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gallery's eye × panorama Special Interview「季の雲」作家と作品への“愛着”を丁寧に伝えていく

Interview 季の雲 中村豊実 中村敬子 Tokinokumo / Toyomi & Keiko NAKAMURA 聞き手:松本武明(うつわノート) / 文・構成:衣奈彩子 / 写真:大隅圭介 / Oct. 2014

住宅地にこつ然と現れるモダンギャラリー

松本 長浜にギャラリーを開いたのは、なぜですか?

中村
敬子
長浜には「黒壁ガラス館」という観光名所があるんですけど、私はそこに立ち上げから10年ほど勤めていたんです。でも本当は、陶磁器やアートが好きでした。一方の主人は、私と付き合ううちに工芸にのめりこんでいきました。結婚して子どもが産まれてしばらくして、彼が、息子たちに胸を張れる本当にやりたい仕事がしたいと言いだして、勤めていた会社を突然辞めてしまったんです。それで、お店を始めることになりました。最初は飲食店です。

松本 なぜ、駅から離れたこの場所を選んだんですか?

中村
豊実
ここは、もともと田んぼで、実家が持っている土地だったので、せっかくならここでいちから建てようということになって……。

インタビューイメージ画像

中村
敬子
それが大正解でした! 観光客の多い長浜の駅から歩いて30分はかかるので、季の雲を目指して長浜に来たというお客様しかいないんです。だから、トラブルもほとんどなくて。

松本 住宅地の中に、こつ然と現れるコンクリート打ちっぱなしのギャラリー。なによりも建築がとてもかっこいいですよね。天井も高くて気持ちがいいです。

中村
敬子
新婚旅行でニューヨークに2週間滞在したときに、素敵なホテルやレストランに行って刺激を受けたんです。その頃から、いつかふたりでお店をやるようなことがあったら、いまみたいに天井が高くてモダンなお店がいいねって話していました。まさか本当にやるとは思っていませんでしたけど、実際にやることになったので憧れを形にしたんです。最初は「ちゅう’s bar」というダイニングバーとして2001年にオープンしました。その頃から、お店のうつわにはこだわっていて、お客様から褒められることも多かったです。個人的にギャラリーにもよく通っていて作家さんとも交流があったので、増築してギャラリーも併設しようという話になりました。2003年の7月ですね。

インタビューイメージ画像
中村敬子氏

手作りのフリーペーパーが評判に

松本 交流のあった作家さんというのは?

中村
敬子
お店で一番よく使っていたうつわが、安藤雅信さんのものでした。

松本 駅から離れた場所でも、うつわを見に来る人がいると確信していたんですか?

中村
敬子
というよりも、いろいろな事情でバーだけではやっていけなくなって、それ以外の自分たちの得意分野というと、うつわしかなかったんですよね。

中村
豊実
ギャラリーをやっていくのは、かなり難しいといろいろな方に言われていました。レストランのお客様がギャラリーにも来るとは限らないので、お客様を新たに開拓する必要がありました。それで、リピートして来てもらうためにフリーペーパーを作って配布したんです。

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中村豊実氏

中村
敬子
ホームページを通じて、取り寄せができるフリーペーパーです。そしたら、関東の人から、それも、ライターさんなどメディア関係の方から「送ってください」という声がたくさん届いて、ちょっとずつですが、季の雲という名前を知ってもらうことができました。これは意外でしたね。こんな田舎でギャラリーを始めて、最初は全然だめだったんですよ。主人がフリーペーパーの写真を撮って、デザインして、私が文章をつけたものを、展覧会のDMとは別に、5〜6年の間は毎月休まずに出していたんです。とにかく自分たちの思いを伝えようと必死でした。すがるような気持ちでしたから。

松本 そのフリーペーパーがきっかけで、お客さんが増えたんですか?

中村
敬子
はい。とくに、関東から来てくれる方が増えました。家に帰ってから、ブログにうちのことを書いてくれる方がいて広がったんだと思うんですよ。長浜は、便利なところで、京都、大阪、北陸、福井、岐阜、愛知、三重から、1時間〜1時間半で来られるんです。当時、関西にこういう作家もののうつわを売る場所が少なかったというのもあると思います。飲食も併設していたので、それも楽しみに来てくれるお客様が多かったですね。

作家と一緒に楽しみながら仕事をする

松本 作家のセレクトに、基準やこだわりはありましたか?

中村
敬子
シンプルで機能的なものを中心に選んでいましたね。最初に取り扱ったのは、安藤雅信さん、花岡隆さん、独立してすぐの青木良太くんです。青木くんはまだ学生でした。愛知県のギャラリーで多治見の意匠研究所の卒業展を見て、主人とふたりで、すごくいいねって。その場でたくさん買って、バーで使ったのが最初です。独立してすぐに声をかけたというのが嬉しかったみたいで、青木くんは、いまでも季の雲を本当に大事に思ってくれています。「桃居」さんがその展覧会をわざわざ見に来てくださったんですよ。光栄でした。それから、黒田泰蔵さんとお兄さんの征太郎さんの二人展もさせてもらいました。お店の入口の壁に直筆のサインが残っているんですよ。

インタビューイメージ画像

松本 錚々たるメンバーですね。

中村
敬子
そうなんですよ。なんでオッケーしてくださったのかなあ。展示のお願いは、一度も断られたことがないんです。

松本 きっと、自分たちなりに、作家さんを育てていったんですね。

中村
豊実
いや、僕たちの中では、育てたという感覚はないんですよね。一緒に楽しみながら仕事をしてきたというか。

松本 有名、無名に関わらず、ただ一緒にやってみたいというのが始まりですか?

中村
豊実
そうですね。最初はシンプルなものを作る作家が多かったんですけど、途中から、焼物としての素材感や手触りも大事になってきて、その都度、好きな作家を見つけて一緒にやって来たというか。

季の雲 店内イメージ画像

中村
敬子
お客様の関心も、一緒に変わってきた印象がありますね。銀彩をする作家さんが増えた時期があったんですが、その頃から、お客様もうつわを育てることを楽しみ始めたと思います。

中村
豊実
いまでこそ、うちも古道具を置いていますけど、最初の3〜4年は、僕自身、古いものに全然興味がなかったんです。それが、ある日突然、古道具に興味が出てきて、それと同時に、現代の焼物の見方も変わりました。焼物も木工も、素材感を重視して探すようになったんです。

季の雲 店内イメージ画像

松本 季の雲として、こうありたいという自我も出てきましたか?

中村
豊実
うーん。それが、いまでもこうありたいというのがあまりないんですよね。いまは飲食店を辞めて吹き抜けの部分が空いたので、天井高を生かした展覧会ができるようになりました。ギャラリー全体として、広さが以前の倍近くに増えているので、これからは、この空間に合うものや作家を新たに探していきたいと思っています。現代美術は難しいでしょうけど、平面、立体に関わらず、いままでやったことのない展示をしてみたいですね。

松本 ここでしかできない展示というのはいいですね。まだ誰もやったことのないテーマやジャンルもありそうです。いま開催中の骨董の展示(取材時の展覧会は、骨董「窯工房」)は、作家の名前で呼ぶ展覧会ではないですよね。売れるということ前提ではなくて、季の雲なりの表現という印象です。そこにいま着手しているというのは、ひとつのメッセージですよね。

骨董「窯工房」展示会場 イメージ
2014年 8月20日 -9月 3日 窯工房(骨董)会場風景

中村
豊実
そうですね。あとはやっぱり、若い作り手を、もっともっと紹介したいと思っています。

ギャラリーとしてどう見せるか

松本 新しい作家との出会いというのは、クラフトフェアのようなところでもありますか?

中村
豊実
クラフトフェアは、見に行くことはありますけど、作家を見つけるきっかけではないですね。

松本 そうですか。いまは「クラフトフェアは見ておかなくちゃ」というお店が多いですよね。実際に作家と取引とまではいかなくても、どういう人が出ているのか把握しようというオーナーは多いと思います。クラフトフェアの広がりに対しては、どう思っていますか?

中村
豊実
クラフトフェアについてというよりも、僕らがギャラリーとして、どういう役割を担うべきかというのは、常に考えていますね。お客さんと接していて、クラフトフェアが人気なんだなあと感じることはあります。そういう中で、ギャラリーとしての見せ方、例えば、うちでやることによってこれだけ見え方が違うぞと言えるような努力をしていかないとだめなんじゃないかと。そういうことは、いつも考えながらやっています。

インタビューイメージ画像

松本 クラフトフェアに出店することで、ギャラリーから声が掛かり、また別の見せ方で作品を世に出せるというのはいいですよね。一方で、クラフトフェアを中心に販売活動をしている作家さんも増えてきました。このような状況の中で、改めてギャラリーの在り方が問われていると思います。gallery’s eye への参加を決めた理由は、どこにありますか?

中村
豊実
やる以上は日本で有数のギャラリーになりたいと思って、11年前、季の雲を始めました。gallery’s eyeに声をかけてもらったことで、11年間積み上げた思いが伝わっていたことが分かって嬉しかったというのが、一番の理由です。

松本 季の雲というのは、メッセージを持ってやっているギャラリーという印象です。扱っている作家は、一流の方ばかりですが、それでも、大都市ではなく、田んぼが残るこうした住宅地でこつ然とやっているというのは、何らかの考えがないとできないことだと思います。季の雲として、一番伝えたいことは、何ですか?

作家と作品への愛着をお客様に伝えていく

中村
敬子
自分たちが、どれだけ、作家さんやものに対して愛着があるか、どういうところがいいと思っているかを知っていただきたいですね。作家とお店は、人と人なので、信頼関係や相性も大事になってくるんですね。だから、扱うって決めたら必ず会いに行きますし、面識がなくても気になる作家さんには、会いに行ってから取扱いを始めるようにしています。フリーペーパーを出し続けたのも、作品だけでなく、それを生み出す作家という人を紹介したかったからです。こういう人だからこういうものができるんです、という部分を伝えたいんですよね。

インタビューイメージ画像

松本 よく伝わっていると思いますよ。いま現在、取扱い作家は何人ですか?

中村
敬子
70人くらいです。

松本 70人、全員に会いに行くんですか?

中村
敬子
はい。できるだけふたりで、自宅か工房に行っています。「ひとりだとぶれていくからふたりのほうがいい。同じものを見て、同じことを聞いて、同じ空間にいるということを大事にしないとあかん」って主人がいつも言うんです。

松本 それだから、作家さんも志を分かってくれるのではないでしょうか。でも、なぜふたりじゃないとだめなんですか?

中村
豊実
作家選びにしても、展覧会の企画にしても、お互いちょっとづつ好みが違うわけですよね。だから、最初からふたりで見て、ふたりともいいと思ったものしかやらないんです。

松本 好みがズレたままで、やることはないんですね。

中村
敬子
私は、ちょっと違うかなって思いながらスタートすることもあるんですけど、終わる頃には、やっぱり正解だったと感じることが多いですね。

松本 ふたりでズレを補正していくというのは、ただ好きだから選ぶというのとは違いますね。そういうところで、ギャラリーとしての客観性を保っているのかも知れないですね。

展覧会はどんな頻度でやっていますか?

中村
敬子
月に1本ですね。個展と二人展や三人展などです。定番の作家さんは、市川孝さんと青木良太くんのふたりだけです。あとは、展覧会のあとに常設をお願いする場合と、常設している方に展覧会をお願いする場合の二通りあります。

中村
豊実
うちは、これだけのスペースがあるので、常設の品揃えは充実していると思います。

インタビューイメージ画像

中村
敬子
「いつ来てもいろいろ見られるから、満足だわ」というお客様は多いですね。展覧会と同時に、常設もこれだけあると楽しんでいただけます。

松本 空間の気持ちよさもあるでしょうね。

中村
敬子
あると思いますね。天気がいい時には、テラスでお茶を出すこともあるので。一日中のんびりしたいというお声は、よくいただきますね。嬉しいです。

松本 同じ作家さんのものでも、あえてここに来て買いたいという方もいるでしょうね。お店というのは、体験も含めて売っていると思うんです。

この11年の間に、うつわをとりまく環境の変化は感じますか?

中村
豊実
市川孝さんが、中国茶の食器をやっているのもあって、最近は、茶器を始めるお客様が増えてきました。花器も昔より出ますね。装飾的なものや特徴のあるものに、関心が高くなっているような気もしますよ。

作家を受け入れる環境を常に整えておく

松本 ギャラリーとして、自分の眼で選ぶというのは、どういうことだと考えますか?

中村
豊実
選ぶといっても、僕らは、そんなに選んでないんですよ。作家さんは、誰かに紹介してもらうことが多いので、むしろ、選ぶというより選ばれているような気がしますね。服部竜也くんは、青木くんが紹介してくれましたし、来年、三人展をやる京都の高木剛くんにも、たまたま知り合いました。うまいこと繋がっていくんですよね。

中村
敬子
「季の雲でやってみたい」と作家さんに言われたいなあとは、いつも思っていますよ。

松本 選ばれる環境を、常に作っておくということかもしれませんね。整えておくという。

中村
豊実
それはあるかも知れません。展覧会も、1年分全部は埋めずに、必ず2期間は空けておくようにしています。古道具展や若手のグループ展は、思いついた時や出会ったタイミングで決めて、空いているところに入れていくんです。いい人が見つかっても、2〜3年後まで展覧会ができないのはいやなので。いい人がいたら、自分のところで最初にやりたいじゃないですか。環境を常に整えておくというのは大事だと思います。いつでも動けるようにね。

松本 ピースを1個抜いておかないと、パズルが動かないのと一緒ですね。

中村
豊実
そうですね。ふたりで動くのが前提なんですけど、アンテナを張っているのは僕のほうですね。いまは、京都にも若くて面白い作り手がいっぱいいます。その中に僕も入って、一緒に行動しているので、いい話が見つかるんだと思います。

松本 とくに作家さんを探すというのではなくて、そういう繋がりの中で知り合っていくと。

中村
豊実
そうですね。受け入れる体制さえあれば、すぐ動けますからね。わざわざ探しに行かなくても、面白い話が向こうからやってくるんです。

松本 そうやって、いい人といい人が繋がっていくんですね。
今回は、お忙しい中、ありがとうございました。gallery’s eyeの出展も楽しみにしています。

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