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僕らの工房は最初から、
ヴェネチアンをやるための
設計になっている。
チャダムグラスカンパニーの作品
リチャード・マーキス(ディック・マーキス)作品集
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牧野
富山を卒業した翌年には再度アメリカへ渡り、チャダムグラスカンパニー※5で3年間働いていますね。小西
チャダムグラスカンパニーはジム・ホームズという作家の工房で、僕は彼のアシスタントの仕事をしていました。一週間に一度、半日だけ自分の作業時間をもらっていたので吹きガラスをやることもできました。牧野
チャダムにいた3年の間、次に何をするか考えていましたか?小西
「何がしたいの?」と聞かれるたびに「工房を作りたい」と答えていました。どうしたら工房がつくれるのか? それしか考えていなかった。どういう機械を揃えればいいのか、たとえばベンチやグローリーホール※6の高さはどれくらいかとか、加工機械も自分でつくろうとしていたから、この機械は一分間で何回転するのかとか…。牧野
まずはつくりたい作品があって、必要な道具と工房のスタイルが決まると思うのですが。当時からレースガラス※7をつくるつもりだったのでしょうか?もしくは、どういう作品を作りたいと思っていましたか?小西
レースとムリーニ※8をやりたかった。だから、僕たちがつくった工房というのは、完全にレースとムリーニをやるために設計されているんです。もともと、ディック・マーキス※9というヴェネチアンの作家にすごく憧れていて。最初にディックの作品を見た瞬間に「俺はこれをやりたかったんだ!」そう思ったんですね。以来、ディックの仕事が好きで、そういう仕事がしたいという気持ちがあった。牧野
ディック・マーキスの作品のどこに惹かれましたか?小西
ディックの場合、ポップなアメリカンテイストでヴェネチアンの仕事を展開していました。それが注目されていたんですね。初めて見た時はすごい衝撃でした。
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牧野
いまはレースガラスを中心にやっていますね。小西潮がレースガラス、江波冨士子がムリーニ。現在の潮工房※10の在り方はいつ頃出来上がったのですか?小西
最初の頃は、途中まで江波が吹いて僕が最後の仕上げをやるという感じでした。潮工房の作品であって、こっちが江波の仕事でこっちが小西の仕事という境目がなかった。最初の3年ぐらいはそうだったかな。レースも、僕がつくったり、江波がつくったり。江波はムリーニを始めてからそっちの分量が多くなり、2004年を最後にムリーニの作品に絞られるんですね。牧野
逆に潮さんはレースに絞られてきた、ということですね。それによって何か発想が変わりましたか?小西
レースはあくまで模様であって、かたちを考えているんです。色が求めているかたち、模様がもとめているかたちを探すのが僕の役目だと思っています。牧野
そのかたちが導き出されるのは、自分で使ってみた結果なのか、それともお客さんのリアクションをみた結果なのでしょうか?小西
フォルムというのはファンクション(機能)とは違う場所でつくらないとすごくあいまいになってしまう。もっと突出した、ガラスそのものが求めている方向性をきちんと見たいと思うわけですね。 -
色が求めるかたち、
模様が求めるかたち、
それを探すのが僕の役目。