- 素朴な我谷盆との出合い
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根本
「我谷盆(わがたぼん)」は佃さんの特長的な仕事のひとつですね。ギャラリーの展示を見たお客様も皆さん「これは佃さんの我谷盆ですね」って仰います。佃
我谷盆というのは京都のものではなくて、石川県の山中温泉の上流、我谷村という小さな村でつくられていたものなんです。今はダムができて我谷村は水没してしまいましたが、黒田さんがコレクションされていて、古い物の資料なども見せてくれて、いろんな話をしてくださいました。根本
そこに出合いがあったのですね。佃
昭和30年代、金沢の木工作家・林 竜人(はやしたつんど)さんが、我谷盆をつくっていらっしゃった。その方は、辰秋さんから「君はこの我谷盆を復興させたらどうだ」と言われて尽力された方で、そのことを僕も知っていたし、我谷盆のことをよく知るようになりました。根本
何を持って我谷盆の特徴といえばよいですか?佃
古いものは全て白木造りです。一つ一つ形も深さも違って同じものがないんです。その木なりの大きさになっている。というのは、この我谷村はヘギ板をつくる村で、それをつくる職人がたくさんいて、そのヘギ板の落ち材で盆がつくられたんですね。山の中の家の屋根というは、瓦ではなくてヘギ板でしたから、材は風雨に強い栗。素人細工なので、あまり刃物を砥ぐような技術もなかったのだろうと思います。たぶん生木のうちに、ノミ1本でつくれるものだった。もっと平らにしたかったんやと思うけども、精一杯平らに彫られたノミ跡なんです。根本
デザインと呼ぶべきものでもなかった?佃
そんなもんじゃないと思いますね。素朴なんですよ。おそらく盆のつくり手が4~5人いて、つくり手によっても盆の雰囲気はかなり変わる。繊細な人もいるし、大胆に彫る人もいる。僕は古い物の中では深いものが好きでした。
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根本
木端(こっぱ)も大事に捨てられないというか、気持ちとしては、このヘギの端材を何とか生かしたいという必然から生まれたものなのでしょうね。佃
そうだと思います。金沢の方には結構残っているんですよね。これで商売したり、流通したりということはなかったと思うから、物々交換だったのかもしれない。我谷村の下流に行くと、山中塗りの轆轤師がいっぱいいて、真ん丸のお盆がたくさんつくれたわけですから。根本
佃さんが我谷盆をつくる、というのは写し的な仕事と思いますが、どんな面白みがあるのですか?佃
やっていて、だんだん自分でも変化してくるんですね。昔はこんなもんかなと思っていたのが、やっぱりもうちょっと手取りを軽い感じにしたいとか。あまり民藝くさくないように見せたい、という気持ちはありますね。根本
佃さんにとって写しの仕事には、卒業というか、ピリオドというのがあるんですか。佃
ありますね。もちろん我谷盆は好きなので、ずっとつくりますけど、これまでに得たものもあるし、ほかにも魅力的なお盆は、日本にたくさんあります。お盆でもいろんなことをやりたいですね。 -
工房の天井に貼ってあった
2009年に石川県加賀市の山中温泉で開催された
「今、よみがえる幻の我谷盆」展のポスター
佃眞吾作品展
2012年11月9日(金)〜14日(水)
「木は植物です。
五感で見る事のできる素材。
落ち着きさえ感じさせる木目に
魅入ってしまうことがあります。
昔から、木の文様を「杢」(もく)、
木肌の変化を「産つ」(そだつ)と
愛でられてきました。
無意識のうちに手にとってみたくなるのは、
そのためでしょうね。」
ー 佃眞吾
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