Interview 渡辺 遼「鉱物と造形の間に」 3/6
聞き手:広瀬一郎さん(「桃居」オーナー) / 文・構成:竹内典子/Jan. 2014
町工場で働く
広瀬 工業デザイナー、プロダクトデザイナーという目標が消えて、ほかに何かやりたいことはあったのですか。
渡辺 大学を出る時に、一度、美術やデザインから離れたいと思ったんです。それで、全然誰も知らない、オートバイの部品をつくる金属加工の町工場に就職しました。
広瀬 デザインとか美術的な世界から離れて、ある意味で真逆な町工場のような場所に身を置いて、そこから手探りで始めたということですか。
渡辺 中学生の時に、漠然と憧れていたことではあります。
広瀬 工員さんですね。
渡辺 大学を出れば、あとは自己責任の世界になるので、うまくいかなくてもやってみたいと思ったんです。それで自分で仕事先を見つけて「働かせてください」とお願いに行ったら、僕は技術を学んでいないので、アルバイトからならいいよということに。でも、生活費に困るので美術予備校のモチーフセッティングなどをする月給制の仕事をしながら、予備校が休みの日と午前中の数日、町工場で働き始めたんです。
広瀬 渡辺さんとしては、作品ではないかもしれないけれど、自分の素材として、自分の二つの手で思い通りに金属をコントロールしていく、その技術を身に着けようと思ったのですか。
渡辺 その時のいちばんの目標は、学生の時に見たドナルド・ジャッドの直方体をつくれるようになること。その作品を見た時に、極めて単純な作品ですけれど、「これがすべてだ」という気がしたんです。
広瀬 それは美術作品としてですか。
渡辺 質感とか、形とかですかね。本当にきれいな形でしたから。具象物として、人物像とかよりもダイレクトにこういうのをつくれるようになりたいと思ったんです。
広瀬 実際に作品をつくったのは、ジャッド自身ではなかったとか。
渡辺 そうなんです。鉄板の完全な直方体をつくるために、ジャッドではなくて、技術を身に着けた工員がつくったと本に書いてありました。
広瀬 渡辺さんもとにかく、まずは工員になろうと。
渡辺 工員の方がつくれるのであれば、そっちがいい(笑)。
広瀬 ドナルド・ジャッドはたしかにいろんな発想やいろんなコンセプトの美術的な作品をつくっていく人だけれど、そっち側に身を置くのではなくてということですね。
渡辺 自分はたぶんそういうことはできないというか、イメージが直結しないんです。それよりは、それを実際につくった人と自分も同じくらいのものがつくれるようになったら、もしかしたら次の欲求みたいなものも出てくるかもしれないなと漠然と思っていました。
広瀬 なるほど、そこから出発したいと。そのオートバイの部品をつくる工場では、どんなことをしていましたか。
渡辺 鉄の板から曲げて、溶接してということをメインでやっているところで、小ロットですけれど、自分のところで全て完結するような仕事でした。
広瀬 そこできちんと仕事していけば、かなりの技術が身に着くわけですね。
渡辺 そう思って入ったんですけれど、何にもできないのでバイトからということで。最初は指定の場所に穴をあける、次に穴をあける位置を指定して穴をあける、金属板を切る、金属板を曲げる、溶接した箇所を荒削りする、溶接できるように面を合わせる、というように順々に進んでいきました。その間、仕事が終わってから、それらの行程を組み合わせてできることを自分なりに練習させてもらって。なかでも鉄と鉄が溶け合って、そこに少しの接合用の棒を同時に溶かし込んで接合される溶接は、とても魅力的で夢中になって練習していましたね。
職人仕事を通して
広瀬 何年くらい働いたのですか。
渡辺 4年間です。働いていると、それこそ中学生の時に思った通りというか、毎朝同じ時間に出勤して、決められた作業をしてという工員の仕事は、たしかに自分に合っているかもしれないと思いました。最初は社長と社員とバイトの僕の3人でやっていて、そのうちに社員が辞めた時に僕を社員に雇ってもらって、社長と僕の2人きりでやっていたんですけれど、だんだんと不況で仕事が海外へ流れてしまって。それで、極端に言ってしまうと、自分に割り当てられた仕事でつくっていたものって何なのだろうかと考えるようになったんです。簡単に、他の人の仕事になってしまうのかって。
広瀬 誰かに置き換えられてしまうような作業にしか過ぎなかったということですか。
渡辺 そういうことも考えましたね。この先どうなるんだろうかと。でも、仕事が終わった後に、1~2時間ですけれど、穴を開けるとか、金属板を切るとか、自分でいろいろやっていると、何となくもともと興味のあったプロダクト製品にまた興味が湧いてきて、自分の製品をつくれるようになりたいという思いが出てきたんです。
広瀬 現実的には工場を辞めてしまえば、待っていても仕事は来ないし、お給料も出ないし、次のステップに移っていかなければならないわけですよね。
渡辺 はい。町工場を辞めてから、他の工場に勤めようかと迷っていた時に、学生時代の友人から声をかけられて、ステージの美術造作の仕事を一緒にやってみることにしました。その仕事で、ある時、ダンサーで振付家のヨシコチュウマさんというニューヨークで活動されている方のステージで使う、アルミでできた組み立て式の立方体をつくることになって。できあがったものを持って行くと、「あなたは時間がありそうだから、この立方体を組み立てる係として日本の公演についてきてください」と言われ、新潟と大阪の公演、その後、ルーマニアでの公演にもついて行きました。
広瀬 具体的には舞台美術というか、舞台で使う道具的なものを制作して、現場で組み立ててということですか。
渡辺 アーティストの方がステージで使っていたのは、アルミの立方体、1種類だけでした。アルミの角パイプでできた、組み立て式の2メートルくらいの立方体が4つ。それにスクリーンを掛けられるようなフレーム。僕は、その立方体を組み立てたり、ステージ上で移動させたり。
広瀬 工員の仕事とは全然違うけれども、それも充実感のある仕事だったのではないですか。
渡辺 いろいろと経験できてありがたかったです。ステージでとくに印象的だったのは、音楽家の生演奏とダンサーの動きです。僕は黒子のような具合でステージにいたので、音楽家のすぐ近くにいることが多くて、一度きりのステージで聞くというか感じる音、ダンサーの瞬間のエネルギーというものは、身体に響くものがありました。生き生きと表現する姿を間近で見て、自分がやっている仕事にも生き生きとしたものを感じたい、それなら何をするかということを考え始めました。
渡辺遼・須田貴世子 二人展
桃居
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