パノラマ座談会「古い焼きものに想いを寄せて」 前編 2/4 森 由美 (陶磁研究家、戸栗美術館・学芸顧問) × 浜野マユミ (陶芸家) × 吉永サダム (陶芸家) × 矢野直人 (陶芸家)
再始動は、やはり糸切成形で
森 浜野さん、素敵な作品ですよね。ファンの方もたくさんいらしたことと思いますが、2009年から休養されていたとか。
浜野 卒業後は実家の川越に窯を持っていたんですけれど、結婚して横浜に住むようになって、通える距離ではないので、最初は週末だけ横浜に住んで、平日は川越でつくったりしていたんですが、やっぱり二重生活は厳しくて。一度つくることを辞めてみようと思ったんです。少しはつくりますと言ったこともあるんですけれど、片手間にはできなくて。辞めると決めてから1年半くらいかけて仕事を整理していってお休みしました。
森 去年から少しずつ活動を再開されて、今回が再開後はじめての個展ということですが、何か気持ちの変化があって再開されたのですか。
浜野 お休み中は焼きものをまったく辞めようと思ったり、ほかの仕事でもいいかなとも思っていたんですけれど、いろんな方が面白そうな話を聞かせてくれるんですよね(笑)。吉永君からは矢野君の話とか、陶石のこととか。
吉永 僕は浜野さんとはつくっているものは全然違ったけれども、浜野さんの作品は好きだし、森さんのおっしゃる通り、浜野さんのファンはたくさんいたので、辞めたことをすごくもったいないなと思っていたんです。それにどう考えても浜野さんはものづくりの人なので、もう一回やったら面白いぞということを何となく匂わせていました(笑)。ちょうど当時、僕は矢野君とか唐津の人たちとたくさん交流があって、面白いものづくりの話が出ていたので、たまに連絡してはそういう話をしていたんです。
浜野 同時期に、そういう人が何人かいて、もう一度仕事やってみたらと言ってもらえる機会があって、ちょっとならと思って仕事を受けてみたんです。それで、どういうものをつくろうかなと思っている時に、その糸口だったり、面白そうなものができそうなヒントをもらったりして。そういうことがいくつか重なって行って、ちょっとやってみると、思いがけないことがどんどん出てきて(笑)。
吉永 今回は本当にいろんなタイミングがいい具合に重なったと思います。浜野さんが別な仕事を受けて有田へ来て、窯業大学校に顔出しに行ったら、ちょうど今回の戸栗美術館さんの話があって。活動再開に向けて、最高のステージが整った(笑)。
森 美術館にとっても有難いことでした。
浜野 それと今はまだいっぱいはつくれないので、ギャラリーとかの個展で数をそろえるのは難しいと思っていたんです。でも、戸栗美術館さんの個展の主旨だと、ちょうどできるかもしれない、やってみたいって思えて。美術館ならではの面白いことができる、ふだんの個展ではできないようなことができると。
森 今回の浜野さんの展示ですが、土へのこだわりとか、つくり方のこだわりとか、いろいろ細かくわかるように展示していただいていますが、具体的に、今回はこういうことをやってみたというところを、ご紹介いただけますか。
浜野 土は泉山陶石*6と天草陶石*7の2種類で、釉薬は5種類、素焼きしたものとしないもの、呉須*8は2種類あって今まで使っていたものと天然呉須の中国のもの。この天然呉須はたいへん貴重なものでなかなか手に入らないものを、今回戸栗美術館さんで個展をするということで使わせていただきました。本呉須とも言われますが、なんともいえず美しい色でした。
吉永 今では採れない呉須なんです。僕の師匠が30年前に採られたものを人から譲り受けていたんですけれど、僕が陶器から磁器へつくるものが変わったこともあって、磁器をやるならいずれ呉須も使うだろうからと、たまたま少し前に僕に譲ってくれたものです。タイミングよかったんです。
森 今回のポイントの一つに、泉山の土というのがあります。泉山陶石というのは、17世紀初頭、有田を中心とする地域で磁器を焼き始めた頃に発見された磁器の原料となる陶石なんですね。それが有田の東部に大量に産出するということがわかって、それがあったからこそ伊万里焼は今日世界に名を知られるような焼きものに成長することができたわけです。ですが江戸時代からずっと掘り続けてきたので、今ではもう採らない土になっています。それがいろいろな機会があって、今回は吉永さんが何年か前に崩落した部分を入手されたそうですが。
吉永 はい。有田の方で、ほんの少しだけ泉山の石を扱っている方をご紹介いただいて、実験的に少量ですけれど譲っていただいたんです。天然呉須同様、やはり戸栗美術館さんに展示するなら泉山の土でしょう、みたいな想いからやり始めたことです。泉山でもきっとできるはずという仮説のもとにですけれど、そこに至るには、矢野君との交流がヒントになっています。
森 私のように古い焼きものの研究家とか、つくり手とは違う立場の人間からすると、泉山の土というのは、まず扱いにくい土であるというのが常識です。分析結果などを見ても、ガラスの粉に近いような成分ですよね。粘土質物が非常に少ない。そういう粘り気が少ない土で成形するのはかなり難しいことだろうと、シンプルに考えます。ところが今回は、その泉山の土を使って見事に成功されている。どうやってつくられているのかとうかがったら、唐津の矢野さんからのお話にいろいろヒントがあったそうですね。もともと伊万里焼の前に、肥前では唐津焼という陶器がつくられていたわけですが、その唐津でも非常に扱いにくい土で焼きものがつくられていたと。
吉永 歴史的に見ても、伊万里焼は磁器になる前には、古唐津の技法が全面的に取り込まれてできたものなんです。今の工業製品的につくられる粘土のつくり方ではなくて、矢野君たちは今も自分で山に入ってハンマーで砕いて石を採ってくる。そこから土づくりというのをやっているので、それを参考にして、泉山の石も昔ながらの自然の理に適ったつくり方をすればできるはずという仮説を立てたんです。やってみたら、今のところまあまあできてるんじゃないかなと。泉山の土は難しいと言われるけれど、自分との相性はいい素材なのかもしれません。
森 一昔前でしょうか、唐津は何となくザラッとしている土肌が特徴というので、わざとそういう粗い土を使って、妙に軟い唐津焼ができあがったことがありましたけれど、本来の昔の唐津焼を見て行くと、土が非常に硬く締まっていて、これが白くてガラス化していけば磁器になるんじゃないかというような、そういうつくりをしていますよね。矢野さんはそういったしっかりとした古唐津に挑戦されているのですか。
矢野 一昔前だけでなく今も森さんがおっしゃるような唐津焼はあります。ただ古いものを見た時に違うぞとすごく感じたんです。自分は唐津焼の家に育って、原料的に言えば少し軟らかくなるような雰囲気のものも扱っているし、磁器的な考えのものづくりの唐津焼もつくっています。石でも粘土でもない、砂みたいなものから製粉しても焼きものはできるとして、今までいろいろやってきた中で、磁器のつくりの考え方で行く方が、古い唐津焼にいちばん似るのではないかと思っています。唐津は岸嶽系、松浦系とか、ちょうど地層で岩の種類が違っています。ザラザラなのは吉野谷砂岩という砂岩層ですごく粒が大きいし、松浦系のきちっと絵付けが入っているようなのは行合野砂岩で、キメ細かくて砂岩の粒自体が小さい。自分はそういうことをいろいろやっている段階です。
浜野マユミ作品展
「戸栗美術館 1階やきもの展示室」にて、浜野マユミ氏による作品展を開催致します。
古伊万里の伝統技法を用いて、日本の四季を表現した小皿・猪口などを展示。
制作に用いた道具類もご紹介します。
企画展「小さな伊万里焼展 ―小皿・猪口・向付―」とあわせてお楽しみくださいませ。
財団法人 戸栗美術館[東京渋谷・陶磁器美術館]
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-11-3
tel. 03-3465-0070
http://www.toguri-museum.or.jp
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