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Interview 高橋禎彦 聞き手:井上典子 文・構成:峯岸弓子

やわらかいガラス

高橋作品の
ガラスがもつやわらかさ。
それはすごく、
印象に残っています。
インタビュー風景

井上
何を作るかで、仕事のシステムが決まり、必要な技法、設備が決まってきますね。最初の頃は道具に走った、ということですけど、現在はどうなんですか?

高橋
結局一人でやるとなると、道具を全部同時に使えるわけじゃない。それに、もし天変地異が起きてここにある道具が失われたとして、何もない状態から再出発するのにまず必要なことは何かといえば、ガラスを熔かすことなんだと思ったんだよね。それを考えると、「ガラスを熔かす」という仕事はちゃんとやった方がいい。いろいろやった挙げ句に、やっとそう気付いたんです。かなり遅い目覚めですけど(笑)

井上
ガラスを熔かして吹く。原点ということですね。高橋さんが吹いているところ、あるいは作品を見ていると、「素材に無理をさせていない人」なんだなと感じます。ちなみに、これ(左の写真)が私が最初に買った高橋さんの作品。ピッチャーです。これを見た時の、ガラスってやわらかいんだという印象は強く記憶に残っています。

高橋
熔けたガラスはすごくやわらかい肌の素材だから、なるべく触らない方がいいと思う。焼いた状態でおしまい、ということです。実際、上手なつもりで削ったりいじったりした物より、触らずにおいた物の方が絶対にキレイなんだよね。それは、ガラスという素材がもつ美しさ、キラキラした感じや透明感を生かす、という意味で。もちろん、醜くさがカッコいいという場合はまた違うけど。

井上
高橋さんの作品は、頭の中のデザイン画に沿って忠実に作る、というやり方ではないように感じます。

高橋
たとえば茶碗も、こういう風なカタチになれよと思いながらロクロをひくわけでしょ? やわらかな素材が崩れそうになる、作り手はその姿を保とうとする、そうしたやりとりの間でカタチって成立するものだから。成形するすべての仕事は、そうしたあいだにある結果だと思うんです。

井上
もうひとつ伺いたいのは、高橋さんの場合、器とオブジェの間に線は引かれていないですよね?

高橋
たしかにそう言ってます。オブジェクト(物体)をつくるという意味ではどちらも同じでしょ? 器というのは条件でしかないんだよね。

井上
条件とは具体的にどういうこと? 用途ということでしょうか。

高橋
コップも美しいとか造形的な形のことだけ気にしてつくるとすると、それは彫刻的な観点でつくっていることになる。それをどんな大きさがいいとか、重さがいいとか言い出すと器になるんだと思います。そういうことを何も考えないでつくっていると、彫刻と同じだと思う。用途のための条件をはじめは押し付けられていると思って嫌だってけど、今はそれも面白いかなと。

井上
どうして、嫌じゃなくなったんですか?

高橋
つまり、使う人から見ればそれって当たり前だし、そういうことがデザインの要素なんだと、当たり前に思うようになった。最初は、自分の好きなように作っていることがおもしろいと思っていたんだけれど……。

井上
それとは別に、ある世界では、用途性のあるものはレベルが低いという概念があると思うのですが、高橋さんはどうですか?

高橋
それはないですけど、人から出された条件を揃えながら、自分で許せるキレイなものをつくるのはとても難しい。それなら、自分にとってキレイなものをつくって、それに見合った用途を考えてもらった方がいい。だから、そっちの作戦に切り替えたんですね(笑)。

高橋さんの場合、
器とオブジェの間に
線は引かれていない?
インタビュー風景 美しさの造形だけを追求すれば、
コップも、彫刻的な
オブジェクト(物体)になる。
物をつくることには、
価値観を伝える喜びがある。
僕の場合、その方法が
たまたまガラスだった。
インタビュー風景

井上
それがスムースに出来る人と出来ない人がいますね。

高橋
僕は全然スムースじゃないですよ。そういう意味では。器をつくるってデザインだから、そういったプロセスがないと成立しない。あとから納得したんです。

井上
いつごろ納得したのですか?

高橋
形はきれいだけど、でかいコップをつくって、「いいだろう!」って見せたら、「デカすぎるよ」って言われた時とか。ちょっとさみしい……(笑)。じゃあ、どのくらいの大きさがいいの?とか、何飲みたいの?とかデザインを成立させる、やりとりというプロセスが途中にあるべきだと思います。

井上
すごく抽象的な質問ですが、高橋さんのクリエイティブの源って何でしょう?

高橋
うれしい!とか、すげー!とか、おもしろい!とか(笑)。そういう感覚じゃないかな。たとえば、こうしてしゃべっていても、人に何かを伝えるのって案外難しいでしょ? ああでもない、こうでもないと、いろんな言葉を使ってなんとか伝わると、「ああ、わかってくれた」ってすごく嬉しい。それと同じような喜びが、つくることにもあると思う。その方法は人それぞれで、僕の場合はたまたまガラスだった。それは、ガラスをつくることが他のことより得意だったから。文章を書く人は文章がその方法だし、写真を撮る人は写真がそう。そこにはゆずれない価値観がある。だって、自分がつくったものが「いいんじゃない?これ!」って言われた時の喜びってないですよ。曲がりなりにも価値観を共有できたと感じるんだよね。

高橋禎彦