そこに見てくれる人へのメッセージがあるんです。伝え方として、物だけでなく空間を用いるというのは、日頃から意識しているところです。
土田 瀬沼さんの展示は、私の仕事にもとても参考になります。会場に小さなブースをつくったり、その中で個々の雰囲気をつくったりもするので。
瀬沼 デザイナーの深澤直人さんが『デザインの輪郭』という著書の中で、物をデザインする時に、その余白とか背景を考えることから導き出すというようなことを述べていて、それってわかるなと思いました。また、免疫学者の多田富雄さんが書かれた本によると、自分というものは、自分の中にあるのではなくて、境界線上に存在しているのだとか。つまり、免疫学的には、自己と否自己の境目というのは境界線上にあり、自己というのは奥深い中心にあるのではなくて、もっと表面的なところで判断されているらしいのです。僕は、輪郭とか、物と背景の関係とかに興味があって、物は物としてだけでなく、背景を含めてその物であると思っています。ガラスは境界が曖昧に見えたりもするので、その輪郭に対する感覚が常に働きます。
土田 展覧会というのは、結局のところ、残らないものだと私は思っているんですね。学芸員の中にはそうは思わない人もいるでしょうし、カタログがあるだろうと言う人もいます。でも、私にとってカタログはまったく別物。展覧会の会場を、どう章立てて見せようかというのもありますけれど、でももっと自分の中で大事にしているのは、その時の空間づくり。作品一つ一つがいちばん美しく見えるように、位置や照明の向きを考えたり、並べた時の周りの空間とか、物と物との関わりとか、全体を見た時のブースの空気感とか、そういうものをとても大事にしているつもりです。でも、以前はここまで意識して考えてはいなかったんです。