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Interview 上野雄次

花をめぐる「動」と「静」

花生けとはもともと、
非日常、劇的な行為なんです。
上野雄次:パフォーマンス映像
ライブ パフォーマンス「燐舞 [RINBU]」
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上野雄次:パフォーマンス映像

上野雄次:パフォーマンス映像
ライヴパフォーマンス「呼吸 [KOKYUU]」
岡本紀彦氏とのコラボレーション
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上野さんの生ける花には二つの異なる世界観がありますね。ライブパフォーマンスの「動」の世界、もう一つは器に寄り添う「静」の世界。特にライブパフォーマンスは非常に前衛的でもあります。勅使河原宏さんから影響を受けた「創造と破壊」というテーマはそこに象徴されているのでしょうか?

上野
ライブパフォーマンスの場合、花を生けさえしない場合もあります。束にした花を(壁に)ぶつけて終わりとか……。生けるより破壊している時間の方が長いこともあります。一番リアルな生というのは、破壊された瞬間、つまり死ぬ瞬間だと思うのです。花のいのちをむき出しにして見せつける行為です。死を加速度的に演出することで、それまで美しかった薔薇の生がグッとむき出しになって相手に伝わっていく。そうなり得るのではないかと。ただし、そういう行為というのはいつでも許されるわけではないと思っています。

ーー
花の命を破壊する行為。上野さんの中でそれが許される時とは?

上野
日本でも世界でも、どこへ行ってもお祭りというのがありますね。祭りはハレの日、日常はケの日。それは明確にわかれている。ハレの日というのは社会の枠組み全てを取っ払って、今生きていることをシンプルに感じ、生に感謝し、自然に敬意をはらう日。非常に本質的な生の時間であり空間であると思います。そういうハレの日でなければ、そうしたパフォーマンスはするべきではないと思う。僕の花生けでいえば、祭りの日というより、いまこの瞬間をハレと思えるタイミングですね。

ーー
そして、その破壊の先には創造がある、ということですか?

上野
壊すという行為の瞬間、その先に何があるのか、自分ではっきり見えているわけではないのです。ただ、目の前にあるものをそのまま使うのではなく、バーンと壊した瞬間に何か違うものになる。破壊して違う何かに変化した物をいかせたとしたら、その瞬間に新しい景色をみることが出来る、0が100になる瞬間ですね。その時に生まれる高揚感は、自分自身だけではなく、見ている人にも伝わると思います。そうした高揚感を観客と共有するための手法でもあるんです。手法うんぬんよりもまず、自分自身がその瞬間に立ち会いたいと思う。「あれがこうなるのか」と思ってもらえれば、仕掛けとしても効果的ですし。

ーー
破壊=喪失ではない、ということですね。

上野
そうですね。まったく違います。創造を生み出す前の過程でもある。場合によっては、キレイに生けてある花を最後まで壊し続けるというパフォーマンスもあるので、一概に破壊のあとに何かが生み出されるとも言い難いのですが。花生けに限らず、根本的な仕組みだとは思うんです。たとえばアイデアを生み出す時でも、何か新しいものごとは、それまで積み上げてきた下らないものを全部ゼロにした瞬間に舞い込んでくる。そういうことってあると思う。そういう経験が何度かあった後で、そのことに気付かされたと思います。


燐舞「RINBU」
映像 K.Wadatsumi / 音楽 Martha


呼吸 [KOKYUU]
映像 K.Wadatsumi

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逆に「ケ」の日の花生けとは?

上野
日常というのは色々な秩序があって、お互いに気持や行為やバイブレーションの波長をあわせて生きている。それはそれでとても大事です。ゆるやかな空気が流れているときに、強いインパクトは必要ない。そこに寄り添うような情緒の中で、輝きのある美しさを引き出していく。それが「ケ」の日の花生けの有り様だと思います。それぞれの花が持つ個性を、どういうバランスで組み合わせればしなやかなバイブレーションが生まれるか。時にはそこにちょっとしたコントラストを加え、相手に強いメッセージを伝えたり。そうした緩急をつけながら、やわらかい情緒にもっていきたい。

ーー
たとえば、展覧会場で作家の器に花を生ける時は上野さんにとって「ケ」の花生けにあたると思いまが、そこには、やわらかな情調以上のインパクトを感じられます。

上野
花生けというのはもともと、屋外で生きていた花を屋内に持ってくる行為から始まります。その行為自体がすでに非日常、劇的な行為なんです。だから、ただしなやかさがあるだけでは成立しない。そういう行為をしてしまったことに対する、落とし前みたいなものをしっかりつけなければいけない。当然、人間のためにやっている行為ですから、見た人が心を揺さぶられるようなものに仕上げなければいけない。気持をグッとひきつけるような美しさが必要です。

ーー
花生けという行為において、器はどのような存在になりますか。

上野
とても大きいですね。日本の花の構成要素というのは、花、器、空間、あとは光。もちろん、器を使わない花生けもありますが、基本的にはその4つの要素が組み合わされて、どれもが必然に感じられるようにしなければ意味をなさない。また、その4つの要素のうち、どれを軸にするかを決めて生けないと、見る側は捉えきれなくなってしまいます。花を見せたいのか、差し込む光が中心なのか、器を引き上げるための花生けなのか、軸はその時によって変化します。

ーー
器を軸とした場合、どのような花生けを心がけていますか?

上野
器の個展で花を添えてもらいたい、という依頼の時に花を中心に生けることは出来ません。その時は、器がもっている量感や造形からはみ出し過ぎないバランスが大切になってくる。花は器と同時に視界に入る位置にもってくるとか…。なぜなら、花の顔というのはとても強い影響力を持っているから。人の視点はまず、花の顔に向かっていきます。だから、花の顔を器から離し過ぎない。丈は花ではなく、葉などを使って出して行く。顔となる花はあくまで器の近くに来るように配します。

ーー
器の色やかたちを損なわないように花を生ける感じでしょうか。

上野
最初にその器のクセをみておいて、器の個性のどこを引き上げるべきなのかを決めます。そこを見せるためにどう花を生ければいいのかを考えます。

ーー
器を軸とした花生けが「静」だとすれば、ライブパフォーマンスが「動」の花生けになるわけですね。

上野
大きく分ければそうなりますね。その中間にあるのが「闘う花会」だとか「花生けバトル」*4になります。これらはパフォーマンス的な要素もありますが、花を痛めつけるとか、究極の行為には至らない。美しく仕上げる過程として少々荒っぽいことはしますが。最後は美しい花生けに仕上げるための過程です。

器を軸に生ける場合、
花の顔と器を同じ視界に入れる。
上野雄次 花いけ教室 @JikonkaTOKYO喜

上野雄次 花いけ教室 @JikonkaTOKYO

上野雄次 花いけ教室 @JikonkaTOKYO
花いけ教室 @JikonkaTOKYO
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上野雄次 花生け/花器:工藤茂喜

上野雄次 花生け/花器:工藤茂喜


上野雄次 花生け/花器:工藤茂喜
花器:工藤茂喜

*4:闘う花会・花生けバトル
上野雄次さんが運営に関わる花生けのデモンストレーション。花生けバトルは複数の花道家が制限時間内で順番に花を生けていく。闘う花会は二人の花道家が制限時間内に同時進行で花を生ける。観客がその花生けの優劣を判断して多数決で勝者を決定。