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Interview 西川 聡/聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー)

原始の色と乾いた風と

原始の3原色を使って
自分の中のイメージを具現化
インタビュー風景

インタビュー風景

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広瀬
西川さんのつくる赤・黒・白の器の中では、最初に赤い器が登場するんですよね。

西川
はい、赤い器が最初です。それは基本的に赤い器って、漆の器にはありますけど、焼き物ではあまり見かけなかったからです。それから、いろんなことを知っていくうちに、赤・黒・白というのは原始の頃からある3原色で、文化の3原色と呼ばれていることがわかり、この3色を使うことによって、最初の赤だけだった時よりも自分のイメージがかなり構築されてきたんです。

広瀬
日本の焼き物にはない赤色だと思いますけど、西川さんはアフリカとか中近東とかで、実際に赤い器を見かけたことはありますか。

西川
ありません。テラコッタの赤はいっぱい見ましたけど、それとは違う赤ですから。

広瀬
あの赤をつくり出した時は、何か直接的なお手本があったわけではないのですね。試行錯誤の中で、あの色と質感を見つけたということですか。

西川
そうです。実は、あの赤い器はインドから始まっているんです。23~24歳頃から、毎年2回くらい、2~3週間の旅行に出ていて、帰ってから2か月後くらいに展覧会をやっていたんです。旅のイメージを器にしてみたいってことで、そういう展覧会を京王百貨店で数年行っていました。その最初がインドで、僕の中でインドって、すごく赤いイメージがあった。インドで毎日、激辛カレーを食べて、カレーの器をつくりましたっていう感じ(笑)。だから赤い器のそもそもの始まりは、アフリカではなくインドの影響だったんです。ただ、今の赤とはちょっと違って、赤絵を塗っていて、漆もかけていませんでした。

広瀬
もっと強烈な赤だったのですか。

西川
はい。強烈なものをつくろうと、最初は思っていたんです。強くて、力があってというものを。焼き物はもともとあれだけの温度にさらされるものだから、僕の好きな焼き物も信楽とかかなりの高温を通ってきたものなんです。そういうものには、何か力があるというイメージをもっていたんですね。結果的に、今では技法的にまったく違う方向を選んでやっていますけど、最初の頃は割れたりとか壊したりとか、激しいこともやっていました。

広瀬
そうでしたか。

西川
それからインドの旅の後で、アフリカへ2回行きました。アフリカ・中近東・中央アジアの乾いたイメージと赤のイメージが何となく重なってきたんですね。それで、アフリカから帰ってきて、赤い器を再現してみたんですけど、その時は漆をかけていました。なので、今の赤い器の原型からいうと、アフリカから帰ってからのものが近いんですね。

広瀬
何年頃にアフリカへ行かれたのですか。

西川
最初は1995年です。骨董屋で見た変な椅子の話をしましたけど、その西アフリカの工芸を見たくて、1か月くらいかけて、マリとかブルキナファソとか、西アフリカの国々を旅行しました。それから2年後の1997年に、結婚してカミさんと一緒に1年くらい旅行したんですけど、アフリカは7か月ちょっとかけてぐるりと回りました。何か所か紛争地帯の危険なところは飛行機で飛びましたけど、ほとんど陸路をバスで移動しました。

広瀬
当然ですけど、宿は旅先で探すしかないですよね。

西川
もちろん。アフリカの場合、安い宿はほとんど売春宿で、そういうところに泊まりました。

広瀬
次に行く国とかは決めておいたんですか。

西川
それは暫定的に。ビザも何も持っていないので、次の国へ入るにはビザを取らなきゃいけないんですけど、その国の大使館がなかったりとか、その時になって状況が変わるので。首都だって、日本人が考えるほど街らしくなくて、その辺の駅前みたいな感じがほとんどです。そこに宿泊所もあって、マーケットもあって、飛行機やバスも集まっている。小さい街なら、一日あれば一周できるし、そういうところが多かったです。

インド、アフリカ、中近東…
琴線に触れる旅
インタビュー風景

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西川 聡 陶展

西川 聡 陶展

2012/11/16(金)〜11/20(火)
@桃居/東京

2012年11月16日(金)〜11月20日(火)
桃居 http://www.toukyo.com

03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13