Interview 羽生野亜
「完成後も時を刻む、木の仕事」
発想は木の中に
主に東北で育ったブナの木を使っています。材木屋さんに依頼して、丸太を競りで落としてもらって。そこで板状に製材してもらってから、自分の材料小屋に運び入れて、何年間か乾かします。水分がちょうどよい程度まで抜けたら、材料として使い始めます。
丸太というのは運びやすいように、約2メートルちょっとくらいの輪切りにされるので、必然的に板の長さもそのくらいになります。1本の丸太でも、太さは均一ではないので、板幅を広く取れるところもあれば、先端の方は幅が狭かったりします。木の中に節があったり、割れがあったり。丸太をスライスして板にすると、途中から木の生長過程で生じた枝の痕跡みたいなものが現れたりもします。
僕はまず一枚一枚の板を見て、木の状態を見極めることから始めます。たとえば、節や割れ、枝の痕跡などがあると、そこの周りには少し変色があったり、縞模様が出ていたりします。そうした木の状態は、僕にとっての制作のきっかけであり、面白い表情につながっていくところになります。
というのも、僕はイメージが先にあってつくるのではなくて、ちょっとした木の持っている状態を見て、そこから何かできないかなという進め方なんですね。長く木工をしていると、毎日木を削っているでしょう。だんだんと、削ることそのものが目的になってきて…。昔の方がもう少し家具をつくりたいとか、こういうものをつくりたいとか、デザインの勉強もしてきたからか、そういう考えがあったんだけれど。今は相手が生物だから、それとのずっと対話というか、ほとんどの時間を人間よりも木と対面しているから、木の状態がまず先になるんですね。子どもが拾ってきた枝で何して遊ぼうかみたいな、だんだんとそれに近い感覚で木を削るようになってきた気がします。
魅力と素直に向き合う
板には木の芯に近い方と芯から遠い方があって、芯に近い方が木裏、遠い方が木表になります。僕が好きなのは木裏側で、基本的にその木裏を作品の表にしているんですね。木工の世界では、木表側を表面に使うのが当たり前とされているので、ちょっと教科書とは違うんです。その木裏を使って、逆目を出すというのが、僕の技法になります。
木工を始めたばかりの一年目のこと。通っていた職業訓練校のカリキュラムには、きれいに
その逆目を見たとき、とってもいい表情だなと思ったんです。たぶん、僕は都会で育ってるから、すでにフラッシュ家具という突き板の家具が身の回りにあって、世の中には木の木目を印刷した家具などもあって、きれいな家具が当たり前。逆目みたいなものはまずないから、職人の世界ではダメな部分であっても、僕にとっては新鮮だったんだと思います。
それで、その逆目を出す技法というのはないから、逆に効率よくそれを出すための方法を探そうと思ったんです。そこが原点かもしれないです。木の表面ではない、削ると繊維がボソボソになる部分に、何か木の魅力を感じたんだと思います。
僕はそういう第一印象をとても大切にするんです。もちろん、その後の鉋の授業では、どんどん刃物を研いで、きれいに鉋がけができるようになっていきます。それは当たり前のことなんだけれど、心のどこかに逆目を魅力的だと感じた部分は残っていて。逆目に限らず、僕は昔から、何も知らないが故に感じた気持ちというのを大事にしています。
木に作用して生まれる色
木を削ったら、次に着色作業を行いますが、このときに使うのは木酢酸鉄という草木染めで使う薬品です。これを水で薄めて刷毛で塗っていきます。
着色と言っても、鉄媒染による色の変化。水溶液と木の中の成分、たとえばタンニンなどが化学変化を起こすことによって、こういう色が現れるんです。木の中にタンニンの強いところがあれば、色も強く出てきて、そこも表情になっていきます。
木目や傷痕、成分の含み方などは木によって個体差がありますから、化学変化によって出てくる色は、塗ってみなければわからないんですね。同じブナの板でつくった2つのテーブルを見比べてみても、一つは緑がかっているところがあったり、もう一つは朱色がかった赤味が出ていたり、どちらも同じように灰色のところがあったりします。どういう色味が、どのくらい強く出てくるかというのは木によって違うから、僕にはコントロールできないんです。
仮に、木工用の黒色染料を塗って着色したとしても、こういう強い反応というのは出なくて、もう少し均一な色が付いていくと思います。僕のやり方はどういう色味になるかわからないから、数をつくるメーカーやある程度の均質さを要するメーカーでは、ちょっと管理がしづらいので敬遠されがちです。でも、僕は個人でやっていて、一品一品たまたま出来てしまう色であってもいい。そういうものをつくってもいいと思っている仕事だから、個体差を楽しみながら制作できるんです。
必要から選んだ方法
ただ、化学変化による着色は、そのままでは変色しやすいのです。たとえば、お酢とか柑橘系の汁が付くと、また化学変化を起こしてしまうんですね。そうならないために、仕上げにウレタン塗料でコーティングをしています。塗る量は多くても少なくてもダメで、木にはかたい部分とやわらかい部分があるから、塗料のしみ込み具合を見ながら調整します。
工芸の木工が好きな人には、そういうケミカルなもの、アクリルラッカーとかウレタンとかは敬遠されがちです。でも、僕にとっては、この色を残すというのがとても大切なことなんですね。それで色を残しつつ、防水機能もある塗料というのをずっと探していて…。結局、無色透明にほぼできる塗料という目的だと、やっぱりウレタンかなと。今のところは、それが僕にとって一番相性のいい仕上げ方法になっています。
それでも、この先またどう変化していくかっていうのはわからないから、これが完成ではないですね。使ってくれる人がいて、使っていく間に痕跡が現れて、少しずつ色も変わって…さらに良くなっていくと思っています。実際に、長年使っている我が家のテーブルは、表面が良い感じに削れて、色味も育っています。
鉄に表情を纏わせて
木工の作業と同時に、家具の脚を鉄でつくって、自分で溶接しています。鉄は新しいまま使うのではなく、屋外の土の上にしばらく放置して、表面が錆びるのを一旦待ちます。
なぜ、鉄脚かと言うと…。
木はもともと生物だから、僕にとっては儚いもの。いつかは朽ちてしまうような素材です。鉄もいずれ酸化が始まって、新品から錆に向かって行く素材。木も鉄も、朽ちるというところは似ているから、相性がいいのかなと思うんです。ピカピカの金属よりも、少し腐食させて、少し材料の弱い部分を取り入れて、木の逆目や着色の雰囲気に合わせています。
もちろん、錆は室内においてはそれほど進行しないけれど、梅雨時期にはまた錆が発生したりもするので、そこは処理をしています。浮いた錆を一度しっかり落としてから塗装をして、ほぼ錆が進行しないような状態に。でも、あまり塗装が見えないよう、コーティングは目立たないようにしています。
鉄脚にしている理由には、もう一つあって。たとえばテーブルをつくるとき、木で脚をつくるとすると、それなりの太さが必要になります。そうすると、全体に安定感が出てしまうというのかな。僕はあまりそういう方向ではないんです。この木の表情には、安定感よりもちょっと繊細な部分があるといいかなと思っていて。鉄を使えば、木よりも細くできて、少し華奢な感じになりますから。
木を力強く表現するのか、ちょっと繊細なところを取り上げるのか、という選択肢だと、僕は後者の方。木の繊細な部分を常に表現に取り入れています。それは木工を始めたときからそうだと思います。自分がつくるのであれば、やっぱり鉄脚になるんですね。
ソファーテーブル、座卓
家族のためのテーブル
我が家のダイニングテーブルは、15年くらい前に自分でつくったものです。なるべく幅が広くて素直な木、あまり節のない、暴れなさそうな木を、丸太の中から取り出して。一枚板ではなくて、たしか二枚の接ぎ合わせです。それは共木と言って、同じ丸太から取った木(板)は、接ぎ合わせたときにいちばん境目が目立たないので、なるべくそういう材料を選んでつくります。
テーブルのサイズというのは、家族の人数だけでなく、部屋の大きさや家の間取り、過ごし方にもよりますね。できたら、引っ越してすぐではなく、少し住んでみると、部屋に収まりやすい大きさとか、何となく自分のテーブルの大きさってわかってくるのではないでしょうか。慌ててサイズを決めなくていいと思います。
我が家は子ども2人の4人家族で、4人掛けのテーブルです。だいたい畳一畳と同じサイズで、長手方向が180センチ、幅が90センチ、高さは70センチ。ちょっと低めで、リラックスできる高さかなと思っています。
椅子の配置がコの字型というか、向かい合って座らないんです。自分の席からテレビが見やすい位置に、だんだんと定着してきた結果です。以前は、テーブルを90度回してみたり、シーズン毎に置き方を変えたりもしたんですけれど、今のこの形に落ち着きましたね。家族の座る位置も何年も変わっていないです。
日々の中で育つもの
ダイニングテーブルは子どもたちが小さい頃から使っていて、15年くらい使っている中で、全体の色が変化してきたと思います。最初はもう少し青みがかったようなグレーっぽい色だったような印象があって。今は、だいぶん茶色っぽくなってきました。ブナの木だから、あまり赤い木ではないんだけれど、何か赤い色も付いていて…。微妙に黄色味がかった部分と赤味がかった部分が出てきましたね。それは予想外によかったことです。
木工は一般的に塗装で仕上げて終わり。つくり手にできるのはそこまでです。 でも、こういうものを使っていると、実はそこからがスタートなんだということが、だんだんわかってきました。完成後にその先があって、自分の知らないところで、物がどんどん良くなっていく。木工を30年近くやってきて、使ってくださる人の重要性というのに、最近ようやく気付いたんですね。
僕がつくる木の表情。浮造りとも違うし…。もちろん日常の道具だから、テーブルを台布巾で拭いたときに、逆目が引っかからない程度に処理もしていて。その処理の研究もして、塗装でしっかり固定しているけれど、僕にできることはそこまでで。だから、今ある痕跡というのは、もう僕の知らない世界なんだけれど、やっぱり平らな木の板にはない表情。僕の削りに合った痕跡が出てくるというのは、面白いですね。
今ある痕跡は、子どもたちが仕上げたということになるのかな。僕も制作において精一杯削っているんだけれども、毎日使う人がさらによくしてくれるんですね。道具が馴染むとか、道具が育つとかってよく言うけれど、使っている日々の道具が、ただの変化ではなく、生活の一部になっていくことは、とても楽しいなと思います。
この育ち方は、アンティーク家具や古道具に見られる経年変化とも違ったものだと僕は思っています。アンティークというのは、もしかしたら知らない時代の人から受け継いだものを、また次の人が受けて、という世代を超えた繫がりで続いていく。一方、このテーブルの痕跡は、自分の家族の中だけで育てているから、家族の歴史そのものというか…。そういう感覚の違いもあると思うんです。
新品の木の家具を買うと、丁寧に扱って、傷一つないように使っていきたいという気持ちになりますよね。僕も最初はそう感じていました。でも、自分で15年使ってきて、こういう痕跡を見ると、こっちも面白いなと言えるんです。どんどん使っていって、シミも付けて、ワインもこぼして、食べ物もこぼして、器の底や高台のザラザラで削り込んで…。僕の家具は、それでいいんだと思います。
ダメージが付いていくと、その人のものになったり、家族の共通のものになったりしますから。もしかしたら将来、子どもたちが家から離れたときに、ここに何となく彼女たちの痕跡があって、見る度に思い出すのかもしれない。子どもの頃、この上で遊んでオモチャを引きずったり、勉強したり…。最近は注意しても、テーブルの上でマニキュアを塗ったりしていますから(笑)。よく見ると跡が残っていて、これからも変化していくかもしれない。そういう痕跡を見るのは楽しいですね。
お手入れと再塗装について
木の皿などの日々のお手入れは、洗剤で洗っても大丈夫です。気をつけていただきたいことは、サッと洗って立て掛けて、なるべく早く水分を落とすこと。できたら水分は拭き取っていただけるといいです。長い間、水に浸かっていると、木の繊維がやわらかくなって、傷みやすくなるんですね。もしかしたらカビも少し生えやすくなるかもしれないから、なるべく水分は飛ばしていただけたらと思います。
僕は小皿を茶托代わりに、10年以上毎日使っているんだけれど、たまにしか洗わないですね。何かをこの上でこぼしたときだけ水で洗うくらいで。朝の珈琲から夜のお酒まで常に使っているので、カップやグラスを置くところの色が飛んでしまって、塗装もなくなって、まるで模様のように白く円ができています。これは自分ではつくれないことだから面白いし、毎日見ていても飽きません。変化してもいいし、あまり気にしないで思い切って使っていただけたらと思います。
再塗装についても、きれいに直せば、また新鮮な気持ちになれるということもありますし、それは直しても直さなくてもどちらでもいいですよね。正解はないですから。少し痕跡を残した状態で、少し直すという方法や、もう1回削り直して、新品と同じ状態にしてから再塗装するという方法もあります。
文・構成:竹内典子 / Mar. 2021