パノラマ座談会「焼き物の創造性を楽しむつくり手」広瀬一郎 [西麻布 桃居] × 竹内紘三 × 田淵太郎
ライバルというハードル
広瀬 お二人はお互いの仕事について、どういう批評をするのですか?
竹内 具体的に言ったことはないですね。
広瀬 お互いをリスペクトしていることはすごく感じますね。僕が二人展をやってもらいたいなと思ったのも、やはりそれぞれの仕事から刺激を受けて、いい仕事につながっているところが面白いからなんですね。あいつがここまで仕事のグレードを上げてきているんだったら、自分もバージョンアップしないといけないっていう感じで互いに切磋琢磨している。20~30年前までは、すごくうるさい問屋の番頭さんがいたり、コレクターで難しいおじさんがいたり、厳しい言葉をぶつけるギャラリーオーナーがいたりという環境があったと思いますけど、今はそれがなくなってしまって、極端な言い方をすると、つくり手が自分で自分の仕事のハードルを上げていかないと、仕事が前へ進まないような時代になっている。そういう意味では、お二人が真剣に向き合って仕事をぶつけ合うと、そのことがそれぞれの仕事を前へ進めていくための一つのバネにもなる。本質的に刺激し合えて、でも尊敬し合えるライバルというのは、なかなか誰でもが持てるものではないですからね。お互いを大事に、これから後30年くらいは向き合っていってほしいです。
田淵 僕は竹内を見ていていつも見習うことは、行動力ですね。自分の足で見て歩いたり、ギャラリーを回ったりとかもそうですけど、新しいものを生み出すための行動力をすごく感じます。新作づくりは、かなり体力も気力も必要で、僕はどちらかというと臆する方で、でも竹内はスッス、スッス動いて、あぁ~そうか、身軽やなって(笑)。次の作品につなげるためのテスト焼きみたいなものも手間が要ることやし、それがすぐ結果として出るわけでもないけど、でもやらないとやっぱり新しいものは見つけていけない。そこを竹内は人一倍動いて形にしているんで、いつも見習っています。でも、逆にそれが弱さにつながっている時もあると思います。何でも器用にこなせるのが、竹内の一番の魅力だとは僕は思っていませんから。
竹内 僕には、田淵はすごくストイックに突き詰めてるように見えるんですよ。しっかり魅力的なものも出てきているし、すごくひしひしと危機感みたいなものを感じるところもあって。じゃあ、僕は何を突き詰めるかってなった時に、突き詰めるまで思う感情だったり、ほれ込んだものだったりというものが、田淵の薪窯じゃないけれども、具体的なものっていうのがまだよくわからない。だから、僕は今の自分の中にあるものを、いろんなところからどこが中心なのかっていうのをいろいろ突いている。そういう現状なので、立ち止まって考えてどうしようかって悩んでいる場合じゃないだろうと。今はいろんなことを体験してチャレンジして、その中で、もっと自分が表現したいのはこういうところかって気付いたり、ヒントだったり、次に情熱を燃やせるところだったり、というのを探しているんです。具体的なことはわからないんですけど、でも動かないと何もないだろうという感覚はすごく強くて。だから、田淵を見ていると、僕に何が出来るだろうって考えられて、いい刺激になります。
一つ田淵に伝えたいのは、もっといろいろやったらいいのに、ということ。いろんなものを、いろいろな所で。根が真面目なのか、かなり慎重ですね。窯がそんなにしょっちゅう焚けるわけじゃないからわかるんですが、僕としてはもっと造形的なものとか、一見用途がわからないようなもの、そんなこいつアホやなーと思うような作品も見てみたいです(笑)。
新しいチャンネル
広瀬 お二人のこれからの仕事にすごく期待しているし、まだまだ強くて深い作品が出てくると思います。僕は作家の作品をお客さんに紹介していくのが仕事ですから、そういうポジションで、お二人の作品を受け入れてくれる人たちの状況というのを見てみるんですね。そうすると、さっきのゼロ年代に入って表現的な陶芸から生活的な陶芸にシフトしてきた話ともつながってくるんだけども、受け手、使い手の多数派はどういう状況にあるかというと、強い表現、つくり手の声が激しく強く聞こえてくるものよりは、むしろひっそりと自分の暮らしに寄り添ってくれるようなものを受け入れやすい時代になっています。僕はそういう流れは自然だと思うし、そういうものが豊かに呼び込んでくれた可能性というのはすごく感じていて、でも一方で、最初に言ったように、そのこと一色になっちゃうことの問題点も感じています。優れて強く深くある表現的なものっていうのを、きちんと受け止めてくれる人たちも、一方で育てていきたい。育てるというとちょっと偉そうになってしまいますけど、でも、そこが自分にとっての課題ではありますね。
田淵 つくり手も考えないといけないかもしれませんが、僕もつくっていて、なかなかそこまでは意識がいかないというか。広瀬さんのように考えていただけるというのは、すごく心強いし、有難いです。
広瀬 柔らかい表現や静かな表現が受け入れてもらいやすい時代ではあっても、竹内くんや田淵くんが目指している、強さ深さみたいなものをぎりぎりまで追求したいという表現を、受け止めてくれる人は必ずいると思います。そういう使い手の人、受け手の人をもっとこれから探していきたいし、最初に言ったように、いろんなチャンネルというか、いわゆる生活に密着したような店やギャラリーが多い時代だけれども、それ以外の自分の作品をプレゼンテーションする場というのを積極的に開拓してほしい。昔使われていたチャンネルをもう一回使うというよりは、新しくチャンネルをつくっていかなくちゃいけないと思うんです。それは、このパノラマの大隅さんが考えていることとも重なってくると思うんですよね。生活に密着したつくり手の表現も認めた上で、そこからもう一つ強い声っていうか、しっかりした表現というものを紹介していきたいというのが、大隅さんのパノラマを始めた一つの狙いでもあると思いますし、これも一つの新しいチャンネルですよね。
竹内
田淵
本当にそうです。
広瀬 ほかにも、たとえば自分の知っているところでは、現代美術作家の村上隆さんが自分のギャラリーで陶芸を扱っていこうとか、現代美術のギャラリストの小山登美夫さんが京都につくった新しいスペースで、積極的に日本の陶芸を紹介していこうという動きがあります。きっとこれから生活的陶芸以外の表現的な陶芸にも、新しい可能性が出てくるのではないでしょうか。あとはコンテンポラリーアートみたいなものを紹介するところと、どうやってアライアンスを組んでいくかとか。いろんな意味で、それはお二人だけでなくて、工芸のつくり手たちが直面している問題だと思います。つくってそこで終わりじゃないんですよね。昔だったら問屋さんシステムがあったかもしれないけど、今はそれが壊れてるんで、つくり手の人はつくったものを、どうやって最後の使い手の人、受け手の人につなげていくかってことに、積極的に関わらなければいけない時代ですね。
田淵 そうですね、今すごくそれを感じています。自分のつくったものを、どこでどういう形で発表していくかというのは。
広瀬 それが生活に密着した工芸・陶芸では、比較的ここ10年くらいで新しい仕組みたいなものが多少なりとも生まれてきて、たとえばクラフトフェアみたいなものがあって、そこに参加することによってマーケットに認知されて、そこで新しいショップやギャラリーの人たちとの出会いがって、少しずつ自分の作品が広がっていくという新しい流れの一つになっています。でも、お二人みたいに、造形的なもの表現的なものをベースにおいて作品を発表していこうと思うと、新しいシステムをつくっていかなきゃいけない。でも、頑張りがいがあるというか、何もないところに自分たちでつくり上げていくというのは、第一世代であるがゆえの大変さと面白さの両方があるかもしれない。
竹内 はい。そういうもんだろうという感じで、あまり苦労感はないんですよね。じゃあ、どう打開するかっていうことを考えられるし、ある意味、自分の思うようにできるかもしれないですから。
広瀬 この10年くらいの間に、無意識の内にマーケットや使い手が排除してきたものっていうのがありますね。でも、つくり手がこれだけは譲れないという思いの中で、何か表現して出てきた作品っていうものに対して、これは重すぎる強すぎるとか、端からこれは暮らしの中に取り入れるべきものじゃないっていうような思い込みが、僕はちょっと強すぎるような気がしています。暮らしの中に迎え入れるというのは、決してテーブルの上だけの話ではないと思うんです。生活する空間の全体を見てほしい。テーブルの上も生活空間の一つだけれども、こっち側にはキャビネットがあってシェルフがあって、その上にのせるものも、ある意味、生活の中に迎え入れる一つのアイテムなわけです。竹内くんのキューブ型をした廃墟シリーズだって、花入れに使えるしオブジェみたいにもなって、暮らしの中に迎え入れて違和感ないものです。もちろん選んだ人の暮らしのありようにもよりますが、かなりの人が今の生活の中で、面白く使えるアイテムと言えます。
竹内 ホントにそう思います。食文化が多様化したからかもしれませんが、器とかを買う時は、何を入れようかと瞬時に考えますよね。使ってみたら案外こんなものも合うとか、こんな使い方もあるんだなって発見もあるし。周りの人たちに嬉しくて見せたくなるような使い方や、提案を思い浮かばせるような作品をつくっていきたいです。
広瀬 これからの10年は、生活的な陶芸・工芸も、もっと今以上に豊かになっていくと思いますし、テーブルの上からもう少し広げて、自分たちの暮らしの空間というものを考えれば、壁に掛けるものや、棚の上に置いて楽しむものも含めての生活陶芸・工芸というふうに認知されるような時代であってほしいと思います。
日本の社会全体がある意味で、成長期から成熟期に入っているわけで、昔みたいに次々とものを買ってくれる人がどんどん増えていくとは思いませんが、でも、生活をどういうふうに気持ちよくするか充実していくか、と考えていくと、食器ばかり見ていた段階が終わって、次の段階に入っていくわけで、まだいろんな可能性があります。でも本来、明治よりちょっと前くらいの日本を考えると、今言ったように生活空間全体を楽しむという一つの文化がありました。お軸を季節ごとに替えたり、違い棚に置くものを楽しんであれやこれや考えてみたりと。本来的な日本の美しい物の享受の仕方に戻る、という言い方もできるのかもしれません。
竹内紘三・田淵太郎 二人展
2011年9月30日(金)〜10月4日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
同時開催
竹内紘三個展 @ エポカザショップ日々/銀座
2011年9月30日(金)〜10月5日(水)
» 日々 -にちにち-
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