Interview 松葉勇輝「独自の窯焚きで、自分の焼き物を切り拓く」
陶芸家・松葉勇輝さんの工房は、大阪の南東部、奈良県との県境辺りにあります。祖父の代までは製材業を営まれていたそうで、実家の敷地には使われなくなって久しい建物がいくつかあり、それらを作業場や窯場、倉庫などに活用。小さな窯を含めると、炭窯、穴窯、灯油窯、電気窯の4つの窯があります。どの窯にも大切な人との出会いがあって、日々の制作にその想いをつないでいます。
古陶のような土味や窯変の面白さを持ちながら、声高ではなくどこか控えめで現代的な魅力をあわせ持つ松葉さんの器。
2023年のpanorama対談(web対談)に続き、昨年と今年(2026年)は工房を訪ねて、窯のお話をはじめ、独立から十余年の歩みを伺いました。
小さな4つの窯の話
個人でできる小さいサイズの窯を4つ持っています。 炭窯、穴窯、灯油窯、電気窯で、どれもやっていることはシンプルなんですけれど、窯が違って、温度が違って、焼き方も違うので、それらを組み合わせていくとバリエーションも出てきます。
炭窯
まず、ちょっと珍しくて面白い「炭窯」についてお話します。 見た目には窯というより、地面に囲いを立てたような長方形の箱形です。 長くじっくり焚くこともできると思いますが、ふだんは6~8時間の窯焚きです。 短時間なのであまり温度は上がらず、釉薬も溶けません。 焼締めの場合は、素焼き(灯油窯もしくは電気窯を使用)の際に温度を高くしておくと、この炭窯で本焼きした時にいい景色に焼けます。 施釉したものの場合は、先に灯油窯や電気窯で焼いておいて、その後でこの炭窯で焼いたりしています。
燃料の炭は岩手の切炭を使っていて、ナラ灰が取れますが、灰に不純物やゴミが混ざってしまい、なかなか使えるかというと難しいです。でも、なるべく使う方向でやっています。
窯詰めは、作品の高さがバラバラになるように置いた方が面白く焼けると思うので、作品を小さいレンガの台の上に置いてちょっと高さを上げたり、作品を横にして低くしたり、なるべくいろんなものが焼けるように並べます。 その後に、それら全部を、炭で埋めます。 埋めたら上を蓋して、下の穴から火をつけて焚きます。 わざわざ空気を送り込まなくても、レンガをいろいろ抜くと、勝手に空気を取り込んで、1時間で900℃くらいまで一気に上がるんです。 炭がなくなってきたら、また上から炭をどんどん足していって、その時だけちょっと蓋を開けなければならないので、すごく熱いんですけれど、それを7時間とか8時間とか繰り返します。
ただ、1時間で900℃くらいまで上がって、すぐまた500℃ぐらいまで落ちて、また950℃ぐらいまで上がって、という具合にかなりジグザグに急熱急冷を繰り返す窯なので、どうしても割れてしまうものが出て歩留まりは悪いですね。 僕は割れてもいいから面白いものを焼きたいっていう気持ちの方が強くて、土も色々なものを焼きたくて磁器を入れたりもします。
酸化や還元を繰り返しながら窯変ができるし、置き場所によってよく焼けていたり、少し炭化していたり、埋もれていたり、同じ釉薬でも全然焼きが変わるという面白い窯です。
自分では形がいいと思っているのに焼けが良くないものは、もう1回焼き直して変えられます。 たとえば、温度を上げすぎて釉薬がテカっている花器。 僕はテカっているのがあまり好きではないので、さらに炭を多くした状態で炭窯で焼いたり、灯油窯で低い温度で焼いたりします。すると、微妙な違いなんですけれど、テカリが抑えられてマットになるんですね。
"焼き直し”と言ってもネガティブな感じではなくて、2度焼き、3度焼きして、次は温度を下げてみようかなとか、上げてみようかなとか、何回もチャレンジしていく感じです。 小さな窯だからできるんですね。
この窯は、京都の炭山陶芸の荒木義隆さんに教えてもらったものです。 荒木さんはベトナムとラオスに窯を持っておられて、焼締めがとても好きな方でした。 いろんなところへ若い頃に行かれて、沖縄の窯などさまざまな窯を見て来られて、窯の知識がとても豊富でした。 僕が独立前、荒木さんのところへバイトに行っていた頃に、荒木さんはちょうど穴窯や登り窯を潰して、それで小さい窯を造っていて、工房にはそのレンガが余っていたんですね。 僕も窯焚きのバイトをさせてもらっていたので、興味があると思っていただいたんだと思いますが、 「面白いから松葉君も造ってみたら?」と、レンガを全部譲ってくださったんです。 後に、初めて焼いたものを「良いものが焼けました」と報告したら、 「これで1個引き出しが増えたやろか」って言ってくれて。 男気のある方で、若い人を応援しようという気持ちも強かったのかなと思います。 荒木さんは塩釉の窯、穴窯、登り窯、大きなガス窯、電気窯と、何でもできる方で、この窯は「遊びの窯や!」と言っておられました。 それは「焼き物って面白いでしょう」みたいなことだったと思うんです。
僕自身やっていて、全く同じ釉薬で全く同じ土であっても、全然違う焼き上がりっていうことができるので、そこはやっぱり面白いなと思います。
陶芸の学校では、1250度で18時間焼きましょうとかもあると思うんですけれど、 1220度で24時間焼いたらどうなるだろうとか、もっといろいろ試してみてもいいんじゃないかと。 全く同じものでも、違う窯で焼き方を変えてみると全然違うものになる、良くなる。小さい窯だと、失敗してもいいっていうことができるんです。
この炭窯は1300℃手前ぐらいまでは上がるんです。 最初の頃は楽しくて、温度計が指す一番高いところを目指して、1250、60、70とかやっていました。 でも今は1100℃台を4時間やって、最後だけさっと上げるとか、そういうことをやっていますね。上げても1220度とか30度ですね。
荒木さんはもう亡くなられて、今は息子さん漢一さんの代に。 まだお元気な頃に「松葉君もこれ見に来て面白いと思った人に、もっとどんどん教えてあげてなぁ」みたいなことを言っておられて。 僕にもそういう気持ちで教えてくれたんだろうなと思います。 バイトに行った最初の頃はとても厳しくて、だんだんと認めてもらえたというのも嬉しかったですし、僕にはその頃の想いもあるので、この窯はずっと続けたいですし、ちょっとこだわってやり続けたいなと思っています。
小型穴窯
小型の穴窯は、信楽の大平新五さんに造っていただきました。 大平さんは窯業材料の販売や築窯をやりながら陶芸家としても活動されています。窯を造っていただいてる期間に、窯だけでなく骨董など色々なものも見せていただきました。すごい眼を持たれた方です。 お願いして僕も一緒に手伝って造った窯なんですけれど、やっぱりこの窯は大平さんの作品だと感じるんです。 なので、取材を受ける時などに、窯だけを写して自分の窯ですというのはちょっと違うかなという気がして、この穴窯の撮影はあまりしていないです。
ここは近隣の家と近いということもあって、薪窯なのに、薪ではやらずに炭で焚いています。 今のところ18時間焚いて、1200℃後半とかまで上げることができます。 窯のサイズは小さくて、寝転んだら一番奥まで作品が詰められるっていう小回りの利くいいサイズ感です。 1ヵ月に1回程度焚いているので、これまでに50回くらいは焚いていると思います。
「小さな窯でもドロドロに溶けてすごいの取れるよ」って言っていただいたのに、僕は炭でホッコリあっさりの焼き方。 なんでそこで終わるの?みたいな話かもしれませんが、自分の感覚ではこれくらいっていうところがあって、それはそれでいいと思っています。
穴窯は手前がすごい溶けるんですけれど、そこがまだ掴めていない感じです。 灰がよく溶けていても、自分がそういうものを焼きたいわけではないので、 ここをどう生かすかということがとても難しいです。 むしろ作品の下に敷いているレンガとか板とかは、溶けてドロドロでもキレイだなと思うんです。そういうものは手前で焼きたいなと。
穴窯の真ん中辺りは、上の棚は釉薬が溶けて灰ものって、下の棚は熾(おき)に埋もれた状態になって炭化したりします。 一番奥では焼締めのものを焼いていて、あっさりした焼きの中に、炎が走った雰囲気というのが残るので気に入っています。 マットな白磁も奥で焼いています。 粉引きも、窯の手前と奥では全然違う雰囲気になります。
一つの窯で、置く場所によって、釉薬が同じでも雰囲気が全く違うようないろんなものが焼けるので、今回は粉引きを焼いてみよう、今回は焼締めを焼いてみよう、今回は白磁を焼いてみようという焼き方もしています。
当たり前なんですけれど、確実にわかっていることは、温度は手前が高くて奥が低いということだけです。 窯の詰め方とかでも、作品と作品が重なったところの炎が走った景色とかは変わるので、毎回何か新しい発見があります。
焼き方も最後の最後、高い温度で終わるとか、一回低い温度になってから炭をたくさん詰めて酸欠状態にして扉を閉めるとか、さまざまなことを試せる窯です。 これが大きい窯や年に2回とか3回の窯焚きだと失敗のリスクが大きいですよね。 今月失敗したから来月もやってみよう。その来月の窯でつくったものが全然良くなかったとしても、灯油窯でもう一回全部焼き直してみよう。ということができるから、数週間で新しく一窯分はつくれるんですね。
灯油窯 (使用開始2年後から薪併用灯油窯に)
世界一のレストランといわれたnoma(現在は食ラボや季節メニュー、ポップアップなどを行うnoma 3.0に移行)から依頼された数種類のお皿は、すべて灯油窯のものでした。 穴窯のものでなくても良いと思ってもらえたことは意外でしたし、嬉しかったです。 その中でも、ベースプレートというお料理のお盆みたいなお皿は200枚の注文でしたが、もちろんもっとたくさんつくってその中から良いものを選んだりと、とても苦労しました。 でも、お客様が着席した時から席を離れるまで、ずっとそこにあるというものだったので、やりがいもありました。
僕は灯油窯でも、他の窯と同じように、2度焼きとか3度焼きをします。 1回目あっさり上げて、表面を全部掃除してから、次にもう1回低い温度で焼くとか、実はいろんなことをしています。 もちろん1回でよく焼けていればそれで良しです。
独立するにあたって最初に買う窯を、僕は灯油窯にしたんです。 清水焼のところでは、染付や磁器の器を焼くなら、電気窯かガス窯が綺麗で良いと言われていました。あまり自分の周りに灯油窯でやっている人はいなかったんです。
灯油窯なんてもう終わったものやと思っている人たちもいて。 歴史的な背景を考えると、薪の窯があって、その後に電気窯が生まれたら、多くの人は電気窯に移行したわけですよね。だから、灯油窯というと何か古いというか、前の時代のものみたいな感じがあったのかもしれません。 当時は、灯油窯をやろうと思ってますと言うと「あんなの油煙まいて、色くすむよ」とか、「うまく焼けないみたいやよ」とか、よく言われました。
でも、昔と違って低燃費で焼ける灯油窯というのが出ていたんですね。 そういうものでやっている人から、灯油窯は、電気窯と違って炎で焼く窯だから、窯の中は上と下でやっぱり70℃くらいの温度差が出る。窯の上の方は溶けているけど下の方は溶けていない、あるいは逆とか、真ん中は綺麗に焼けるとか、そういう「ムラが出るから面白いよ」と聞いて。 自分はそれにしようと思ったんです。 最初から薪窯を持てるとは思っていなかったので、灯油窯でやってみようと。 「薪窯とか好きだったら絶対面白いよ」と言われて、灯油窯を持っている方のところに会いに行ったりもしました。 そうしたら、やっぱり面白いものが焼けていたので、これは絶対いいなと思いましたね。
この灯油窯は2014年4月に造ってもらったものです。 釉薬の試験所に通っている頃で、独立に向けて必要な物を少しずつ買い揃えていました。 ちょっとはっきり覚えてないのですが、その2年後くらいに、窯屋さんに薪を入れられるように改造してもらったんです。 「灯油窯に薪を併用している人がいるよ。そういう灯油窯があるみたいだよ」というのを聞いて、何軒か見に行ったんです。 それで僕も薪併用灯油窯にしました。 改造した当初は、薪を入れて焼いたりもしましたが、 最近は最後に焼き上げる時だけ薪を入れるという感じでやっています。 ものすごく火力が強くて、炭化が強くなるので、焼き上がりも変わりますね。
灯油窯で1回焼いて、焼けすぎたから、もう1回灯油窯で焼く、ということもします。 温度を下げると、もう少しマットになりますし、 それを飛ばして、次は穴窯でもう少し溶かそうかなとか、灰をのせようかな、というパターンもあります。
灯油窯は長く使っていると送風機とバーナーが壊れることはあると思いますが、電気窯のように熱線が切れたりという心配はなくて、原始的というかシンプルな構造ですね。 油を落とす量と風を送る量だけを調整して、あとは自分でグラフを取っていって、何時間で温度を上げるか 遅れてるからもうちょっと上げていこうかとか、空気と炎の加減、その辺りが薪窯に近い面白さですね。
電気窯
電気窯は、地元の先輩で工房の電気工事をしてくれた方のお母様の窯でした。 趣味で陶芸をされていて、マイコン付き、なおかつガスが入れられる本格仕様の窯を持っておられて。20~30回窯を焚いたぐらいで、とても良い状態で倉庫に保管されていました。 お母様は亡くなられたので、僕が地元に帰ってきたらそれを使ったらいいよと。ここまで持ってきてくれて、なおかつ設置の電気工事までしてくれたんです。
今は熱線が切れてしまって修理待ちなんですけれど、先輩のお母様のものをいただいたというか、お借りしているという感じなので、これは絶対に使い続けたいと思っています。 かなり古くなっていますが、窯のレンガ自体は全く問題がありませんし、新品に変えるものでもない気もするし。熱線だけ新しくして、先ほどの荒木さんの炭窯と一緒で、想いがある窯なので長く使っていきたいものですね。
炭窯、穴窯、灯油窯、電気窯。 全部で4つの窯がありますが、いきなり穴窯や炭窯で焼くものはほぼなくて、最初は灯油窯か電気窯で焼いて、そこから先を穴窯か炭窯か選んで焼いています。 もちろん最初に焼いた時点でよかったら、もうそこで終わろうという時もあります。 深みを出すというよりは、1回では納得出来ないものが多いのかもしれません。
釉薬は試験所でも学びましたので、自分で調合しています。 焼き上がりがテカテカなのはあまり好きではなくて、その辺りも考えてつくっています。
清水焼と京焼
大学を卒業後、働いていた音響関係の仕事を25歳で辞めて、京都にある清水焼の技術を学ぶ訓練所に入りました。最初は職人になりたくて、そこを出たらどこか産地の窯元に勤めたいと思っていたんです。 それが訓練所で学ぶうちに、職人より自分でやりたいなって思い始めたんですね。何がきっかけだったか覚えていないんですけれど、将来は独立して作家になろうと決めました。
訓練所を出てからは、伝統工芸会の京焼の
先生は京焼の土ものをやっていらして、
僕はもともと原始的な灰釉とか、釉薬のかかってない備前焼や信楽焼とかも好きだったので、土ものの先生のところに行ってみたかったんです。 ただ、訓練所で教わったのは清水焼のつくり方なので、まずはその手をがらっと変えるところからでした。 削る道具もつくる道具も全然違いましたね。 だけどやっぱり薄づくりの部分などに、京焼と清水焼の共通する感覚はあったと思います。 それは今の自分の焼き物を見ても、基本的には薄くつくろうとするところは、その頃からの感覚があるのかもしれません。
実は、猪飼先生に弟子入りした人は、兄弟子や弟弟子を含めて7~8人いるんですが、僕だけが弟子入り時代に工芸展に一度も入選することができませんでした。 僕は薄くつくって歪んでたり、自然なたわみが生じたりすると、すごく綺麗だと思うけれど、工芸展としては「そういうのは良くないよね」とか「誰が見ても綺麗と思えるものではないよね」とよく言われました。 もちろん技術も全然まだまだでしたが、それでも自分が美しいと思うものを曲げずにつくりたかったので、伝統工芸とは違う作家さんの作品を見たり、色々な道を探るようになりました。
弟子入りを終えてからは、釉薬の勉強がしたくて、京都の試験所で1年間学びました。 まだ、独立していない状態でしたが、実家の製材所だった建物を直したりということは、弟子入りを終えた年にスタートしています。 少しずつ轆轤を買ったり、窯を買ったりして、準備期間が1年間ありました。
活路となった小さな花器
釉薬の試験所に行っている時に、窯元に行って薪窯を焚くという単発のバイトがありました。僕は以前からそこが厳しい窯元だと聞いて知っていましたし、そういうところではふだんどんな仕事をしているのかという興味がありました。それで、これはチャンスだと思ってバイトに行き、その後も続けて働かせてもらいました。
その窯元というのが、炭窯の話のところに登場した、荒木義隆さんの窯です。京都に炭山陶芸というところがあって、職人村なんですね。 そこに金曜日と土曜日だけ勤めて、1日に大量の土もみをしてタタラの板皿を何百枚切るとか、土を何トンも再生するとか、そういう経験をしました。 毎日の出荷量も多い窯元で、毎週行く度に新しい商品があって、そこでは何百種類というものを見ました。
チャンスがあれば、他の場所の窯焚きや窯の手伝いにもどんどん行きました。 いろんな作家さんを知っていくというか、いろんなやり方があるというのを学んで、 そこから自分の道を探ろうとしましたね。
釉薬のことは試験所に通ったり、それまで学ぶ機会のなかったことは自分で学ぶようにしたんですけれど、 いざ独立するぞとなった時に、どこで展覧会ができるか、どこで作品を発表していけるかということが、全くわかっていなかったんです。 どうやったらいいのかと、当時のノートに悩みを書いていましたね。 ギャラリーもたくさん見に行って、「焼き物やってます」と言ったところで、何かにつながるということもなく。 陶器市に出品するのがいいのか、リュックに作品サンプルを詰めて東京に行くのがいいかとか、すごく考えていました。
そうした中で、京都の骨董店、川口美術さんとの出会いというのは本当に大きかったですね。 もともとは大学卒業後に勤めていたライブハウスのオーナーがとても多才な方で、ミュージシャンでもあり画家でもある。さらに骨董蒐集もされていて、川口美術さんに連れて行ってくれたんです。 僕が訓練校に入る頃のことで、そこで骨董というものに触れて、いろいろ見るようになって、その中でも小壺とか小さなものに惹かれるようになりました。
それから4年後くらいに、初めて川口さんに自分の作品を見せに行った時は、もう小壺ばっかり(笑)。 運が良いことに現代作家の展覧会もされているということで、2016年に、川口美術さんで初個展となりました。食器なども少しありましたが、色々な焼けや形の小壺を300点くらい並べさせていただきました。
それまで自分には無理なのかもと感じていたことを、「それでやってみよう」と言ってもらえたのは、とにかく嬉しかったですね。 そこでようやく、僕が何を世に問いたいか、何をしたいのかというのを尊重してくれる人たちと出会って、そこからひろがって今があるように思います。
京都には、なげいれの花器とか、一輪挿しを探している方が多いと思います。 川口美術さんに集まる人たちがそうだったのかもしれませんが、 お花を生けようと思う人がこんなにいるのかと思いました。 川口さんも「面白い子がいるから、ちょっと見てあげてくださいよ」みたいな感じだったと思います。 京都の老舗の花屋、花政さんのスタッフの方からも、たくさんご縁をいただきました。 京都の料理屋さんに花の生け込みに行かれた際に、僕の掛け花とか小壺を使ってくださるので、料理屋さんに来られた方とか料理人の方とかにも興味を持っていただけました。
川口美術さんでスタートして、見てくださった方からだんだんとひろがってつながっていく。当時ノートに書いていたことや、自分の幅からでは想像もできないようなひろがりがあるんだと、その時に実感しましたね。
料理のプロに活かされる器
川口美術さんでの初個展の時に、京都の有名な料亭の料理長さんが、料理人さんを連れて見に来てくださったんです。 すでに須恵器をつくっていたものの、須恵器は料理の器には使いにくいかなって思っていたんです。 ところが、それを面白いと言ってくださって。 3つ足の付いた平鉢みたいなものと高坏でした。 そのことは本当に嬉しくて、僕にとってすごい後押しになりました。
師匠は、五条坂で料理人さん向けの器もつくっている方でしたし、 その後のバイト先の窯元さんも、問屋さんに50個単位とかで納品するので、やはりお店屋さん向けですよね。 もしかしたら、僕は知らず知らずにそういった感覚が養われていて、料理人さんに使ってもらいたいと思っていたのかもしれません。 初個展で料理人さんに評価してもらえたことで、さらに想いを強くした気もします。
当時、川口さんと話していて印象的だったのは、料理人さんに向けてつくったものは、一般の家庭でも感覚が似通っている人なら目に留まる。でも逆に、家庭で使ってもらうことを意識しすぎると、それは料理人さんの目には留まらないのではないか。それなら料理人さんを意識して器をつくってみるのも一つ方向性だよね、とアドバイスをいただきました。 独立して3年目ぐらいの時ですね。
自分でもそれは面白いなと思ったんですけれど、 どちらかというと、料理人さんに使ってもらったら、また別な景色がひろがるだろうなとか、そういう気持ちが強かった気がします。
当時はクラフトフェアとかがたくさんあった時期で、そこを意識していく同世代とかもいましたが、僕はそっちの方向ではなかったですね。 プロに使ってもらっている、そのステージを見に行きたいと思って、納品したらそのお店に食べに行くというルーティンができました。 そして、また頑張ろうって。またつくって使ってもらって、それ見に行って。そういうモチベーションになっていきました。
今こうして振り返ると、僕は料理人さんに使ってもらいたいという気持ちがずっと強いんだなって思います。
古いものに惹かれる感性
ちょうど独立の頃に、花人・川瀬敏郎さんの『一日一花』という本が出ました。 その本の中で同じ花器が何度も登場するのですが、その中でも須恵器や猿投の小壺、新羅土器に花が入っていてるのを見てとても感銘を受けました。洗練されていて、尚且つ自然なものの美しさを感じました。 僕が学んだ清水焼の花器は装飾的で、絵や彫りが凝ってたりと、花より器の方が華やかでした。
錆びた鉄やトタンが格好いいとか、朽ち果てたものがいいとか、廃墟に惹かれるとか、 そういう感覚は、自分の中に昔からあって、侘び、寂、枯れみたいなものに通じるような気がします。 茶陶というわけではないけれど、そういうものに美意識が向くというか。そういうところで見る花ってより美しく感じます。
生まれ育った家も大正時代に建てられたもので、傾斜地に建つ吉野造りという独特の建物です。建物自体が古かったり、薪で焚く五右衛門風呂だったり、その環境で育ったということは今の自分にかなり影響していると思います。
JR奈良駅の近くに、文居さんというギャラリーがあって、もう今はやっていないんですけれど、その文居さんが「須恵器だけの個展をしよう」と言っていただいたことがありました。 須恵器ばっかりで、他のものをつくらない。華やかさはないけれど、須恵器に特化した個展でした。花器より食器の方が多かったかな。 それで売れたか売れてないかって言ったら、もう全然売れなかったです。 でも、他のギャラリーの方とかがそこに反応してくれたり、そんなことをやっている人が関西にいるのか、何か面白いねという反応があったりと、ひろがりはありましたね。
伝統工芸の世界には装飾的なものとか、個性的で力強いものがありますが、否定ではなくて、自分には強すぎる感覚なんです。 それを暮らしに取り入れたりするのは、どこか異質な感じがします。 僕の個展に来てくれる人も、どちらかというと強すぎるものはあまり求めていない人が多いのかなと。骨董好きな人も多いですね。
僕も古いものが好きなので、川口美術さんに在廊した時は、いろいろと古いものを見せていただいて。何となく歪んでいるとか、味みたいなのを真似るわけではないですけれど、自分で焼く時も強すぎないもの、ここで終わりかっていう寸止めみたいなものが多くなる気がします。
もともと小さな花器、小壺をつくり始めたのは、『一日一花』や別冊太陽の『大壺・小壺』などの本を見た影響がかなり大きいのですが、訓練校や弟子入りの頃は骨董屋さんで買えるものといえば小壺くらいだったんです。 持ち帰ってみると、小さくてもいろんな表情があるのでずっと触って見ていられる。愛玩できるのがとても良かったんです。ちょうど酒器好きの方がぐい呑みを愛でるような感覚でしょうか。 そこから自分でもたくさんつくってみて、焼いてはお気に入りを愛でるというサイクルができました。そして、小壺は持ち運びが便利なのでよく持ち歩いていました。それを先輩陶芸家やいろんな方に見てもらったりしました。
そういうことを続けていると「もっと良いものを見た方がいいよ」とか「良いタイの小壺があるんだけど」と言って貸してくださったり、お譲りくださる方が出てきました。自分で集めたものやつくったものと併せて、工房に小壺だけの棚ができました。小壺はずらーっと並んだ感じもまた良くて。そういった展示ができないかなと思うようになりました。 そして、先ほどもお話したように、2016年の川口美術さんでの初個展でそれを実現することができました。
昨年初めて台湾で個展をしましたが、その時もギャラリーの方に骨董屋さんや骨董市に連れて行っていただきました。 持ち帰る都合を考えてもですが、やっぱり小さいものが好きで、土器の耳坏とか、唐の時代の陶俑とか、思い出に残るものを手に入れました。
外大で教えていること、今後やりたいこと
作家として独立後、数年してから、関西外国語大学の教員もするようになりました。 スタジオアートというコースで、海外からの交換留学生に焼き物を教えています。
釉薬の研究所に通った時の恩師が声を掛けてくださったのがきっかけです。 独立してからことあるごとに「松葉君こんなバイトあるよ」「こんな仕事あるよ」と言っていただいてて、 「作家1本でやりますから」とお断りしていたんですけれど、ある時「松葉君は窯元も行って轆轤成形もちゃんと出来るし、釉薬、窯のことなどもちょっとオールマイティにせなあかん仕事あんねんけど行けへんか?」と言われて。「ただ全部英語やねん」と。 とても面白そうなのでお受けしました。 最初は非常勤でしたが、今は月曜から金曜の常勤です。
交換留学なので、学生はいろんな国から集まります。 陶芸を履修する学生は、カナダではデザインを専攻しているとか、アメリカではペイントをしているとか、それぞれに母国でアート系を専攻していることが多くて、基本的には日本語の勉強に来ます。 なかなか個性的で面白い学生が多いですし、学びたいという気持ちが強いですね。
授業ではみんなは日本語を使ってほしがるので、使うんですけれど、やっぱり全然伝わらない。だから、日本語を交えながら、基本的には英語で授業をやっていくという感じです。
去年、作家の仕事で、25年ぶりの海外で台湾に行き、個展をしました。 1年の半分以上を海外にいる友達からは「何で海外の生徒と関わっていつも海外の話してるのに行かへんの?」といつも聞かれていたのです。 台湾での個展をきっかけに深く考えてみると、 旅行で海外に行きたいわけではなくて、日本でつくったものを持って行って、どういう人達が反応してくれるのか、何か喜んでもらえるのか、しかも買っていただけるのかということ、つまり個展をしたい気持ちが強いことに気付きました。
僕は自分の感覚が受け入れられた時に、嬉しいと思えるので、今の自分がつくれるもの持っていくのがいちばんいいかなと思っています。 もちろん文化や暮らし方の違いはありますから、無理に僕が好きだからと花器だけを持って行ったりはしません。
これまで京都、大阪、東京という人が多く集まる場所で個展をやってきていますが、去年は初めて九州鹿児島でも個展をしました。 そんなに旅行は好きではないんですけれど、国内外問わず自分の制作したものを通していろんなところに行けるのは楽しいですね。 大学の授業もあるので、年間でそれほど予定を入れられませんが、今は韓国、ヨーロッパなどで個展をしたいと思っています。
文・構成:竹内典子 / Apr. 2026


https://panorama-index.jp
https://filament-jp.net