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Interview 羽生野亜 聞き手:井上典子 文・構成:竹内典子

木に寄り添う仕事

入選する前は、
普通の家具ではないせいか
否定されることが多かった。
インタビュー風景
酒卓五十三

インタビュー風景
酒卓六十四

photograph:© Kowa Ikeuchi

井上
羽生さんは95年に朝日現代クラフト展で奨励賞を、96年には日本クラフト展でグランプリ、高岡クラフトコンペでグランプリをダブル受賞されています。その時は、どんなお気持ちでしたか?

羽生
それまでは、僕のつくったものを人に見せた時の反応って、全否定が多かったんですよ。技が甘いとか、ここをこうしたらとかっていう評価じゃなくて、「えっ?」「何でこんなのつくるの?」「何で普通の家具じゃないの?」って言われる。やめなさいっていうか、意味がないっていうか、その意見に対して努力できないような否定が多かった。だから、受賞したことで、はじめて認められるというか、"つくっていいんだ"というふうに思えました。

井上
励みになりましたね。

羽生
まだ木工を始めて3~4年で賞をいただきました。よくわからない内にいただいたというのが実感です。40~50代で認められなかったらへこみますけど、その頃は若かったので、全否定されても、それでも自分はこれをという意思が強くて、それほど切羽詰っていなかったし、不安はあまりなかったんです。そういう意味では活動3~4年目での受賞はラッキーで、下積みのひどい時期が短いと言えます。

井上
ダブル受賞に続いての初個展。順調でしたね。

羽生
それがそうでもなかったんですよ。そもそもコンクールに出した理由が、作品を発表したり売ったりする場がなかったからなんです。初個展の話は受賞前から決まっていたのですが、先方の都合ですぐには開けなかった。僕は弟子入りをしなかったから、人脈もなくて八方ふさがり。木工専門のギャラリーはないし、雑誌で知った工芸ギャラリーやデパートに売り込みをかけても「受賞歴はありますか?」って聞かれて門前払い。最後の手段として、コンクールに出品したんです。入選すれば何かしら声がかかるだろうって。でも、受賞後もほとんど声はかからなかったですね。一つだけかな。今にして思えば、売り込みに行った先も、自分の作品に合っていないような所ですけど。それに、僕の木工は、普通の家具じゃないから、突然作品を持ってきて見せられてもわからないですよね。

井上
私は羽生さんの作品を初めて見た時、興奮しました。今思えば伝統工芸でもなく、民藝でもなく、クラフトでもない、"木の作家がいた"と感じたのだと思います。とても新鮮でした。ただ、一般的に、売る側には羽生さんの作品は理解されにくいかもしれない。これは民藝のもの、伝統工芸のもの、クラフトのもの、というジャンルに入らないものは安心できないのでしょうね。でも、「ギャラリーいそがや」※7さんでの初個展は盛況でしたね。

羽生
あそこでいろんな人に出会って、井上さんもその中のお一人で、その時、僕にギャラリーを3軒も紹介してくれました。

井上
その一つが西麻布の「桃居」※8さん。羽生さんにばっちりと思いました。オーナーの広瀬さんがすぐに作品を見に行かれて、以来ほぼ毎年、桃居での個展が続いていますね。

羽生
僕の作品は注文が受けづらいつくり方なので、個展で発表するというスタイルになるんです。でも、木工の多くは注文家具とか、工務店や建築家とのやりとりで動くもので、個展を開くタイプのものではないのかもしれないですね。だからいまだに木工専門のギャラリーがない。

井上
確かにそうですね。

羽生
自分で言うのもどうかと思うけれど、僕は"突然変異"みたいなものかなと。そこを狙ったわけではなくて、結果論としてなんですけど。本流ではないから、そのうち消えますよ。

僕の木工は"突然変異"。
本流からはずれた
独自のつくり方だから。
工房風景

※7:ギャラリーいそがや
1985年から2005年まで、西新橋にあったギャラリー。工芸を中心に展覧会が行われた。

※8:桃居
西麻布にある、器を中心に扱うギャラリー。1987年より広瀬一郎さんが営む。

羽生野亜