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Interview 硅砂組「石⇄ガラス 行き交う現象と景色」 Interview 硅砂組「石⇄ガラス 行き交う現象と景色」

Interview 硅砂組
石⇄ガラス 行き交う現象と景色

光、屈折、反射、透明、不透明、箔、錆…。作品の要素のひとつひとつに、純度の高さがうかがえる硅砂組のものづくり。現在、ユニットのメンバーは田上惠美子さんと田上拓さんのお二人です。「実は工房はなくて、家の台所で制作しているんですよ」。その言葉通り、大阪にある惠美子さんのご自宅を訪ねると、台所は当り前のように作業場に代わり、バーナーから炎が立ち上りました。石とガラス、その素材へのまなざしは、時に粒子の存在を感じさせるほどでありながら、作業そのものはバーナーの火力でガラスを溶かしたり固めたり、箔を纏わせたり、指先の感覚で研磨をしたり…人と素材、炎、道具の距離は思ったよりもずっと近いのです。見たことのない数々の作品は、お二人の好奇心や情熱、無心の時間を経て生まれています。どのようなものづくりなのか、お二人に語っていただきました。

始まりは自然の中に

側面がシャープな石と透明なガラス、その2つがピタッっと重なる「水底(みなそこ)」という作品を、継続して制作しています。川に行った時、石の上を水が流れる様子を眺めたりします。その眼下の状況を、上からパンって切り取って持ち帰りたい。というのが、この作品のイメージにつながっています。四角い石は、山や川で採集してきたものを磨いています。

「水底」

惠美子 もともと拓は、山や川の写真を撮っていたんですよね。ずいぶん前のこと、拓の6歳下の弟が小学生の頃、家族で能登に行った時に、弟が拾った石があまりにきれいで、天然の石なのか人工の石なのか意見が割れたことがあって(笑)。後日専門家を訪ねたところ、それは天然の瑪瑙(めのう)だったんですね。そこから石にはまり始めて、鉱物の種類を調べたり、鉱山の坑道を地図で探したり。家族旅行といえば石拾いになって、日本各地の山や川へ行くようになりました。弟はすっかり鉱物オタクになったけれど、拓はあまり石は拾わず、よく辺りの写真を撮っていて。

当時は景色の写真を撮るつもりで行っていたから。時々、家族の石探しにもつきあうけれど、自分の好きな時間を過ごしていました。

惠美子 だんだんと家の中は集めた石だらけになってきて、「この石どうすんねん?」という話に。思いつきで石とガラスを合体させたらどうだろうって、石膏で小石の型取りをして、その上にガラスを溶かし固めると、石とぴったり合う形のガラスができたんです。ガラスと石を重ねてみると、ガラスが透明だから、逆に透明ではない石が生き生きしてくる。
しかも、ガラスの主な原材料である硅砂は、石を砕いて精製した二酸化ケイ素の砂だから、いうなれば石とガラスは出所が一緒。その近しい関係性が、非常に面白く思えてきたんですね。

それまでにもガラス作品の写真は度々撮っていたんですけれど、だんだんと作品づくりの工程でガラスを磨く担当になったり、デザインやガラス自体の制作も行うようになり、「水底」や「空気の形」といった作品をつくり始めました。

「空気の形」 ©硅砂組

惠美子 そして2018年頃から、石とガラスの作品をつくる「硅砂組」という名前で活動が始まったんです。メンバーは固定ではなく、今は2人ですけれど、つくるものに応じて3人のことも。選外だろうと思いつつ初めて応募した2019年の国際ガラス展・金沢では、いきなり金賞をいただいて、びっくりして2人とも仰け反りました。その時の作品は、ツルピカに磨き上げたガラスのキューブと、コアガラスの散華(さんげ)を複数取り合わせた集合体。光学ガラスと言ってもいいのかな、拓はガラスを鏡面までひたすら研磨しないと許されへんみたいです。

「散華」 ©硅砂組

その方がきれいなんじゃないかなって。学生時代は材料工学を専攻していて、チタンの研究をしていたんですけれど、その研究過程では内部構造を調べるために、材料のチタンをパンっと切ってピカピカに磨くんです。ひたすら磨くということを経験していたので、それはレンズ加工という今やっているもう一つの自分の仕事だったり、硅砂組でのガラスを削って磨くというコールドワークにつながりました。

惠美子 私はすりガラス状態も好きなんですよね。とことんツルピカに磨くのは、拓に任せています。

磨きにも番手というのがあって、粗いところからだんだんと細かいところへ進めて行くんです。ただ、ガラスってかなり硬いんですよ。「水底」は、石とガラスを両方磨いて削るんですけれど、石の方ばかり進んで、ガラスはなかなか進みません。
それでも透明さは僕にとって大事で、それはちょっと概念的というか思想的というか…。出合いとしてはガラスより先に石や景色、写真があったので、ガラスは透明なものの代理という感覚なんですね。たとえば、写真を撮る時に見た、石の上を流れる水だったり、空気だったり。その場の透明なものって、持ち帰れないものだし、石だって流されるから次に行った時にはもう同じ状況はないわけです。写真に撮る景色も、その瞬間を写しているわけだから、過去を写していることでもあって。透明なものをガラスに記録すること、透明なものを写真に現像すること、どちらも僕には同じことのように思えます。

ユニットで実現する、
唯一無二のものづくり

2人が親子であることは、あまり積極的には言っていません。それは、こういう工芸とか美術の世界では、親子というと弟子とか後継者とかに思われがちだからです。そう思われないように「硅砂組」と名乗っているところもあります。僕は田上惠美子さんの技術や作家性を引き継いでいるわけでは全くないので、それは見る人にとっても誤解がない方がいいので。

惠美子 私個人は硅砂組の始動よりずっと早く、40年くらい前から蜻蛉(とんぼ)玉をつくっていて、作家として活動してきました。 言語聴覚士という仕事の傍ら、趣味でガラスを習い始めたのがきっかけです。昔から透明なガラスが好きで、老後の楽しみにしたいと思っていたのですが、習い始めて半年が過ぎた頃、レースグラスのつくり方を先生に尋ねたら、君にはまだ早いよと言われてしまって。それなら「自分でつくります」と言って習うのをやめて、自宅の台所でまず蜻蛉玉をつくり始めたんです。
人類がガラスという素材を発明に近い状態で見つけたのは、約4500年前のメソポタミアと言われていますが、世界最古のガラスは蜻蛉玉なんですね。蜻蛉玉はローテクというか、古い時代から人間が扱える程度の火力でガラスを溶かしてきたわけです。私が使っているソフトガラスは800℃くらいが融点で、吹きガラスよりもずっと低い温度です。自分の手元でガラスが溶けたり固まったりするのはいちばん面白いところで、透明なカチカチのものが、ある瞬間にふわーっと溶けて、不思議な距離感が生まれて、そしてまたカチッと固まる。そこがつくっていて、とてもたのしいんですね。蜻蛉玉をつくりたいというより、透明なガラスを溶かして固めたいという思いが先にあって始めました。

蜻蛉玉は不透明なガラスの方がポピュラーだと思いますが、うちは透明なガラスを使うのがもともと好きですね。わざわざ透明な蜻蛉玉をつくってきました。

惠美子 通常の工程でつくると、どうしたってガラスを鉄芯から外した時に、離型剤の白い筋が残るんです。それがどうしても嫌なので、透明にしたい。帯留めやネックレスにする時に、紐や鎖を通す穴になるところなので、内側まで光っていてほしい。ツルピカ好きの拓にそう相談したら、細いところを磨くための道具を考えてくれたり、磨くのに砂を使ってみたり、いろいろと試してくれて。やはり、道具がなければつくれないし、普通にある道具では普通のものしかつくれません。
台所でつくり始めた最初の頃は、シンクの中で鍋をひっくり返して、その上にバーナーを立てて、炎の先には油はね避けのグリルガードを設置してやっていました。かなりの高温になるので、その熱を逃すために長いダクトを取り付けたり、いろいろ試行錯誤しながら。いまの家に引越して来てからも変わらず、台所で制作しています。家の中があちこち変なことになっていますけれど(笑)。

僕の研磨作業も、家の洗面所でやっていますし(笑)。

惠美子 ある時、「台所じゃなく広い工房に憧れるな」と言ったら「制限がある今の環境だから面白いのができるの。だからこのまま台所で、暮らしの中でつくっていくのが良いの」と言ってくれた人がいたんです。自由に制作できる空間に憧れもありましたけれど、最初の頃は言語聴覚士として病院に常勤していたので。
本格的に作品をつくるようになったのは、3人の息子のうち次男を突然死で亡くしてからです。落ち込む私に、ガラスの仲間が「予約しておいたからガラスの教室に行きなさい。家を出ないとダメよ」と電話をくれて。それで再びガラスを手に取ってバーナーに向かってみたら、不思議ととても気持ちが落ち着いたんですね。その時に「命とガラスって一緒やな」と思って。強いけど脆い。そのあたりから、制作にのめり込んでいきました。
その後、三男を産んで、時間は有限だから老後の楽しみにしていては間に合わないと思うようになって。少しずつ常勤から非常勤に変えて勤務日を減らして、勤務先も病院だけでなく、保健所とか大学の講師とか時間調整がしやすいようにして。子育てをしながら言語聴覚士とガラス制作は両輪みたいな感じでやってきました。60歳あたりからガラスに専念したくなって言語聴覚士の仕事を減らし、70歳になったのを機に言語聴覚士の仕事を卒業しました。

箔が導く現象や錆びの景色

惠美子 蜻蛉玉と同じバーナーワークなんですけれど、コアガラスという技法で、「壺中天(こちゅうてん)」や「散華」をつくっています。金属棒の先端にスチールを巻き付けて、その上からフリーハンドで耐火石膏を塗り付けて、丸みのあるコア(芯)をつくります。ちょうど大きな綿棒みたいな形になります。バーナーでコアを熱して、その表面にガラスを溶かし付けていきます。ガラスを徐冷した後は、コアを崩して器を外すので、1つのコアから1個の器しかつくれません。コアもフリーハンドでつくっているため、すべての器の形は異なります。また、コアのどの部分にガラスを付けるか、その角度によって盃形にもなるし、花びら形にもなるんです。

「壺中天」
「ガラスキューブ + 散華」

惠美子 「壺中天」は盃形のガラスに、銀箔を焼き付けています。外側は箔の銀白色をしていますが、実は銀箔を焼き付ける前に、金箔を焼き付けているんです。あくまで自分たちの仮説というか想像ですが、熱いガラスに銀箔を直接貼ると、ガラスの中に銀が取り込まれるコロイド化という現象が生じて、ガラスが黄色とか茶色くなってしまうようなのです。なんとか銀色が残せないかと思い、銀箔より融点が高くて化学的にも安定している金箔を、先にガラス表面に焼き付けてみたら、金箔がブロックになってくれたのか、その上に熔着した銀箔は少しの間、銀白色を保てたんです。
少しでも長くブロックしてほしいので金箔を二重や三重に増やしていったのですが、全部銀箔に覆われて見えなくなってしまいますからもったいないし、金が可哀想になって、盃の縁のところにほんの少しだけ金を残すこともあります。





吹きガラスに使用するガラスと比べて、このバーナーワークで使用するソフトガラスというのは、低い温度で溶けて固まるという特徴があります。こんなふうに金属とガラスを溶着できるのは、バーナーだからかもしれません。吹きガラスみたいに1000℃を超えるような温度では、金属の薄い箔は消えやすいと思います。

惠美子 盃内側の色は、色ガラスを透明ガラスとコアの上で溶かしながら混色しています。日本には棒ガラスのメーカーが2社あって、それぞれ200色ほどの棒ガラスが製造されています。色ガラスというのは、硅砂に鉄、銅、マンガン、コバルトなどの金属粉末を混ぜて、溶かす時に酸化や還元をして発色させて棒ガラスをつくるそうです。なので、ガラスの混色は含まれている金属の相性もあって、絵の具のように素直な混色にならないことも多いし、思い描く色は既成の棒ガラスの中にはなかなかないんです。
今回使用した青棒ガラスは混色すると明るい透明感のある色となって、グラデーションも自然な感じに現れてくれました。仕上げも内側はややマットにして、液体を注いだ時に、瑞々しく潤う表情をたのしんでもらえたら嬉しいです。

「壺中天」「水月(すいげつ)

水色のグラデーションをはじめ、淡い色ガラスの放つ空気感、銀箔を重ねた表情、その銀箔の白さを見せるために犠牲になってもらった金箔がわずかに縁に光るなど、「壺中天」はいくつもの現象が定着した佇まいになっています。
材料の色ガラスは、自分でつくることもあります。透明なガラスを溶かしたところに、銅箔を巻き取って一緒に溶かしていくんです。銅箔そのものは銅色、きれいなブロンズ色なんですけれど、火にかけた瞬間、真っ黒焦げに。その状態で真っ黒の箔として使うこともありますし、ガラスに溶かして延々と炙っていると、黒みがだんだんスーッと消えていって、水色になっていくんです。その水色もとてもきれいです。

惠美子 花びら形の「散華」は、さまざまな形状や表情のものをつくっています。壺中天と同じように金箔や銀箔を焼き付けてから、さらにサンドブラストと言って、表面に研磨剤を吹き付けて加工しています。かなり細幅のマスキングテープを1本1本縞模様に貼ってからサンドブラストを行うと、マスキングしたところにだけ箔が残って、葉脈のような細い線が浮かびます。

「散華」

以前、「散華」の細い線を残すのに、もう少し楽な方法はないかなと思って、デジタルで縞模様の絵を描いてデータ出力して、一回で貼れるシートをつくったことがあるんです。ところが、めちゃくちゃ面白くない。均一な線というのは面白くないんですね。マスキングテープの場合は、一見すると均一そうに見えて、少し揺らいでいるんです。手で1本1本貼るので、無意識にガラスの曲面に合わせてラインを調整している。それが必要なんだと思いました。表情が面白くないと、作業は楽でもあんまりやる気にならなかったです。

惠美子 私は細い線に見られるような銀箔の硫化が進んだ、錆びの表情が好きなんです。あえて硫黄成分を塗布して、硫化を進めるために温めたりすることもあります。

「邂逅」

経年変化のような自然な硫化は、空気中の硫黄成分を拾って反応するんですけれど、それを人工的に激しくして硫化を早めるというやり方です。

惠美子 その時は家の中だと硫化水素が出て危ないので、必ず屋外の風通しのよいところで作業しています。

不透明から透明へ

惠美子 不透明な石の中から、硅砂を取り出してガラスの原料がつくられて、そのガラスからは透明なものができる。そういう石とガラスの関係性みたいなものがたのしいんですよね。
石とガラスを組み合わせた作品は、石の数だけつくれるというか、採集したさまざまな種類の石があるので、それぞれの特徴を生かしてつくっています。
石の上に載ったガラスをパッと外した時に、現れた石を見て「おぉっ!!!」ってなってもらえたら嬉しいんです。できるだけ石は削りたくないから、石の良い景色が見えて、しかも安定して立ちやすい、ガラスとのおさまりが良い石というのを探しています。
鉱山の周辺地域では、坑道で掘られたものの不要と判断され捨てられた石が、長年の風雨で流れ着いていたりするんですね。それらを私たちは拾ってハンマーで叩いて割るんです。石がパカッと割れた瞬間、鉱物の結晶がキラッと走っているのを見つけると心が躍るんですね。そういう石ばかりではないので、夢中になって探し歩いて。天然のものを見て心が動く体験を、硅砂組のつくるものから追体験してもらえたらと思っています。

「石 + 水月」

石の中に結晶があると、そこには結晶が育つために必要だった空洞があるので、ハンマーで割った時に自ずときれいに割れるんですね。結晶の面がちゃんと残るので、キラキラするんです。僕は「水底」をつくる時に石を磨きますけれど、結晶の場合は、磨いてしまうとかえって死んだ光になるんですよ。結晶はそのまま生かした方がキラキラします。

惠美子 なるべく採集したままの石と「散華」を合わせたり、「水底」のようにとことん磨いた石とガラスを合わせたり。岩石や鉱物、自然のものの魅力はいくつもあって、それぞれの石の貌が見えてきます。

「水底」によく使っている鳥取県の石とかは、白黒の模様というか、脈が走っていて、コントラストがあって、良い景色の石だなと思います。

「水底」

惠美子 私は金属の気配がある愛媛県の層状含銅硫化鉄鉱(キースラーガー)が好きです。銅などが含まれた鉱石で、黄鉄鉱なども多く含んだ層状の鉱石です。鉱石を製錬して有用な金属を取り出す作業は昔からされていますが、その時代ごとの最先端技術と膨大な人出が必要で、製錬が困難なために純度の低い石が捨てられたりしていたようです。黄鉄鉱だから鉄が取れるかと思いきや鉄は取れない。硫黄と鉄が結合した硫化鉱物で、それを剥がすのにはものすごく大変な労力が必要で、だからいらないところなんです。結晶のキラキラが金属みたいに見えても銅の部分は少なくて、こんなにキラキラなのに、いらない石なんですね。人間の手によって山中からわざわざ掘り出された石が、川原でコロコロと転がって丸くなって。丸くなりながら表面に錆びが生まれてきて、一見するとなんの変哲もない茶色い石に。でも割ってみると中はギラギラ(笑)。そういう景色が可愛いなぁと思います。
基本的に宝石として光るものは苦手で、何かの拍子にキラッとかギラッとか光るというのがいいですね。
そういう石とガラスがピタッと合わさると、合わさった時の快感というのもあって、それも醍醐味です。
ガラスも金属も石から生成されますが、人が使える素材の状態にするまでには、すごい技術と多くの人手と膨大な火力が使われています。自分たちがガラス制作で使っているガラス材料も箔材料も、大変な手間をかけてつくられたもの。作業途中で失敗したり割れたりしたものも、できるだけ捨てずに自分たちの中で有効活用したいと思っています。

視覚、聴覚にも作用する
ガラスの表現

今後、硅砂組としても個人としても、一回り大きい作品をつくりたいと思っています。今回制作した作品の中には、前回より少し大きくしたものもあります。大味にならないよう、集中力を持ったまま大きくしていきたいです。

惠美子 私は「散華」をはじめ、作品自体の透明度を上げたいです。金属の表情とガラスの透明性が同居すると、もう少し完成度が高くなるかなと。いつもここで100%とは思っていないので、スケール感も一回り大きくしつつ、完成度は上げていきたいですね。

それから、やはり動きの中で見えるガラスの光ってとてもきれいなんですよね。動いたら屈折の変化で光がキラキラするじゃないですか。光の現象というものが好きだから、いつでも面白い光を見つけていけたらと思っていて、何か動きのある作品というのもつくり始めています。

惠美子 個人としてですが、20年くらい前に、初めて展覧会に出して金賞をいただいたのが、同じようにコアガラスで制作したものでした。今より分厚くて、変わった形の器で、それを箱の中に並べて揺らすと、いい音がするんです。バーナーワークで扱うガラスは重たいので、音の響きがいいんですね。

動かして光が変わって、音が鳴って…。という作品に取り組む中で、先日は、コアガラスの器をひたすら並べたんですけれど、その下に円盤の台を仕込んで、円盤自体がシーソーみたいにふわふわ動いて、作品が揺れるという展示をしました。

惠美子 音がきれいなのはいいな~と思うんです。私にとって、音もガラスの魅力のひとつですね。

動きや音もやっぱり透明なもの。そういう透明なもののために何か作品をつくっていけたらと思っています。その透明さがこの場を満たしていて、この場というのはつまり大地で、石ですね。この関係を表現できたらなと。

「硅砂組」 田上拓 田上惠美子

文・構成:竹内典子 / Sep. 2026

硅砂組 石⇄ガラス 「行き交う現象と景色」  チラシ 硅砂組 石⇄ガラス 「行き交う現象と景色」 チラシ
硅砂組
石⇄ガラス 行き交う現象と景色
2026年9月18日㊎-20㊐
@小灯 cotomosi / 新宿
https://cotomosi.com/cotomosinokai_047.html