panorama

パノラマ対談「器と花」 西川聡 × 上野雄次:前編

パノラマ対談「器と花」 西川聡 × 上野雄次 : 前編 2/3

日本人の芸能・芸術観

西川 上野さんはもともと焼き物に興味があったのですか。この器に生けてみたいとか。

上野 どこを最初といえばいいのか難しいですけど、僕も当初は、器は入れ物くらいの感じしかなかったところはあります。

西川 自己表現の方に意識が強いってことですね。僕らの世界もそうですけど、若い頃は表現したいし、アピールしたい。その辺が変わって行くところがあって、上野さんも何かきっかけはあったのですか。

上野 花生けのお稽古で、最初は市販の花器を使います。僕がお稽古していたところは、ちょっと造形的なものも売っていたし、そこの流派がオーダーした変わった形のものとかもあったんですけど、いわゆる工業製品に生けていた。そうすると当然、つくっている人は見えてこなくて、人が見えてこなければ気にせず自分の方に勝手に引き寄せても許されていたと思うんです。それが、たまたま焼き物屋さんの友達ができたり、その人と一緒に花を取り組む展覧会をやるようになったり、ギャラリーから依頼されて花生けに行ったり。搬入日で作家さんに会ったりもして。つくった本人がいて、ギャラリーの人がいて、僕もいる状況ですよね。そうなると当然のように、みんながくるっときれいな丸を描けて、幸せな顔に変わるものに仕上げたいなという欲求が生まれてきます。

パノラマ対談:器と花

西川 人が見えてきたんですね。

上野 相手の顔色をうかがったり、作品を覗き込みながら、どんな思考でこういう形が生まれてきたのかとか、過程を勝手に想像したりする。そうしてイメージしたことや、作家さんと実際に話して自分が気付かなかったことを発見したりもして、そういうもののバランスを見ながら、人の気持ちにあてがうような花入れを始めたんです。そういう機会を得て、自然にそっちの方に傾いて行った感じです。だから、人に意識が向いて行ったというのは、すごく大きいと思います。

西川 たくさんの華道家がいる中で、上野さんみたいな志向の人は、意外といそうでいなかったのでは。陶芸家やガラス作家の器に生けることを、率先してやっている人は、あまり身近では聞かなかったですよね。フラワーアレンジメントの世界があり、華道も流派の世界があり、でも上野さんは違う立ち位置で出てきている感じがします。たとえば中川幸夫さんや川瀬敏郎さんは、そういう前例のようにも思えるけれど、そういう人が身近だったかといえばそうではなくて。だから、上野さんの活動を知った時はとても嬉しかったです。

上野 有難うございます。

西川 世代的なものもあるのかもしれませんね。僕と上野さんは同世代だけど、僕らの上の世代になると、闘うということにすごく価値を置いていた世代。彼らは社会とかいろんなものと闘ってきたから、たとえば陶芸家と料理人が組むとなると、対決みたいな雰囲気になっちゃう。それをよしとした時代でもあったから、雑誌の企画でも、有名な陶芸家と料理人が登場して、互いを意識しながらつくるんだけど、できあがったものがいいかというと、どこか対決的だからお互いの主張が強くて、僕にはちょっと違和感があった。

上野 そういう時代でしたよね。今は、そんなことしたら総スカンでしょう。作家さんには作家さんの方向性があるし、ギャラリーにもそれはあるし、人ってそれぞれに思惑がありますよね。僕自身も、見る人の心をつかみたいという思惑がある。その中で、どこか1本みんなを通る筋みたいなもの、それぞれの思いを貫けるポイントがあるはずです。それは本質的なものに下りて行けば行くほど、そういうものに近付ける。結果的に「きれいだな」と感じてもらえれば、それぞれの思いを貫くことはできるんだということに、僕は行きついたわけです。「きれいなもの」をどうするか、美のバランスみたいなことをちゃんと咀嚼できていれば、それぞれの思いを全部貫くことはできると。

西川 なるほど。

上野 いちばん目指しているのは、みんなが幸せになること。それは、中川さんや川瀬さんの名前も出ましたけど、アートの領域であっても、古典的な匂いのする芸能・芸術のようなバランスを持っている領域であっても、目指しているところは同じだと思うんです。誰しもが感動の元に気持ちがフラットになって、みんなが同じように気持ちが平らになって。平らになるというのは平等感みたいなものを得たり、その感動を平等に得られるものだということに気付いたりして、みんな幸せであればいいなという感情に行きつくことだと思うんですね。

みんなそういうところに行こうとしてやっていて、ただアプローチの仕方が、すごくエッジが効いているものであったり、時代に対して問題提起するようなことに強く傾いていたりすると、よりアートの領域に近付いて行くのだと思います。

西川 僕もそうですけど、相手のことを考えながら仕事をできたりする世代。でも、それってある意味、物足りないことでもあるわけです。上野さんはそのエネルギーを違うところで表現しているでしょう。僕は誰でも使いやすいような器をつくるけれど、そればっかりつくっているともたないし作品もよくならない。

パノラマ対談:器と花

なかなか焼き物の場合はパフォーマンスでつくることはできないけど、少しアートというか違う領域の方に自分を振っていかないと。昔は一つのことを貫き通すことがすごいと思っていたけど、今は二つの違う方向のことを同時にやることは、どちらも自分に必要だと認めていて、それでバランスが成り立ってきたという感じがします。

上野 いわゆる芸術観も西欧からいただいてきたバランスだと思うんです。もともと日本の中にある芸能とか芸術の領域は、たとえば農閑期にお神楽を踊ったり唄をうたったりとか、ハレの日に芸に長けた人が神に近づく役割を担うとかだった。生活者であり労働者でありという人が、いきなり芸能・芸術の領域の高い役割を担うんだけど、ハレの日のあり方とかケの日のあり方とかで、その両方をバランスよくやっていた。

そういう意味でいうと、西川さんがおっしゃったようなバランスや僕のバランスのとり方は、ほとんどの日本人が本来もっている芸能・芸術に対する感覚なのだと思います。それを取り戻しつつあると考えた方がいいんじゃないかな。

西川 そうかもしれないですね。

上野 八百万の神を信仰するという原始的な信仰というのは、日本だけではないですけど、自分自身の生も含めて、命の儚さとか、自分の力ではコントロールできないところで命を絶たれることだって多くあるわけで、そういうことから身を守っていただきたいという思いみたいなところから信仰は始まっていると思います。

たとえば日本人だったら、家の中にいたとしても、粗末な建物しか当時はなかっただろうから、嵐が来れば家が潰れるかもしれなくて。だとしたら家の中にも八百万の神が鎮座しているというようなイメージも必要になってくる。そういう精神バランスが室内に聖域を生み出すことになり、床の間であったり、仏壇であったり、神棚であったりというような存在ができた。たまたま床の間というのは芸術を表現するステージにもなり得て行ったわけで、それはそういう世界と人間社会が深くコミットできる「どこでもドア」みたいな存在だった。そういう感覚が、僕らが本来培ってきた芸術観みたいなものでもあると思います。