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縄文や旧石器の美意識で
今の世の中を見てみる
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広瀬
僕も若い頃は現代美術が好きだったんですけど、30歳過ぎくらいから、現代美術の世界が僕にとって遠いものになってしまった。これがいちばん新しい表現だと言っても、自分の心があまり反応しなくなっちゃった。そういう時に、博物館へ行って土器を見たら、それまで無縁だったからかもしれないけど、ものすごいショックがあった。これはすごく面白いと思い、そこから焼き物に対する関心が芽生えて、今の仕事にもつながっている。その縄文と弥生の土器を最初に見た時に、全部ここに入っていると思ったんです。日本の文化というのは、縄文的なものと弥生的なものの変奏曲というか、バリエーションで、その後もずっと来ているんだって。熊谷
幅で言ったら、全部そこでやってますよね。広瀬
もちろん、その後に中国の文化や西洋の文化も入ってきて、いろんなものに混交されているんだけども、でも、しぶとく縄文的なものと弥生的なものというのは底流として流れていて、大雑把に言うと、弥生的なものの方が現代の日本人にとっては近しいものだから、メインストリームとしては弥生的なものが支配的なんだけど、でも必ず間欠的に縄文的なものが噴き出すというのがずっと続いている。熊谷
弥生土器自体も縄文の一部というイメージであれば、弥生がベースであったとしても、縄文的だということになるわけです。そういう意味では、なんやかんや言っても、いまだに縄文的なんです。本質的に伝えられてはいないけども、縄文時代は終わってないと思います。いくら何があろうが、子孫ですから自分の中に残っちゃう。そういう時に、それがいいか悪いかわからないですけど、そういう自分のルーツから離れた表現というのは僕にはできないんです。
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広瀬
熊谷さんは、ある意味で、すごく狭い細い道を行っている(笑)。だけど、縄文的な遺伝子というか、血に刷り込まれたようなものは、やっぱりPCや携帯の時代になっても、今の若い人の中にも流れているものだから、熊谷さんの仕事を若い人たちに見てもらって、刺激を受けてほしいなと思います。熊谷
ちょっとした意識の問題だと僕は思っていて、そのきっかけになればいい。縄文とか旧石器時代くらいの美意識で、世の中を見てもらえたら、無駄なことも少しは減るかもしれないし、そんな感じになればいいなと。広瀬
今の世界がいろんな袋小路に入っているわけだけど、縄文的な世界の中に、その袋小路を突破していくカギが埋め込まれているかもしれない?熊谷
はい。僕はそこにかけてますね。今までは片側に走り続けた世界であり、それでどん詰まりになっているので。広瀬
もう片側にある豊かな世界の可能性を見てほしいと。熊谷
そうすると全体的なバランスがとれるんじゃないでしょうか。一つに偏るのではなく、二つの道で行く方が強い。今までは片方だけを伸ばしていて、もう一つの方は伸ばしてこなかったから、伸びしろ的には同じ2000年くらいあるんじゃないかな(笑)。そろそろこっちをやってもいいだろうと。 -
熊谷幸治 土器展
2012年11月9日(金)〜11月13日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
世界の土器をみていたら
世界の平和がみえました
ー 熊谷幸治
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分